子どもはいつごろまでに離乳するのが適当なのか。『安心感が子どもの心を育む』(小学館)を書いた東京大学大学院教育学研究科の遠藤利彦教授は「本来、人類は3歳くらいまでは母乳を飲んで生活すると言われている。子どもをなだめるには『部分否定』が有効だ」という。3歳の息子を育てる、ノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。
写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

■3歳児なのに「おっぱい大好き」は普通なのか

3歳児Kは、おっぱいが大好きだ。

「おっぱいぱいぱいおっぱぱい♪ おっぱいぱいぱいぱおっぱぱい♪」

Kは、お気に入りのトーマスの主題歌のメロディに合わせてオリジナルソングを機嫌よく口ずさむ。

Kの1日は、おっぱいからはじまる。起床し、母に抱かれてリビングにやってくる。リビングで発する一言はいつも同じだ。

「トット(父親である私のこと)、ミルク」

牛乳を入れたマグを受けとったあとの行動も決まっている。当たり前のように母のシャツに手を突っ込んでおっぱいを触りながら、30分ほどかけてゆっくりと牛乳を飲む。

おっぱいを満喫する満ち足りた顔を見て、ふと思う。母に密着し、おっぱいを触りながら母乳を飲んでいた頃を、懐かしんでいるのだろうか。

微笑ましい光景ではある。しかし問題は妻の仕事だ。

Kが密着する間、妻は身動きが取れず、出勤の準備ができない。母が離れるとKは怒って「ママ、ママ」と泣きながら叫び続ける。一度、起こす前に出勤用の洋服に着替えたが、Kは癇癪を起こした。

「ママ、ねんねの服にして!」と母のパジャマを押し付けた。

家でくつろぐ普段着でいてほしい、という気持ちなのだろうか。

妻は、保育園に向かうKを玄関で見送ったあとに慌ただしく準備するのだが、どうしても出社が遅れがちになる。どうすればいいのか。

■「それは自然なこと」

そもそもおっぱいに触れるのは、3歳児として自然なのか。Kが離乳したのは、1歳半。すでに2年以上が過ぎている。

育児の参考にしている『定本育児の百科』(岩波書店)をめくった。生まれてから小学校入学まで、月齢や年齢に合わせた育児の方法や、親の悩みに対する助言が詰まった指南書だ。

乳離れできない3歳児について直接の言及はなかったが、9カ月から10カ月の章に〈母乳がまだやめられない〉という項目があり、母親が働く家庭を想定し、こう書かれていた。

〈母親との接触の時間がみじかいのだから、そのみじかい時間に、せいぜい母親の愛撫を経験させたい〉

それは3歳児でも同じだろう。だとしたら、朝に母子が密着する時間は、大切にすべきなのではないか。だが、現実に、慌ただしい朝の30分は重い。

「おっぱいはダメ」と単純に諭して、おっぱい断ちすればすむ問題なのだろうか。それで“母親の愛撫”が不足してしまうのではないか。

東京大学大学院教育学研究科教授で、乳幼児の心身の発達について研究する遠藤利彦先生は「それは自然なことなんです」と穏やかな口調で私の不安に向き合ってくれた。

■気が済むまで触らせるしかないのか

「本来、人類は3歳くらいまでは母親の母乳を飲んで生活すると言われています。しかし社会状況の変化のなかで、いまはもっと早い段階で離乳するのが、当たり前になっています。そんななかで、牛乳を飲む際にお母さんのおっぱいに手が延びる。それはお子さんにとっては自然な欲求だと受け止めた方がいいと思います」

写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gorodenkoff

自然なこと――。その一言に安堵した私に、遠藤先生は続けた。

「お仕事で十分に応えてあげられない場合は、事情を説明して理解してもらうことも大切です。3歳を過ぎると、大人の言葉を受け入れる力がついてきますから」

私たちもKに事情を説明し、おっぱいを触る時間を早めに切り上げようと努力はしてきた。

「ミルクを早く飲んで保育園に行こう」「お仕事だから、終わりにしよう」「もう3歳なのに、まだおっぱい好きなの?」……。試行錯誤し、言葉をかけてきたつもりだったが、効果がなかった。最近は、気が済むまで触らせるしかないと諦めて、朝のルーティンと化している。

どんな形で説明すれば、3歳児は受け入れてくれるのだろう。

■かけるべきは「部分否定」の言葉

「お子さんの件に限らずに、基本的に子どもがやってはいけないことをしようとしたら、親が制止しなければなりません。そのときによくないのが、子ども自身を全否定する言葉。“部分否定”をしながら説明してあげるといいと思います」

「ダメな子だ」「悪い子だ」「言うことを聞かないと家から出て行ってもらう」……。そんな言葉は、全否定になり、子どもを傷つけ、恐怖や不安を与えるリスクがあるという。

遠藤先生の指摘に不安がよぎる。

私はKに「Kはもう3歳なのにまだおっぱい触っているの?」「まだ赤ちゃんなの?」とよく声をかける。これは全否定になってしまうだろうか。

「それはありですね」と遠藤先生は笑った。

「ちょっと恥ずかしいという子どもの気持ちに訴えていく。それは日本で昔から行われてきたしつけのひとつです」

では“部分否定”とは何か。

「『Kちゃんはお母さんのこと大好きだもんね。でも、もうお仕事だから今日はもうやめようね』というような形で、いったんお子さんの気持ちを受け止めた上で、理由を説明してやめさせる。それが、部分否定の基本ですね」

