「バラバラにして燃えるゴミとして、河川敷に遺棄した」“医学部9浪”の31歳娘が58歳母を刺して解体…懲役10年になった被告が涙ながらに語った“母親への懺悔”
〈「スマホを叩き壊され、庭で土下座させられた」母親(58)を刺してバラバラに解体した“医学部9浪”の娘(31)が裁判で激白…なぜ彼女は母親に殺意を抱いたのか?〉から続く
2018年3月、滋賀県守山市の河川敷で、頭部や手足のない女性の遺体が発見された。遺体は近くに住む58歳の母親で、同居する娘・あかりが死体遺棄などの容疑で逮捕され、その後殺人罪でも起訴された。9年間浪人し医学部を目指していた娘と母の異常なほど密接な関係の裏に何があったのか。
【衝撃画像】血痕がポタポタと落ちていた…“医学部9浪”の娘が母親を刺してバラバラに解体した“事件現場”を見る
2022年の刊行から累計22万部を突破した話題作、獄中の娘との書簡をもとに描いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』(著=齊藤彩、講談社文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全6回の6回目/1回目から読む)

写真はイメージ ©Faustostock/イメージマート
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「温かい言葉をかけていただいたのが、すごくありがたかった」大津裁判所で判決を聞いた時の心境
──大津の裁判所で、大西裁判長から判決の宣告を受けて、あなたどう思った。
「自分としてはバラバラにして燃えるゴミとして出せるものは出して、河川敷に遺棄してバレないようにして、直接的な殺害の証拠というのは隠滅したつもりでいたんですけれども、殺害したことがちゃんと認定されただけじゃなくて、その殺害に至るまでの、私の長年の、私と母の確執を事細かに、まるでずっと私の横にいたかのように認定されてるのが、すごく精緻(せいち)に認定されてて、理解されるんやな、理解されてるなっていうこと、殺す前の逡巡(しゅんじゅん)とかも読み上げてるのを聞いて、殺そうって考えてるところとかも、何かカメラで撮られてたんかなと思うぐらい、すごく精緻な分析がされてたのと、あとは、噓をつきつづけている私に対して、大西裁判長は、『あなたはいままでお母さんに敷かれたレールを歩まされてきたけれども、これからは真摯(しんし)に罪と向き合って、罪を償い終えた後は、あなた自身の人生を歩んでください』っていう温かい説諭をしてくださったのを聞いて、他人であっても、私が噓をついても、私が母との苦しみであったり、そういったことが理解されるんだなっていうことが分かりました」
──あなたとお母さんの関係を理解してくれる人なんていないと思ってたのか。
「はい。いないと思ってたんですけど、それが間違いで、で、私はずっと母が自殺したと噓をついているのにもかかわらず、そういう温かい言葉をかけていただいたのが、すごくありがたかったです」
「私でも受け入れてくれるんじゃないか」母親の殺害を認めた理由
──もういっぺん聞くで。いまになってお母さんを殺したことを認めようと思ったんはなんで。
「その判決を聞いて、それで真摯に罪と向き合うのはどういうことかなって考えたときに、その判決のなかで母の死因は不明なんですけれども、殺害方法が間違ってるので、それをきちんと話をして、自分の罪をちゃんと明らかにすることかなと思ったんですけれども、判決を聞いた時点で、そう思ったんですけど、まだ勇気が持てなかったんです。
でも、すぐに、判決の後に父が差し入れと面会に来てくれて、無罪になると思ってなかったって父が言っていたんですけれども、その言葉を聞いたときに、ひょっとしたら、父は母を殺害した私でも受け入れてくれるんじゃないかなっていう風に思って、勇気を得て、あと、他人でしかも短い時間で、裁判官や裁判員に私と母の苦しみを理解してもらえるような献身的な弁護活動をしてくださった弁護士さんたちをそのまま大阪に来てもらえるように父はしてくれたので、これはもう、ちゃんと言わなければと思って、弁護士さんに言いました」
──それで。最初に僕らにお母さんを殺したことを認めてくれたんやな。
「はい、そうです」
「手紙とかも毎月ちゃんとくれる」支えてくれている父への思い
──あなたが殺人について認めたということをお伝えしてるんだけれども、お父さんがどんなことをしてくれてる、いまでも。
