(※写真はイメージです/PIXTA)

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「老後の備えは万全」。そう信じて疑わなかった家族を、突如として予期せぬ困難が襲います。神奈川県で一人暮らしを送る76歳の男性は、十分な年金と1,200万円もの預貯金がありながら、ある日を境に自らの資産を自由に動かせない事態に陥ってしまいました。超高齢社会で誰もが直面しうる「資産凍結」のリスクと、家族で共有すべき備えについて考えます。

残高はあるのに、手続きが進まない

神奈川県で1人暮らしをする田中一郎さん(76歳・仮名)。月々の年金は手取りで16万円ほどです。持ち家もあり、退職金と合わせた預貯金は1,200万円ほど。「生活資金には困らない」と考えていたといいます。しかし、父の変化に気づいたのは、長男の田中健太さん(48歳・仮名)でした。

「最初は些細なことでした。通帳の置き場所を忘れたり、同じ話を繰り返したりするようになったんです」

2026年に入り、一郎さんは体調不良で通院を始めました。明確な病名は診断されていませんでしたが、日常生活で判断に時間がかかる場面が増えていきます。問題が表面化したのは、銀行での手続きでした。

「キャッシュカードの暗証番号を何度も間違えてしまい、ATMが使えなくなったんです」

再発行のため、健太さんが付き添って金融機関の窓口を訪れました。しかし、手続きはその場で完了しません。本人確認において、意思の疎通が難しい場合は即日対応ができない可能性があると説明されたそうです。

一郎さんは受け答え自体はできるものの、質問の内容によっては回答が曖昧になる場面がありました。金融機関側は、不正利用防止の観点から慎重な対応を取ったのです。その後、定期預金の解約や口座の設定変更も試みましたが、いずれも「本人の明確な意思確認」が壁となりました。

「委任状があれば十分だと思っていましたが、それだけでは対応が難しいケースもあると言われました」

結果として、預金そのものが没収されたわけではありません。公共料金や家賃の引き落としは従来通り継続されています。しかし、新たな契約や変更を伴う取引については都度確認が必要となり、そのたびに多くの時間を費やすことになりました。

「お金はあるのに、必要なときに動かせない。『嘘だろ……』の連続ですよ」

金融機関からは、今後の対応として成年後見制度などの利用も案内されました。しかし、制度の利用には家庭裁判所への申立てや審査が必要で、即効性のある解決策ではありません。

「父は今でも『自分でできる』と思い込んでいますが、実際には手続きが進まない場面が増えています」

通帳の数字は変わらない一方で、資産を管理・活用する自由度は徐々に制限されていく――。その変化は緩やかで、気づいたときには手遅れに近い状態となっていたのです。

2030年には家計金融資産の1割、約215兆円が「凍結」の恐れ

厚生労働省が公表した最新の将来推計(2024年発表)によれば、2040年には高齢者の約15%が認知症になり、軽度認知障害(MCI)を含めると約3人に1人が認知症またはその予備軍になると予測されています。

これに伴い、判断能力が不十分な高齢者が保有する金融資産の規模も膨らんでいます。金融庁の有識者会議等でも、2030年には家計金融資産の約1割にあたる「約215兆円」が認知症の人の保有分になるとの試算が、喫緊の課題として共有されています。

金融機関は、全国銀行協会の指針に基づき、第三者による不正な搾取を防止するため、取引時の本人確認を厳格に行います。事例のように「意思能力」が曖昧と判断された場合、たとえ実子であっても、定期預金の解約や高額な出金が制限されるのが実情です。

厚生労働省によると、2024年12月末時点の成年後見制度全体の利用者数は25万3,941人で増加傾向にあります。しかし、制度の申立てから開始までには数カ月を要し、田中さんのように「今すぐ手続きしたい」という急ぎのニーズには対応できません。「お金はあるのに使えない」という事態に直面し、初めて問題の深刻さに気づく家庭は後を絶たないのです。

このようなリスクを回避するためには、本人の判断能力がしっかりしているうちに「任意後見制度」を活用して後見人を指名しておくことや、家族間で財産管理を託す「家族信託」の検討、あるいは多くの金融機関が導入している「予約型代理人指名」などの事前準備が不可欠です。

1,200万円という十分な老後資金があっても、本人の主観的な「大丈夫」と、金融機関が求める「法的な意思能力」の乖離を埋める準備がなければ、家族は突然の困難に直面することになります。

[参考資料]

厚生労働省「第2回 認知症施策推進関係者会議」(2024年5月8日開催)資料

金融庁 金融審議会 市場ワーキング・グループ「事務局説明資料(高齢者など認知・判断能力の低下した顧客への対応)」(2020年2月13日開催)