愛子さま(代表撮影)

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【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】

高市首相が今上陛下を「こんじょうへいか」と呼んだのは「不敬」なのか?

「踊るサナエは久しからず」

 トランプとの首脳会談を終えた後の夕食会で、口を開け呆けたように踊る高市首相の姿を見て、そう思った。

 その前兆はすでにいくつも出ている。その一つは、高市首相が国会答弁で愛子天皇の可能性を“否定”したことだ。以来、週刊誌の高市攻撃が激しさを増している。

「女性・女系天皇の容認や“愛子天皇”を望む多くの声があるにもかかわらず、それを避けて議論を進めようとすることは、象徴天皇のあり方が国民から受け入れられなくなる危険性をはらんでいます」(小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授=女性自身4月7日号)

「皇位継承に長子優先が基本とされる欧州では、愛子さまと同世代で次期国王の王女たちが活躍しています。これまで、男系男子にこだわる日本の皇位継承の在り方については、国連から“女性差別撤廃条約に反する”として勧告が出されるなど、国際社会からは批判的に受け止められる向きもありました」(皇室ジャーナリスト=女性セブン4月9日号)

 週刊女性(4月7、14日合併号)は、天皇が今年の誕生日会見で「戦争の記憶と平和の尊さを次の世代へ引き継いでいく役割を愛子にも担ってほしい」と語った言葉を引用して、天皇も愛子さんに引き継ぎたいという思いを強く持っているのではないかとみている。

 週刊新潮(4月2日号)は高市首相の「言行不一致」をなじっている。というのも、高市首相は過去に「私は、女性天皇には反対していません」(文芸春秋2022年1月号)と、女性天皇を容認する発言を繰り返してきたからだ。

「女性天皇容認派」とみられていた。そのため“愛子天皇実現に近づいた”と期待した世論や週刊誌から「裏切り者」とみなされたのである。

 新潮は幾多の例を挙げながら、女性天皇の実現は可能だと説く。現行の皇室典範は1947年に施行されたが、それより前の旧典範が制定されたのは1889年。明治に入ってからのもので、それ以前に「皇位は皇統に属する男系の男子」という規定はなかった。

 旧典範が制定された頃は、「明治維新で国際社会に仲間入りした日本が、独立を維持するため軍事的にも強い近代国家を目指し、男性中心の社会構造」(所功・京都産業大学名誉教授)だったからで、今とは全く違っていた。

 さらに、1954年、岸信介自由党憲法調査会長が取りまとめた「日本国憲法改正案要綱」には「皇室典範を改正し、女子の天皇を認める」と明記していた。中曽根康弘も議員時代、同様の主張を繰り返していた。小泉純一郎に至っては首相時代、女系・女性天皇も容認する典範改正に着手していたのである。

 新潮は、高市首相がウルトラ保守を自認するなら、自民党の戦後史も勉強すべきだと叱りつけ、「8割の民意を蔑ろにするのであれば、無傷では済むまい」と凄んでいる。

 私も愛子天皇を望んでいる一人だが、こうした論争を見ながら、愛子さんや両親はどう考えているのだろうと思いを巡らせる。

 天皇は生まれも育ちも皇室だから、娘に跡を継いでもらいたいと思っているのだろうか。雅子皇后は、民間人から皇太子妃として皇室に入り、さまざまなイジメに遭って「適応障害」になった体験から、娘には皇室を離れ、自由に羽ばたいてほしいと思っているのではないか。

 高市首相を含めた政治家は、天皇一家の“真情”の一端でも知るために、もっと寄り添うべきである。

 愛子さんは成人会見で、結婚相手は、「一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」と話していた。かなうといいなと私も願う。

 しかし、基本的人権も恋愛の自由も、言論表現の自由さえも制限される世界に飛び込んできてくれる“良き伴侶”を見つけることは、愛子さんにとって天皇になるよりも難しいことかもしれない。 (文中一部敬称略)

(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)