「毎月毎月、何不自由なく暮らしていけるだけの、すごく細やかな差し入れとか、あとは手紙を送ってくれたり、本を差し入れてくれたりして、心身ともに、すごく手厚く支えてくれています」
──あなたは、お父さんが大阪拘置所に来て、面会することをいままで断ってたやんか。
「はい。コロナということもありますし、大阪まではとても遠いので、たぶん車で片道2時間ぐらいかかると思うので、あとコロナの影響もあって、大阪拘置所では普通の面会時間が15分で、その15分のために往復4時間使ってしかも高速代とかかかりますし、あまりにも忍びないので、もう手紙だけで、もちろん送料とかはかかるんですけど、高速代に比べたら安いんで、だからもう断ってます」
──あなたのほうからお父さんに気を遣って来ないでくれと言ってるんやな。
「はい。ただもう手紙とかも毎月ちゃんとくれるので、もうそれで、私はもう十分支えられています」
──お父さんはあなたがお母さんを殺したことを前提にしても、引き続き、あなたの面倒を見てもいいと仰ってるんだけど、どう思う。
「ほんとにありがたくて、ありがたいのと感謝と、それからこんなに父が細やかに、しっかり継続して、力強く支えてくれるって思ってなかったので、父が先ほど証言でも言ってたように、ひょっとしたら相談してたら、違った形になってたんじゃないかなっていう後悔の気持ちもあります」
「あなたは人を助けることができるんやね」拘置所でどんな生活を送っていたのか
──ちょっと、いまの生活のことを聞くな。拘置所での生活のことな。あなたは、滋賀拘置所で勾留されていたときはずっと独房におったな。
「はい」
──でも大阪拘置所では雑居房に入ったな。
「はい」
──あなたは大学を卒業して、看護師として働いていた。まあ教養のある人間だと思うんだけども、いま同じ部屋には、たとえば中学校しか出てない人とか、薬物中毒で刑務所を出たり入ったりしてる人、日本語が十分通じない人、あるいはお年寄り、いろんな人がいるよね。そういう人たちと出会って、どうでしたか。
「少し英語ができるので、通訳を頼まれたりとか、あとは漢字を教えたりとか、ちゃんとした手紙の書き方、文章が書けない人が多いので文章の書き方をアドバイスしたりとか、そういうことを頼まれたりするので、それをやったりしています」
──自分で自分の身の回りのことができない人がいるわけやね。
「そうですね。はい、できる限りでそのサポートもしてます」
──あなたは人を助けることができるんやね、いまでも。
「そうですね、はい」
──もちろんあなたがお母さんを殺したという事実は変わらへんし、そのことであなたは罰を受けてもらわんとあかんのやけども、本当のあなたは、いまでも価値のない人間だと思いますか。
「父や高校時代の恩師や、友だちの存在や、あとは同じ被収容者の人からも頼られたりとかもするので、価値がないということは思ってないです」
「いま、泣いてるやろ」あかりが裁判中に涙を流したワケ
──しばらく刑務所に行ってもらうことになると思うんやけど、あなたの場合ね、社会復帰後はどこでどんな生活したいと思ってる。
「父が帰りを待ってるところで一緒に暮らしたいなって考えています」
──あなた、大津の裁判所で裁判受けてるときは、泣かへんかったよな。
「はい」
──涙流してへんかったよな。
「はい」
──むしろ、何かしてやったりみたいな顔して被告人質問答えてたやろ。そやけどいま、泣いてるやろ。
「はい」
──それ、何の涙や。
「やっぱり、父と約8ヵ月ぶりに会って、何の罪もない父を裁判所に来させてしまったという、その申し訳なさがまず込みあげてきたのと、高校時代の恩師の方も来てくれてはりますし、自分は実の母親を殺した人間やのに、こうやって来てくれてることに対しての感謝の気持ちと、あとはやっぱりこういう人たちがいるのに、罪を犯したことに対する後悔の気持ちが、こうやってみっともないですけど、出るんだと思います」
──最後に訊くで。あなたに、良くも悪くも多大な期待をかけていたお母さんがいたね。
「はい」
──そんなお母さんに対して、いまどう思いますか。
「本当にもうお詫びの言葉も見つからないんですけれども、父が仏壇やお墓をきちんと作って、弔ってくれてるということなので、私も帰ったら、仏壇やお墓に向かって、ちゃんと申し訳ないということを伝えたいなと思います」
翌年1月に下された判決で、あかりは懲役10年に減刑され、検察も弁護側も上告することなく、判決が確定した。
(齊藤 彩/Webオリジナル(外部転載))
