セミナーで「家庭をもって守りに入っていた」と気づいた…年下女性に「ギラギラしてる」とおだてられ カンチガイ53歳夫の大後悔
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岸野文剛さん(53歳・仮名=以下同)は、現在、深い後悔を抱きながら、アパートで一人暮らしをしている。学生時代からの仲間だった妻の彩花さんとは、とある悲劇をきっかけに関係を深めて結婚し、一男一女に恵まれた。誰にでも親切な彩花さんは、夫である文剛さんの世話も焼き、時に彼が「無意識の支配」を感じるほどだった。同居する文剛さんの母にも優しい「良妻」を、なぜ彼は裏切ってしまったのか。
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息子が4歳になったころだった。文剛さんは霧子さんという女性と会社から派遣されたセミナーで知り合った。5日間の集中セミナーを3ヶ月の間に3回受けるというもので、セミナーの間は会社での仕事が免除される。

「初日に隣に座っていたのが霧子でした。おはようございますと挨拶したのに、僕のほうをちらっと見て頷くようなそぶりをしただけ。不遜な感じの若い女だなと一瞬、不快感を覚えたんです。でも午前のセミナーが終わったとき『ランチに行きません?』と声をかけられて。うわっと思ったら彼女、向こうの席の男性や女性にも声をかけていた。結局、彼女の案内で、4人で近所の定食屋さんに行ったんです。彼女は『セミナーの場所が決まったときから、ランチはここにしようと目をつけていたんです』って。あとの3人がぽかんとしていたら、『すみません。私、食べることが好きで、どこへ行くのでもその近辺で何を食べようって調べちゃうんです』と照れ笑い。そういうタイプに見えないだけに、案外気さくでいい人なんだなと思いました」
霧子さんはランチの間も、ほどよく会話を進め、誰かが話すと聞き役に徹していた。頭の回転が速く、仕事のできる女性なのだとすぐわかった。帰りにお茶に誘うと、「帰って復習しなくちゃ。私は自腹でこのセミナーに来てるんですよ。最終日に一杯やりましょ」とにこにこしながらもぴしゃりと言われた。
「確かにセミナーの間中、彼女は前のめりになって聞いてメモして考えていました。僕はそんな彼女を横目で意識しながら、ときどきぼんやりしたり眠くなったりしたけど。自腹切ってる彼女は本気でしたね」
幸せな家庭で「守りに入っていた」
最終日。周りの人たちを誘って6人ほどで居酒屋へ行った。立場も環境も世代も違うのに、話をしていて楽しかった。文剛さんより年上の女性がいたのだが、「私にもまだまだ未来はある」と明るい笑顔で話していた。
「オレはいつしか守りに入っていたなあと思いました。そもそも人生、攻めるタイプではないけど、それでも家庭があって幸せだなとぼんやり生きていた。共働きだし、明日の米に困るような状況でもないし、子どもたちはかわいいし、妻はできた人だし。すべて受け取ることが僕の役目のようになっていました。自分の人生なんてあまり考えたこともなかった。家族が楽しくいられればそれでいい。でもみんなの話を聞いていたら、もう少し自分がどう生きるかを考えたいなと思い始めたんです」
まだ40代に入ったばかり。自分に何ができるだろう。そう思っていると、職場を辞めて独立準備を始めた先輩から声がかかった。「一緒にやらないか」と。今までの仕事の経験も生かせるし、大変だけどやりがいもありそうだった。
「最初からきみを誘いたかったんだけど、迷惑かなと思って躊躇していた。でも準備を始めてみると手応えがある。今ならまだスタート地点に立ったところだから、完全に対等な立場でやっていける。先輩にそう言われて、急に震えるほど興奮しました。何かやってやろう、いつまでも組織の駒ではいたくない。そんな気持ちになった。それを一回り年下の霧子に相談したんです。彼女は『無責任にどうこう言えないけど、チャレンジする意味はあると思う』と。彼女は20代にしてすでに起業していましたから、私でよければいつでも協力するとも言ってくれた。みんなどんどん自由になればいいとも。そうは言ってもと怯むと、『すべて自分の責任になる生き方も、案外気持ちがいいわよ』って。かっこいいですよね」
「ぎらぎらして魅力的」
霧子さんに煽られた面もあるのかもしれない。文剛さんは先輩に合流するべく、会社をあっさりと辞めた。彩花さんには相談しなかった。
「彩花なら応援してくれる、わかってくれると思っていました。そして思ったとおり、彩花は『わかった。生活はどうにかなるから、あなたは精一杯がんばって』と言ってくれた。事態を知った母が、文句を言いたそうでしたが『お義母さんが息子を信じなくてどうするの』と彩花に言われて渋々納得していました」
2年間は赤字だった。文剛さんと先輩は、以前勤めていた会社から下請けの仕事をもらったり、知人から細かい仕事を請け負ったりもした。地道にがんばっていけば、いつかこちらの企画も通るようになると信じた。
「3年目から風向きが変わってきました。似たような他社が倒産したこともあったし、僕らの仕事ぶりが認められたのかもしれない。徐々に仕事が増えていきました」
収入が増えると、周りの見る目も違ってくる。それでも文剛さんは派手な生活はしなかった。その代わり人脈が広がるよう営業をし、事業を広げていく基礎固めをしようと必死だった。スタッフも5人抱えた。
