ペコリ…礼儀正しくお辞儀する“神様の馬”が「美しい」と大人気!京都「上賀茂神社」の神馬は元競走馬
今年は午(うま)年。「馬とゆかりのある場所」を取り上げる企画「馬さんぽ」(随時掲載)第4弾は、京都市北区にある賀茂別雷神社(通称・上賀茂神社)を紹介。乗馬の発祥の地といわれる京都最古の神社には、とても“礼儀正しい”神馬がいた。
■神の馬がいる神社
美しく厳かな神社の鳥居をくぐると、元気な白馬が出迎えてくれた。名前は「神山号(こうやまごう)」で神に仕える神馬(しんめ)だ。生きている神馬がいる神社は全国的にも珍しく、「こうやまごう」、「しんめちゃん」などの愛称で親しまれている。
参拝者のお迎えが仕事で、この日もニンジンをあげる人たちが大勢並び、行列は途切れなかった。たくさんのニンジンを食べ続け、よく頭を上下に振って、写真撮影にもバッチリ応える…仕事中の白馬の様子は生き生きとしていた。
■「すごく礼儀正しい」
上賀茂神社の中野瑞己さんに話を聞いた。神山号の性格は、「人なつっこい。近づいていくとうれしそうな感じで。よくニンジンを食べますし。今年は特に参拝者が多いので、ニンジンも薄くしてあげています。それでもニンジンを食べ過ぎなんじゃないかな?と思っていたんですが、家に帰るとさらに草を食べているみたいなので。食欲旺盛みたいです」。
出社日は主に日曜日と祝日。朝9時半に来て、15時に帰る(神馬の体調によって休みの日もある)。「すごく礼儀正しいです。出社する際、鳥居の前で一礼する。帰る時もすぐ馬運車に行くんじゃなくて、鳥居の前に行って一礼してから帰っていくという。とてもかわいらしい、礼儀正しい神馬です」。普段は京都産業大学の馬術部が世話をしており、送迎に付き添う学生が礼をするのに合わせ、馬も礼をしているという。「毎回そういうふうにしているので、覚えているんだと思います」。上賀茂神社の公式インスタグラムにも、お辞儀をする神山号の姿が投稿されており、「美しい」「神々しい」などの声が寄せられるなど反響を呼んでいる。
■神馬は元競走馬
取材した2月にいた神馬は令和6年2月7日から奉仕している「10代目神山号」で、元々は「シリコンフォレスト」という名前でJRAで走っていた競走馬。父クロフネ、母シアトルサンセットという血統で2005年2月10日生まれの21歳。現役時代に14戦2勝を挙げた。3月10日に交代した「11代目神山号」はハーツクライ産駒の9歳。現役時は「フジノタカネ」の名で母はクルージンミジー。28戦3勝を挙げた。「当社は昭和49年の初代から、ずっとJRA様に神馬をご奉納いただいています」。
■神のお告げ「馬を走らせて…」
上賀茂神社は「乗馬発祥の地」といわれ、古来より馬との縁が深い神社だ。2600年前に御祭神「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」が天から降臨する際、母神「賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)」の夢枕に現れて「葵を飾り付け、馬を走らせて祭りをせよ」というお告げをし、目を覚ました母神がそのお告げ通りに祭をしたら立派な息子である「賀茂別雷大神」が降臨したという神話が、日本における乗馬の発祥だと言われている。
神馬も確認できる範囲では江戸時代には境内に神馬舎が存在したことが古文書に記載されている。かつては境内の東側にいたが「現在の形で神馬が神様にお仕えするようになったのは昭和49年から」だという。
■5月5日「端午の節句」には“競馬”も
「賀茂競馬(かもくらべうま)」は、境内の芝生で馬が競走する見応えのある行事だ。平安時代までは元々、宮中で行われていた競馬会という古式競馬で、現代でも上賀茂神社で毎年5月5日に行われている。
内容は、乗尻と呼ばれる騎手と馬が左右の2組に分かれて5番勝負で競馬をする。実は、1093年に宮中で「左方が勝ったら上賀茂神社に、右方が勝ったら石清水八幡宮に、競馬一式を奉納する」という“賭け”をして「菖蒲の根合せ」をしたところ、左方が勝利したことが上賀茂神社における始まりだ。「上賀茂神社としては、左方が勝った方が縁起がいい。左方が勝った年は、五穀豊穣(ほうじょう)になると言われております。なので、5番勝負のうち1番勝負は“左方必勝”なんですよ。よーい、スタートするんですけど、左方しか走り出さない。左方がゴールしてから右方が走り出すという」。左方が1勝した状態から、残りの4番勝負は“ガチンコ”で行われる。「ハンデですね。左方に勝ってほしいという思いで。これも古来からの習わしでそうなっています」。天下太平、五穀豊穣(ほうじょう)…かつて天皇陛下もご覧になられた、非常にスケールの大きい行事が、現代競馬の基となっている。
■境内のみどころ
「立砂(たてすな)」は神様が降臨した山を模したもの。その山の名は「神山(こうやま)」といい、御祭神が2600年前に降臨したと伝わります。神の降臨以降は禁足地であり神聖な山になっているため、古来、その山のふもとで祭をし祈りを捧げていた。「祭の時だけ、神様に山頂から降りてきていただいていたんですが、その時に目印になるものとして松を立てたんです。その松を支えるために大きな砂山を作って、松を立てた。松というのは、古くから神の“よりしろ”という信仰に基づいて。お祭りが終わったらまたお帰りいただくという古代祭祀が続いておりました」。古代の祭の名残として境内に作られている。
立砂の頂には、松葉が刺さっている。現在は2体で一対になっている立砂。もともとは1体だったが、平安時代に陰陽道(おんみょうどう)が流行し、その考え方を反映して2体になったという。「向かって左側の立砂は松葉が3本。右は2本。陰陽道では奇数が『陽』、偶数が『陰』を表します。この陽と陰があることで世の中のバランスが整って、世界がうまく循環していく。神様に祈りが通じると。そういう世の中の理(ことわり)を表した立砂がしつらえられている。これが盛り塩なんかの起源になったと言われていますし、神社の象徴的なものとして大切にされています」。
心が洗われるような神聖な空気のなか、かわいい神馬にも会えるイチオシの神社だ。(取材・構成=三島 英子)
