【安江 伸夫】イラン危機で出遅れた日本に対して、東アジアの盟主を自負する中国が見せた外相・特使の「ダブル中東外交」全内幕
イランでの戦闘は米国とイスラエルによる奇襲から始まり、米国に関連した湾岸周辺国への報復攻撃、ホルムズ海峡の事実上の封鎖にまで発展した。中国はそこから何をよみとったのだろうか。中国自身も台湾を急襲しようと考えただろうか。
そうではない。中国が導き出したのは、世界から厳しい批判を浴びた超大国・米国の外交の逆の道を進み、世界の信頼を獲得する方策を模索し始めたということだ。
一般論として、大国は国際紛争の解決を、自国の国益拡大に利用しようとする傾向がある。だが中国はもう一つ教訓を得た。国家構造の似た中東の大国イランが示した脆弱(ぜいじゃく)性から、同様の危機が自らに及ぶ可能性を認識した。中国はこの弱点を乗り越え紛争解決の仲裁役になり得るのか。
イランの脆弱性に震えた中国
3月1日、ハメネイ師の殺害は2月28日だったと発表された。『人民日報』系メディアの『環球時報』は、攻撃からハメネイ師の死亡が確認されるまでのニュースを連日速報で伝えた。3月3日には「中東混乱の教訓」と題する安全保障専門家の論説を掲載した。この論説は、中国が汲み取るべき教訓としてイスラエルの卓越したインテリジェンス能力とハイテク技術を指摘し、中国も“襲われかねない”という危機意識を持たねばならないと訴えた。
イスラエルは親イラン系組織を標的にし、2024年にレバノンのヒズボラ指導者のナスララ師、パレスチナのハマス指導者のハニヤ師とシンワル師を相次いで暗殺した。今回のハメネイ師暗殺では米国と連携して攻撃を仕掛けた。
米国は軍事力を見せつけた。イスラエルは蓄積した情報収集力、スパイ摘発能力、機密保持力、緊急事態への対応力を発揮し、国家としての結束力を示した。これらがイランという主権国家の防衛線を突破し、指導者を襲撃し、指揮系統を麻痺させたと論説は指摘した。
イランは深刻な脆弱(ぜいじゃく)性を露呈した。インテリジェンス・システムが“屋上屋を架す”複雑な構造で効率が悪い。敵対するイスラエルに特化した専門部門も確立していない。
国家安全に関する専門知識も不足していた。こうした弱点が外部勢力の浸透を許し、汚職による買収、情報漏洩、そして指導者警護への緩みへとつながったと論じた。
『環球時報』はその後も、イランの最高安全保障委員会トップのラリジャニ氏やハティブ情報相など要人の暗殺を速報し、政府内の情報漏洩容疑で逮捕・処刑される人物や集団に関するニュースを逐一伝えた。
中国国営『新華社』のSNSアカウント「牛弾琴」も3月2日に「この戦争から学ぶべき5つの教訓」を列挙した。第一の教訓はイラン内部の「裏切り者」の恐ろしさだ。米CIA(中央情報局)とイスラエル情報機関のモサドは、急襲当日にハメネイ師らが会合を開くという情報を入手していた。これは「人間のスパイ(ヒューミント)」を潜入させたと考えるほかなく、イランの対スパイ活動は形骸化していたと指摘した。
第二の教訓は、「平和を信じた油断」である。イランは、米国との交渉がスイス・ジュネーブで進行中である以上、襲われることはないと甘く見ていた。中国の王毅外相はハメネイ師殺害直後に「和平交渉中の指導者殺害は断じて許されない。国際法に違反する」と訴えた。
第三は、イランの「軍事力と技術力の弱さ」だ。ミサイルやドローンに頼らざるを得ず、総合的な軍事力不足を露呈した。
第四は、逆説的に米国側から学ぶべき教訓として挙げた、「勝者の幻想」という米国の過信である。イランは劣勢に見えても生き残りを懸け必死で反撃し、戦争はさらに拡大する。世界経済に深刻な打撃を与えると分析した。
第五は、「自国しか信頼できない世界」への警告である。世界にリーダーだったはずの米国は、国際法や倫理を無視し、戦闘の正当性すら示せない。そこから生まれるのは、他国への依存を減らし自国のみを頼る“弱肉強食”の秩序だろうということだ。
多様性がもたらす国家の不安定
