大川小に通っていた次女を津波で失った男性、「避難経路が確立されていなかった」と声震わせる…当時は中学教諭で「訓練のようにいかなかった」と反省も
小学生だった次女を東日本大震災の津波で亡くした宮城県石巻市の佐藤敏郎さん(62)が、「忘れてはならない記憶がある! 3・11を学びに変える」と題し、埼玉県鴻巣市の県防災学習センターで講演した。
佐藤さんは「災害が起きたらどんな状況になるかを具体的に想定し、どう対処するかを事前に考えておくことが大切だ」と訴えた。(大井洸樹)
佐藤さんの次女、みずほさんは震災当時12歳で、石巻市立大川小の6年生だった。同小では津波で、みずほさんら児童と教職員の計84人が犠牲になった。児童の遺族が市と県を訴えた裁判では「高台を避難場所に設定しておけば震災直後に避難を開始でき、津波を回避できた」とする判断が最高裁で確定している。
佐藤さんは津波の3日後、みずほさんと対面した時を「眠っているように見えたが、何十回名前を呼んでも返事はなかった」と振り返り、「大川小では津波からの避難経路が確立されておらず、犠牲になった」と声を震わせた。
佐藤さんは当時、同県女川町の中学校に教諭として勤務しており、「訓練」の反省にも触れた。同校は停電に見舞われ、訓練で使っていた校内放送は役に立たなかったという。「体育館ではガラスが割れて落ち、訓練のように通行できなかった」とも明かし、「ひとごとの防災をしていた。どんなことが起きるかを平和な時に考えて訓練することが大事だ」と約40人の聴衆に呼びかけた。
佐藤さんは悲劇が繰り返されないようにと全国各地で講演を続けている。「今の小学生にとって東日本大震災は生まれる前の出来事で、想像するのは難しい」とし、「未来を担う子供たちは自分の命を守る行動を考え続けてほしい」と願いを込めた。
熊谷市から小学生の娘を連れて訪れた接客業の女性(41)は、「埼玉では津波被害を想像しにくいが、大地震が娘の登校中や下校中に起きたらどう行動するか、考えておくべきだと思った。家族や学校の先生と話し合いたい」と話した。
講演のチラシを見て聞きに来た鴻巣市の中学1年生(12)は「実際の災害を想像し、避難訓練に真剣に取り組みたい。佐藤さんの話を友達に伝えたい」と話していた。
