大和ミュージアムで遺書展示 『戦艦大和』乗組員遺族の思い 広島・呉市
4月23日、リニューアルオープンした大和ミュージアム。造船技術の歴史、そして戦争がもたらした悲劇を伝えます。今回、新たに展示されたものの中には、乗組員の遺書があります。遺族の思いを取材しました。
23日、リニューアルオープンした大和ミュージアム。県内外から約3700人が訪れました。より充実した実物展示が、当時の最先端技術を紹介し、戦艦大和の乗組員が家族に宛てた遺書は、戦争がもたらす悲惨さを訴えてきます。
戦艦大和とともに海に沈んだ乗組員たちの追悼式。遺族や関係者約200人が参列しました。
呉市で造られた世界最大級の戦艦。81年前、特攻作戦の命を受け、沖縄に向けて出撃した「大和」。アメリカ軍の猛攻撃を受け鹿児島県沖に沈みました。大和とともに乗組員3056人が、帰らぬ人となりました。
岡山県の西憲啓(のりあき)さん。息子と追悼式に参列しました。
「私の祖父の治郎作(じろさく)は岡山の人間なので、岡山のお酒が飲めたらと思い、岡山のお酒を選んで持ってきました」
農業を営み、6人の家族を養っていた西治郎作さん。1944年、36歳の時に召集され海軍に入りました。軍歴証明書によれば、昭和19年12月、見張り員として大和乗艦。翌年4月 、戦死。
治郎作さんの次男・西輝男さん。4歳で父を失いました。
■治郎作さんの息子 西 輝男 さん
「みんなの家には父親がいるのに、なんで自分だけこんなことに。もう家中がわや(むちゃくちゃ)だった」
働き手を失った西家の生活は、困窮を極めました。輝男さんは、中学卒業後すぐに就職。仕事に忙殺されるなか、心の支えとなったのは、わざすかに残る父との思い出でした。
■西 輝男 さん
「親父のひざをまだ思い出す。ひざの中に入っているのをちゃんと記憶してるから」
家族とともに、亡き父の足跡をたどる旅を続けてきました。
■西 輝男 さん
「80年たっても、こんなにまだ涙が出る。(父が)いたらだいぶ自分の人生も変わっていたんじゃないかと思う」
2026年の追悼式に輝男さんの姿はありませんでした。2025年10月、この世を去りました。
戦死した祖父と、亡くなった父親への思いを胸に、憲啓さんは息子たちと参列しました。
■乗組員遺族 西 憲啓さん
「もう離れないように親子で。ずっと一緒にいてほしい。それだけです」
悲しみの中にも治郎作さんから繋がる4代の絆が、そこにありました。
追悼式を終えて向かったのは、リニューアルオープンを控えた大和ミュージアムです。2年前に寄贈した祖父の遺品が、展示に加わることになりました。乗組員たちの名簿や写真がデジタル化され、端末を使い名前や出身地で検索をすると、詳細を見ることができるようになりました。
■乗組員遺族 西 憲啓さん
「自分が(祖父に)実際に会えなかったので、ここで会えるのは本当にありがたいです」
そして、治郎作さんが家族に宛てた最後の手紙。記されていたのは故郷に残した家族への思い、そして生きては帰らないという覚悟でした。
遺書は父・輝男さんが生前、肌身離さずお守りのように持ち歩いていました。戦死した祖父の無念だけでなく、幼くして父を亡くした輝男さんの寂しさをも訴えかけます。
■乗組員遺族 西 憲啓さん
「この遺書が何でここにあるのか、残っているのか。その遺書があること自体が、この遺書のメッセージかなと思います」
祖父や父が願ったであろう家族の姿。2人の息子とともに訪れ、その大切さを実感しています。
■乗組員遺族 西 憲啓さん
「これから僕らが頑張るよ」
戦艦大和乗組員たちの思いは、新たな船出をした大和ミュージアムとともに、次の世代に受け継がれていきます。
【2026年4月24日 放送】