中国がなぜイラン情勢から明日は我が身だと自省したのか。それは両国の構造や近代史の背景が驚くほど似ているためである。イランにはペルシャ人、トルコ人、クルド人、アラブ人など多民族が住み、言語も多様だ。宗教もシーア派イスラム教を中心に、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教まで多岐にわたる。19世紀から20世紀前半にかけ、領土と原油を狙った列強の侵略を受けた痛みが、近代国家形成を阻んだトラウマとして今も残っている。
現在のイランでは、正規の国軍とは別に、宗教指導者でもあるハメネイ師後継のモジタバ師に直属する「革命防衛隊」が強大な権力を握る。彼らはハマスなど中東各国の親イラン組織を支援し、米軍基地を威嚇(いかく)するなど反米的な動きを強めている。
中国もまた、多民族、多言語、多宗教の大国である。力を持った地方政府はしばしば中央政府と異なる独自性を発揮し、それが新たな利権構造を生む。利権集団が海外勢力と結託し中央政府を揺さぶる危険もある。
不安定要因を抑え込む共産党
今日の中国は、こうした潜在的な不安定要因を、共産党独裁、漢民族中心の中華民族への統合政策、厳しい言論統制によって押さえ込んできた。しかし、ここには本質的な矛盾が横たわる。
経済発展を維持するには社会を完全に統制することはできず、情報統制を強めすぎれば民衆の素朴な声も海外の批判も指導者層には届かなくなる。日本や米国を含む外国との交流や提携を完全に断つことは不可能だ。
中国は強大な軍事力と共産党の強権でにらみを利かせる大国だが、その一方で、民衆の反発や外国による揺さぶりに対し、過剰なほどの警戒心を抱えやすい。イラン情勢から得た教訓を踏まえ、中国は軍事力やスパイ摘発、言論統制の強化をいっそう進めるのだろう。
では中国は「自国しか信頼できない」として、唯我独尊の道を進むのか――。そう思われた矢先、中国は戦乱の中を仲介外交に乗り出した。
中国はサウジアラビアやUAEアラブ首長国連邦、イランのいずれとも経済関係が深い。イスラエルともハイテク産業を中心に協力関係がある。「一帯一路」や上海協力機構などを通じた中東との協議の枠組みを持っている。
米国に対抗したシャトル外交
中国が始めたのは、王毅外相と翟隽(ジャイ・ジュン)特使による「両輪のシャトル外交」だ。王毅外相が湾岸諸国や、関係の良好な常任理事国であるロシアや英仏外相と相次いで電話会談し、“上空からの外交戦”を展開した。特使の翟隽が、地上での歴訪を短期間で進め、戦闘激化に反対し対話による解決を目指す中国の立場を直接伝えたのである。
二人の年齢は近い。王毅は習近平と同じ1953年生まれの72歳。翟隽は1954年生まれの71歳である。翟隽は北京外国語大学を卒業後、中国外務省に入省し、エジプト・カイロ大学でアラビア語の研修を積んだ。駐フランス大使も務めた経歴を持つ中東外交の専門家だ。
王毅の動きは迅速だった。米国とイスラエルによるテヘラン急襲直後の3月1日から、全人代開催前日の4日まで電話攻勢をかけた。全人代が5日に始まると、王毅は8日の記者会見で外交方針の大枠を示し、翌9日から電話外交を再開した。
王毅が地ならしをした後を追う形で、翟隽が3月8日から17日までペルシャ湾岸の各国を歴訪した。中国はこの短期間に前例のない密度で動き、同じ大国でも米国が軍事力で揺さぶりをかけるのとは対照的な“外交力の示威”を行ったのである。
中国の貢献が、対立双方のブレークスルーにつながるかはなお不透明だ。イラン問題の根幹には核開発疑惑がある。2015年、核開発計画を放棄する代わりに経済制裁を解除するイラン核合意が、国連常任理事国の米中英仏ロとドイツ、イランの7か国で結ばれた。しかし2018年にトランプ政権が合意を離脱し、イランへの経済制裁を再開したことで合意は事実上崩壊した。イランは反発し核開発再開へと傾いた。ロシアもウクライナ戦争で協議から遠ざかった。その合意を再建できるかがカギとなる。
