「ボクシングだけは本当に描きたくなかった」のに、『はじめの一歩』を描いたら大ヒット…森川ジョージが明かす名作マンガの誕生秘話
〈リーゼントで恋愛漫画を持ち込み→編集に笑われ「なめんじゃねえよ」と…『はじめの一歩』森川ジョージ(60)が振り返る下積み時代〉から続く
「ボクシングだけは描きたくなかった」
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大出世作となったボクシングマンガ『はじめの一歩』を30年以上にわたり連載している森川ジョージさん(60)は、当時をこう振り返る。自らもボクシング好きだったという森川さんはなぜ、描くことを嫌ったのか。
初めての週刊連載となったサッカーマンガ『一矢NOW』の執筆当時のようすや、マンガ家デビューから3作連続で打ち切りになり、編集部からも信じられない言葉を吐かれたという若手時代を振り返ってもらった(インタビューは1月に実施)。

『はじめの一歩』作者の森川ジョージさん ©石川啓次/文藝春秋
「なにもわかっていなかった」デビューから3作連続で打ち切り
初めての週刊連載で「希望に燃えていた」森川さんは、主人公の高校生、一矢がワールドカップに出場するところまで構想していた。しかし、9話目を描き終えたところで、担当編集者から告げられる。
「あと5回で終りね」
「月刊連載だった『インサイド・グラフィティー』の時は、『来月で終わり』って言われたんですよ。ちょっと待てと。連載終了は仕方ない。それは自分のせいです。でも、あと1回でどうやって終わらせたらいいんだよと。だから、週刊連載を始める時は、最初に『もし連載が終わる時は、4話か5話前に言ってほしい』と話をしました。そうしたら、本当に5話前に教えてくれましたよ」
連載マンガの命運を握るのは、読者アンケート。毎回順位が出され、不人気の作品から退場する。『一矢NOW』は14話で終幕を迎え、サッカーの試合は1試合しか描けなかった。「自分が悪い」と受け入れた森川さんは、再びアシスタント業に精を出した。
次の連載が始まったのは1987年、21歳の時だった。自身も好きでよく観ていたF1をテーマにした『シグナルブルー』だ。先述したように、読者アンケートで人気の3ジャンルは球技、モータースポーツ、格闘技。サッカーの次はF1で勝負をかけた。しかし、この作品も15話で終わる。
「まだ21、22歳ぐらいで、なにもわかっていなかったんですよ。F1は人気のあるジャンルで読者にうけそうだから描いてみようかな、ぐらいの感じでした。あの頃は、主人公が魅力的だったらなんでもいけると思っていましたから。でも、ぜんぜんダメでしたね」
敗因は?
「それはもう圧倒的に子どもだったからですよ。作家として未成熟でした」
『インサイド・グラフィティー』から3回連続で、早々の打ち切り。出版社から見限られてもおかしくない散々な結果だ。そうならなかったのは、『一矢NOW』の後に担当の編集者が替わったから。『シグナルブルー』の担当者は森川さんを見放すことなく、「また頑張ろうよ」と励ましてくれた。その編集者から提案された題材が、ボクシングだった。
「ボクシングだけは描きたくなかった」
「父親がボクシング好きで、小さい頃から一緒にテレビで観ていたから、僕も好きなんです。ゴールデンタイムに放送されていた具志堅用高の13回の防衛戦はぜんぶ観ていますよ。当時(1980年代後半)はテレビ東京で毎週海外のボクシングを放送していて、全盛期のマイク・タイソンの試合も観ていました。それで、編集者から『ボクシング好きだよね、描いてみない?』と言われたんです」
編集者からすると、サッカー(球技)、F1(モータースポーツ)でうまくいかなかったから、ボクシング(格闘技)で、という考えだったのかもしれない。しかし、森川さんは「ボクシングだけは描きたくなかった」という。
「週刊少年サンデーでは『がんばれ元気』、週刊少年ジャンプでは『リングにかけろ』というボクシングマンガがあって、それはもうヒットしていましたし、ジャンルとしても読者にうけるとわかっていました。でもね、ちばさんの『あしたのジョー』が掲載されていた週刊少年マガジンでボクシングマンガを描くというのは勇気がいりますよ。とにかく、本当に描きたくなかったことを覚えています」