仕事上のコミュニケーションで必要なスキルのように思える。育児とは、ふだんのやり取りの延長線上にあるのかもしれない。

■「アタッチメント」の重要な効用

私はKのおっぱい好きの背景には、「アタッチメント」があるのではないかと漠然と考えていた。

遠藤先生はアタッチメントについて解説する。

「アタッチメントとは、子どもが怖くて不安なときや、感情が乱れたときに、信頼できる特定の大人とくっついて『もう大丈夫』という安心感に浸ることを意味します」

アタッチメントは母子の愛着と理解していたが、誤解していた。“信頼できる特定の大人”は、必ずしも母親である必要はないという。かつてはアタッチメントは母子関係に限られるとされていたが、最近では、父親や祖父母、保育士なども信頼ある特定の大人になりえると考えられている。

「ぜひ知ってほしいのが、子どもたちはアタッチメントを通して『人って信じてもいいんだな』という感覚をえられるということ。言いかえれば『自分は、人から愛してもらえるかけがえのない存在だ』という実感をえられるのが、もっとも大切なアタッチメントの働きです。人は、アタッチメントを通して、はじめて自分の価値を知るのです」

写真=iStock.com/Satoshi-K
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Satoshi-K

■母にくっつく理由がわかった

さらに遠藤先生はアタッチメントについて掘り下げた。

「子どもにとって世の中は、知らないことや、怖くて不安なことばかりです。その不安をしっかり受け止めてくれる大人がいる。怖ければ必ず助けてくれる大人がいる。どんなに泣きわめいても見捨てずに、守ってくれる大人がいる……。そうした実感の繰り返しで、特定の大人であるお父さんやお母さんたちだけではなく、人全体に対する信頼感が培われていきます」

遠藤先生は、Kの朝のルーティンを念頭に続けた。

「お子さんの話をうかがうとアタッチメントというよりも、皮膚と皮膚との触れ合いを求めるスキンシップの側面が強いかもしれません。人間にはくっつきたいという本能があります。スキンシップは肌と肌がぴったりとくっついて心地がいいという体験です。もちろんスキンシップも幼い子どもの発達には必要ですが、アタッチメントとは異なります」

なるほど。朝に母にくっつくのは、心地のよさを求めたスキンシップなのか。

朝、Kは「保育園、行かない!」とたびたびグズる。保育園に行くのが不安で、母親にくっつこうとしているのではないか。

■乳幼児期に限った現象ではない

朝以外にKがおっぱいを触りたがるのは、夕方だ。

Kは9時から17時まで保育園で過ごす。母の帰宅は18時30分頃。それからしばらくおっぱいを触りながら牛乳を飲む。保育園で友だちや先生に気を遣った反動で、安堵する時間を求めているのかと推測していた。そんな私の説明に遠藤先生は頷いた。

「保育園では楽しんでいるように見えても、ストレスがかかっているのかもしれません。だとしたら、お子さんはお母さんのおっぱいを触ることで、自分自身の感情を立て直したり、切り替えたりしているのかもしれませんね」

Kがおっぱいを触ろうとする行為は、単なるルーティンやスキンシップだけではないのかもしれない。

紹介したいのが遠藤先生の著書『安心感が子どもの心を育む』の次の一節だ。

〈アタッチメントは乳幼児期に限った現象ではありません。私たち大人も、困難に直面したときに信頼できる他者を求め、その支えによって心の安定を取り戻すことがあります。つまりアタッチメントは、人生を通じて私たちの心の健康を支える重要な機能なのです〉
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■愚痴がたまっている私も同じだった

私にも身に覚えがあり、深く共感した。

Kが言うことを聞かずに、イライラする日も少なくない。仕事やプライベートで、たびたびトラブルに直面し、落ち込んだり、怒ったりしている。そんなときは、誰かに愚痴を聞いてもらって憂さを晴らしたくなる。遠藤先生は言う。

遠藤利彦『安心感が子どもの心を育む』(小学館)

「人は誰しも不安なときに、信頼する人と一緒にいたい、話を聞いてもらいたい、という気持ちが湧き出てきます。信頼する誰かと一緒にいて、話すなかで、私たちは少しずつ崩れた感情を立て直し『また明日がんばろう』と前向きになれる。そうして日常生活を健全に送っています。私たち大人も、信頼する人とのかかわりのなかで、感情を調整しながら、安心感を維持しているのです」

アタッチメントを必要としているのは、Kや乳幼児だけではない。

父親の私自身もまた、いや、多くの人が、アタッチメントによって、乱れがちな感情を無意識にコントロールしているのかもしれない。

----------
遠藤 利彦(えんどう・としひこ)
東京大学大学院教育学研究科教授・教育心理学者
山形県生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。聖心女子大学文学部講師、九州大学大学院人間環境学研究院助教授、京都大学大学院教育学研究科准教授などを経て、2013年から現職。専門は発達心理学、感情心理学、進化心理学。NHK子育て番組「すくすく子育て」にも専門家として登場。
----------

----------
山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。
----------

(東京大学大学院教育学研究科教授・教育心理学者 遠藤 利彦、ノンフィクションライター 山川 徹)