中国が行ったことは仲介国としての基本手法だ。自国の立場を伝えるとともに、各国の主張を丁寧に吸い上げた。湾岸諸国への理解を示すことも重要だ。イラン攻撃直後からサウジアラビア、UAE、バーレーン、カタール、クウェートでは「戦闘当事国」ではないにもかかわらず、米軍施設が存在するため巻き添えを受け、イラン側からインフラやエネルギー関連施設、民間施設までが攻撃されたという認識が広がっていた。イランによるホルムズ海峡封鎖も始まっていた。
湾岸地域で仲介外交の実績のある国々に協力を求め、発言力を有する国家と関係を構築することは中国の信頼性を高める。自由なメディアが中国や中東各国にはないが、政府発表を突き合わせると、中国が国際規範を踏まえて対話による解決を訴え、戦闘激化に反対する“バランスのとれた外交”を展開しているとして各国が歓迎を示していることが浮かび上がる。中国が対立する双方から信頼を獲得している構図――少なくともそうしたナラティブ(物語)を世界に広めることに中国は成功したのである。
王毅外相の「奮闘」
王毅の戦闘開始直後からの電話会談は以下の通りである。
3月1日、王毅が最初に電話をかけた相手はロシアのラブロフ外相だった。王毅は、国連安保理における連携と、即時停戦への支持を確認した。ロシアは国際政治の舞台においても、またイランにかわる原油供給の面でも、中国にとって重要なパートナーである。
3月2日にはイランを含む三か国の外相と会談した。イランのアラグチ外相に対し、王毅は米国とイスラエルによるイラン攻撃を批判してイランの主権尊重を訴える一方で、イラン自身も湾岸諸国への配慮を忘れるべきではないと釘を刺した。イランは“米軍施設がある”ことを理由に湾岸諸国へ反撃したが、王毅はこれを牽制した形だ。
同じ2日、王毅は国連常任理事国であるフランスの外相と会談し、攻撃は国連安保理で協議されておらず国際法違反だと主張した。バロ外相もフランスに事前通告のない武力攻撃に強い不満を示すとともに、「核計画の交渉への参加を拒否したイランにも責任がある」と非難した。オマーン外相には仲介の継続を求めた。オマーンは攻撃直前まで米国とイランのジュネーブ協議を支えていた“裏切られた国”だ。
続く3月3日、王毅は戦闘当事者のイスラエル・サール外相と会談した。「イスラエルと米国によるイランへのあらゆる軍事攻撃に反対する」「武力攻撃は解決にならない」「即時停戦が必要だ」と明確に伝えた。イスラエル側は、中国がロシア寄りで米国側と距離を置いていることへの不満を伝えたようだ。
4日にはサウジアラビアのファイサル外相、UAEアラブ首長国連邦のアブドラ外相と会談した。両国はホルムズ海峡安定に欠かせない存在である。王毅はこの両国との会談で中国政府の特使として翟隽を派遣することを正式発表した。
外相と特使の“両輪外交”展開
王毅の電話と翟隽の地上の両輪外交が本格化する。
3月8日、王毅は開催中の全人代で中国の外交政策について1時間半にわたる記者会見を行った。「中国の役割こそが世界を平和と安定に導く重要な要素だ」というメッセージが、ニュースを通じ世界に発信された。同日、翟隽は湾岸諸国への外遊を開始した。
翟隽はサウジアラビアを訪問し、続いてホルムズ海峡に面するUAEアラブ首長国連邦、さらにバーレーン、クウェートへとペルシャ湾岸沿いに移動した。クウェートからエジプトに飛んだ。この間、王毅は電話外交を継続し、翟隽を側面から援護した。
サウジアラビアでは、翟隽は王毅が電話会談を行ったばかりのファイサル外相と対面した。サウジアラビアとイランは2023年に外交関係を正常化するまで対立してきた。両国の和解を仲介したのが中国である。関係修復の発表は両国政府閣僚を北京に招いて行われた。サウジアラビアは第二次トランプ政権以降、米国との関係強化も進めており、米ロ間の仲介外交の経験も持つ。
翟隽はサウジアラビア側に即時停戦への協力を求めた。サウジアラビア側は中東地域の安定に向けた中国の努力を評価した。ただしサウジアラビアもこの後10日に会談するUAEも、米国との関係も良好であり、中国の姿勢に対して踏み込んだ言及は避け、米中双方への配慮を印象付けた。