とはいえ、編集者のアイデアをむげに断るわけにもいかない。そこで、妥協案として描き始めたのが「高校ボクシング部」。格闘技ではなく、部活での青春をテーマにした。
それからは、アシスタントの仕事で生活費を稼ぎながら、毎週のようにネーム(コマ割りや構図、キャラとセリフを大まかに配置したもの)を提出した。担当編集者はネームを見て「いける」と判断したら、連載の候補として連載決定会議にかける。もちろん、編集会議でNGが出されることも珍しくない。
ここから、無間地獄が始まった。
担当編集と迷いに迷った日々
担当編集者と連載決定会議の壁を突破するために、ネームの段階である程度の完成度が求められる。ネームはマンガになる一歩手前の下書きだから、相応の時間がかかる。
講談社にはマンガ家がネームを描くスペースと仮眠室があり、森川さんは講談社に泊まり込んでネームを描いた。これが、過去3作品とは比べ物にならないほど難航した。何度出しても、やり直し。なにが答えなのか、お互いに先が見えないやり取りが続く。
「もうね、迷宮にはまり込んじゃうんですよ。編集者と、あれが良かった、これが良かった、こうしよう、ああしようって言って、どんどん直していくうちに、編集者が『最初のやつが一番良かったね』と言ったりして、もうわけわかんなくなっちゃうんです」
ある日のこと。徹夜でネームを描き上げ、編集者に託した。編集者はそのネームを持って、連載決定会議に臨む。森川さんは会議室のすぐ近くのブースで結果を待っていた。その席は、会議室からは見えない位置にあった。
どれぐらいの時間が経っただろうか。会議室の扉が開き、週刊少年マガジンの編集部員が部屋から出てくるのがわかった。その時にハッキリと、誰かが発した信じられない言葉が聞こえた。
「森川って名前見るだけでイヤだよね」と耳にして「ぶん殴ってやろうか」と思った
「森川って名前見るだけでイヤだよね」
耳にした瞬間、脳みそが沸騰した。連載決定会議では、多数決で結果を出す。名前を見るだけでイヤだという人は、ネームを見ていないかもしれない。それは、スタートラインに立つこともできないということだ。
「ぶん殴ってやろうか」と思ったところで、我に返った。その発言をした人は、森川さんがそこにいることを知らない。ということは、本音を言っているということだ。
「そうか、これが正直な意見なんだな」
自分が置かれた状況を知った森川さんはネーム室に引き返して、筆を握った。
編集長からの「最後通牒」を受け取り、覚悟を決めた
気づけば、ネームを描き始めてから半年以上経っていた。森川さんは「講談社に住んでるようなもんでしたよ」と苦笑する。それでも、迷走が続く。どうにかして突破口を開こうと頼ったのは、ちばてつやの作品だった。
「編集者との打ち合わせはすでに行き詰っていました。それも仕方ないんですよ。担当者も30歳前後で、お互い未熟なんです。それなら、ほかのマンガを読んで研究したり、1本でも多く線を引いたりするしかない。僕はこの時、『もう、ちばさんに聞くしかない』と思っていました。でもちばさんに直接コンタクトを取る手段を持っていなかったから、ちばさんのマンガを読み込みながら、マンガがうまいってどういうことだろうって考えていました」
アシスタントの仕事を終えたら、講談社に戻る。寝落ちするまでネームを描く。ひと息つく時に、ちばてつやのマンガを読む。いつしか、それが日常になっていた。
講談社に「住み」始めて8カ月ほど経ったある日、週刊少年マガジンの編集長からオーダーが入った。
「森川さん、プロの世界を描いてください」
それまでの8カ月に及ぶ苦悩を見ていて、限界を感じたのかもしれない。ここで、「『あしたのジョー』と比べられるから、イヤです」と答えた森川さんに、編集長はこう告げた。
「そこで勝負してください。そうじゃないと連載は無理です」
最後通牒だった。3回打ち切りにあい、新作のネームはいつまでも完成しない。以前に「森川って名前見るだけでイヤだよね」と言われた時と同じように、自分の立ち位置を理解した森川さんは、静かに頷いた。
「僕、すごいドライなんですよ。だから編集長にここまで言われて、なにくそって燃えたということはありません。プロは依頼されたものを描かなきゃいけないんじゃなくて、描けなきゃいけないんです」
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(川内 イオ)