王毅も動き続けていた。3月9日にクウェート外相、バーレーン外相と電話会談し、10日にはカタール外相、パキスタン外相と電話会談した。パキスタンはこの後、米国とイランの停戦協議の開催地として名乗り出た。この王毅との会談はパキスタンのダール副首相兼外相から申し出たものだった。
同じ10日、翟隽はUAEアラブ首長国連邦を訪れアブドラ外相と会談した。UAEはアラブ諸国の中で2020年に第一次トランプ政権が主導したアブラハム合意でイスラエルとの関係正常化を率先して行った経緯がある。米国との関係も良好で、これにイランは強く反発していた。そのUAEは今回、イランの報復攻撃で米軍関連や民間の施設などが被害を受け、死者も出ていた。翟隽はUAE側に理解を示すとともに、すべての湾岸諸国の主権・安全・領土主権が尊重されるべきだと訴えた。UAE側も中国側の停戦努力を称賛し協力する意思を示した。
3月12日、王毅は翟隽が間もなく訪問するエジプトのアブデルアティ外相と電話会談した。同じ12日、翟隽はバーレーンで外相と会談した。
15日、翟隽はクウェートに移動した。外相との会談で翟隽は、「米国とイスラエルによる攻撃は国際法違反だ」とこの歴訪で初めて名指しで非難した。同時にイランによる湾岸諸国への攻撃も批判した。15日には電話でカタールの外相とも会談した。
17日、翟隽はエジプトを訪れた。エジプトは湾岸諸国から距離的に離れているものの、イスラエルも含めた地域の安全保障の重要な柱として湾岸諸国も期待を寄せている。
カイロに本部を置くアラブ連盟のアブルゲイト事務総長と会談。さらにエジプトの外相とも会談した。エジプトは中国と国交正常化70周年を迎える。アブデルアティ外相はイラン側による攻撃の停止を訴えるとともに、ガザ紛争やそのほかの国際問題解決においても中国に協力を求めた。翟隽はここで中国への帰国の途に就いた。
東アジアの盟主にこだわる中国
帰国後、翟隽は3月20日に北京で、イランの駐中国大使と会談。24日にはイスラエルの大使とそれぞれ会談した。いずれも紛争当事者であり「中東地域の緊張情勢をめぐって意見交換した」との発表を越える情報公開はない。
王毅も、19日に英国側からの要請でクーパー外相と電話会談した。英国側は中国との緊密な意思疎通を通じて中東紛争の早期終結と問題解決を推進したいと述べた。英国政府側の発表は控えめで、米国への配慮がうかがえる。
24日、王毅はイラン側の要請に応じてアラグチ外相と電話会談した。王毅が即時停戦を求めたのに対しイラン側は「一時的な停戦ではなく包括的な停戦でなければならない」と主張した。ホルムズ海峡は「戦争状態にある国の船舶は安全航行の対象外」であるとし、米国や米国に同調する国々は対象となるが、中国などは対象外だと示唆した。
中国は5月中旬に米国のトランプ大統領を北京で迎え、米国とも中東情勢を俎上に上らせるだろう。
イランと湾岸諸国をめぐる王毅外相と翟隽特使の仲介外交は、問題解決の決定的な突破口を示したわけではない。そもそも中国の紛争仲裁は、一方に圧力をかけ制裁をちらつかせる米国の手法とは異なる。中国は敵対する双方の間にバランスよく立ち、平和解決を訴え、中国自身の存在感を示すやり方をとる。どちらか肩入れすれば、自国が利用され、論争や反発が国内に及ぶ危険がある――これを中国は警戒している。
2000年代、中国が議長国を務めた朝鮮半島の非核化をめぐる6か国協議が典型である。5年間続いた協議は、中国の影響力を国際社会に印象づけはしたが、北朝鮮に核放棄を約束させることはできなかった。しかし、中国が関係各方面の主張を聞き、関係を維持しながらバランスを取れる位置に立つだけでも、一定の安心材料を提供できていたのも事実である。
中国はイラン情勢を教訓としながら、自国の脆弱(ぜいじゃく)性や米国の失策を分析し、中国から地理的に離れた場所での仲介外交という新たな役割を模索している。しかし中国の視線は中東に向けた安心材料提供の外交にとどまっているわけではない。中国は東アジアでは“盟主”の地位にこだわっている。では、この視線の先に誰を見ているのか――日本である。
遅れる日本外交と中国の警戒
日本は動いているのだろうか。
茂木敏充外務大臣の行動を追って見た。日本の外務省の発表を見る限りいずれの会談も中国に出遅れている。しかも米国とイスラエルに対する配慮が随所ににじみ出ている。
茂木大臣は3月3日、米国イランの協議を仲介していたオマーンのバドル外相と電話会談を行い、その努力をねぎらった。4日にはカタール外相と会談し、カタールなど周辺国が受けたイランによる攻撃被害に対し、イラン側の行動を批判する立場を伝えた。
3月6日にはイスラエルのサール外相と電話会談し、攻撃の応酬に懸念を示し、事態の鎮静化を求めた。イランのアラグチ外相とは9日に電話会談した。イランによる湾岸諸国の民間施設などへの攻撃、ホルムズ海峡の航行の自由を脅かす行為を非難し停止を求めた、イランによる兵器開発は許されないとの立場も伝えた。
16日には、サウジアラビアのファイサル外相、UAEのアブドラ外相と相次いで電話会談し、翌17日のイラン外相との会談を意識したのか、厳しいイラン批判は抑制し、イランによる攻撃被害への見舞いを述べるとともに、イランに対し地域やホルムズ海峡の安全確保を求めることを訴えるにとどめた。米国のルビオ外相とも16日に会談したが、外務省の発表では、米国側とイラン情勢への対応で緊密に意思疎通していくことで合意したところで踏みとどまった。
17日のイラン・アラグチ外相との会談では、イラン側による湾岸諸国への攻撃やホルムズ海峡封鎖をただちに停止するよう求めた。封鎖は日本を含めた世界経済に深刻な影響を与えていた。この会談を受け、イランは日本の船舶のホルムズ海峡通過向け日本側と協議に入ったと、アラグチ外相が共同通信の取材で語った。
26日には、自民党の日本・イラン友好議連が総会を開き、駐日イラン大使のペイマン・セアダットを招いてイラン側の主張を聞いた。総会を呼びかけた会長の岸田文雄元総理大臣は、米国とイランの双方と日本は良好な関係を築いてきたとし、「両国との関係のバランスを取りながら国益を守る」と訴えた。
日本は「東アジアのイスラエル」?
中国の日本に対する見方はどう影響を受けたのだろうか。イラン攻撃で中国が連想した教訓がもう一つある。それは「中東でのイスラエルの役割を、日本が東アジアで果たすのではないか」という懸念である。
中国出身の国際政治学者の鄭永年は、3月18日の北京の日刊紙『新京報』でこう語っている。
「中国が直面する大きな課題は日本が“東アジアのイスラエル”になるのを阻止することだ。自国の目的を達成するために米国に日本が操られるような状態を防がねばならない」
理由は明らかだ。イスラエルが米国の戦略の片腕となってイランを揺るがしたように、日本もまた東アジアで中国の体制を揺るがし得る存在だからである。
中国にとって日本は、もはや単なる近隣国ではない。米国主導の既存の国際秩序の中核であり、米国が内向きになるほど、東アジアでは日本が米国の代替として秩序の力を発揮する可能性が高まる。たとえ軍事力では中国に及ばなくとも、日本は東アジアの“盟主”を目指す中国にとって強力なライバルであり、中国の脆弱性を突きうる存在となっていくというのだ。
中国が属したかつての秩序では、中国皇帝を中心とした世界だけで完結していて、異なる国との関係で譲歩したことはない。その知恵も必要ではなかった。だが今日、仲介外交を模索することを通して、米国と異なるもう一つの大国像を世界に通用するものにしようとさまざまな教訓に学んでいるのだといえよう。
世界の多極化が加速
米国が自国第一主義で内向きになり一極覇権から多極化が加速する世界で、中国は新たな顔を世界に示し始めた。ひとつは“仲介者”であり、もうひとつは東アジアの“盟主”だ。
日本の一挙手一投足が中国の存在を揺るがしかねないと映る。日本は日米同盟を軸にしつつも、中国が描く新たな秩序の力を冷徹に見極めなければならない。米国の単なる補助輪ではなく、東アジアの安定に寄与する独自の立ち位置をいかに築くかだ。時間がかかっても良い。問われているのは、日本自身の戦略なのである。
【日米首脳会談】高市首相のトランプへのハグ、「バディ」発言に隠された「したたかな戦略」…アメリカ在住者が驚いた「型破りの外交術」