「霧子に言われたんです。『あなたの目が変わった。ぎらぎらして男として魅力的』と。当然、そういう言葉には弱いので、ついに霧子と男女の関係になりました。すると彼女は『私、不倫の関係は嫌』って。勢いで、わかった、離婚すると言ってしまった。彼女は自分の人脈を紹介してくれました。いくら地味にしようとしても、華やかな世界に駆り出されてしまう。そんな感じでしたね」
未来を自分で作る。そう決めてから人生の速度が上がったと文剛さんは言う。全力で駆け抜けている感じが好きだった。生き急いでいると言われたこともあるが、生き急いでばったり倒れるならそれもいいと覚悟を決めた。
自分の人生、これでいいのか。心のどこかでそんなモヤモヤを抱えた中年期の危機感。それを仕事のみならず女性に向けてしまう男性は少なくないと実感する。恋愛は、そんな危機感を吹っ飛ばしてくれ、さらに男としての自信を取り戻すことができる。本人にその意識があるかどうかは別として、結果的にそれが不倫関係へと発展して家庭での信頼や愛情を失う。それがわかっていながら突っ込んでいくのが、まさに「中年の危機」なのかもしれない。
帰らないと決めた日の朝 子供たちの言葉に涙がこぼれた
「離婚してほしいと妻に頭を下げたのが45歳のとき。彩花は、どうしてとも聞かなかった。わかった、私が出ていけばいいの、子どもたちはどうするの、お義母さんはどうするのと立て続けに聞かれて、僕が出て行くと言いました。母はどうしようと一瞬、思ったんですが、彩花が『私たちがここに残っていいなら、私はお義母さんとこのまま暮らすわ』と。今日はもう帰らないと決めた日の朝、息子が『日曜日はキャッチボールだよ』、娘が『その前の土曜日は遊園地だからね』と言ったんです。起業してからなかなか一緒に遊べなかったんですが、霧子と関係が深まるにつれ、子どもたちへの罪悪感が強まって、そのころは毎週末、ふたりと遊んでいたんです。ふたりの週末の予定を聞き、わかったと返事をしながら外へ出たとき、涙がこぼれました。オレは間違った方向に進んでいる。わかっているのにやめられない。霧子は沼だと、どこかでわかっていた」
なのに沼に向かって彼は飛び込んだ。霧子さんのマンションに転がり込んだものの、彼女は外食が基本で、時間があっても料理はしない。そもそも、20代で起業するなんてすごいと思っていたのだが、霧子さんの会社は彼女の父親が実質的に運営しているもので、彼女は「お飾り」の社長にすぎなかった。文剛さんはそれも、うすうすわかっていた。それでも飛び込んだのだ。
「もちろん、彼女自身も勉強していたし、それなりにがんばってもいたようです。ただ、裏にはいつも父親の陰が見え隠れする。彼女が華やかに振る舞うほど、父親の会社にもいい影響があったんでしょう。父と娘は仕事上、持ちつ持たれつの関係だったようです」
いざ暮らしてみると…「別人」
霧子さんの華やかな世界に同行しながら、文剛さんは自分の世界にも力を注いだ。だが、だんだんと霧子さんと一緒にいることに疲弊していく。そのうち、霧子さんは帰宅が遅くなったり外泊するようになった。婚姻届も出して結婚したのに、妻としてどうなんだと文剛さんが怒ると、霧子さんは「あなた、やっぱりあんまりおもしろくない」と言い捨てた。
「セミナーで会ったときの霧子と、実際に一緒に生活してみた霧子は別人のようでした。彼女はそうやって外では仕事のできる頭のいい女を演じていたんでしょう。演じられるだけの実力はあるのだから事業に力を注げばいいのに、そこは父親との確執や甘えが複雑に絡んでいるらしい。僕は彼女のわがままを聞いてくれる、理想の父親を求められたのかもしれません」
霧子さんは帰ってこなくなった。彼女が飼っている猫が不憫で、文剛さんは猫と一緒に夜を過ごすようになった。
「あるときから急に食欲がなくなって、食べても気持ちが悪くなって。自分でも顔色が悪いと思ったので、職場のスタッフにも促されて病院に行きました」
毎年、健康診断は受けていたが、霧子さんとのもめ事から気力をなくして受け損なっていた。しかもあんなに順調だった会社の売り上げが、ふと気づくと激減していた。仕事のパートナーである先輩がひとりで奔走していたのだが、彼はどこか他人事のように聞いていた。心ここにあらずだったのだ。
「大病を宣告され、先輩に相談すると『会社ももう無理かもしれない。規模を縮小しよう。まずはきみが健康を取り戻すのが最優先だ』と言われました。返す言葉もありませんでした。業務日誌や書類を見ると、先輩がどれほど大変だったかがわかった。治療をしながら仕事もする。だから縮小してもいいから続けてほしいと懇願しました」
すでにスタッフも減っていた。彼はそんなことも理解せずに霧子さんとの関係に溺れ、関係がうまくいかなくなってからは不安に怯え、結局、何年も仕事に本気で身が入らなかったのだ。そのことに自分自身でさえ気づいていなかった。
「そこから手術や内科的治療などをして、とりあえずは落ち着きました。その間に霧子とは離婚しました。思い出すのは、いつでも変わらず気を遣ってくれた彩花のこと。でも彩花はもちろん、子どもたちにも僕からは連絡できなかった。今さら、どの面下げてと思われるだけですから……」
時すでに遅し
ある日、母から連絡があった。先輩が病気のことを知らせたらしい。文剛さんは、つい気が緩んで泣き言を言った。
「『泣きたかったのは彩花ちゃんのほうだよ。あんたみたいな冷たい男、私の息子じゃないから』と母にきっぱり言われました。黙って電話を切るしかなかった。当然ですよね。もう僕からは連絡はできない。自分が悪いのだからと思ったけど、こんなときだから少しは心配してくれてもいいのにとも感じた。それが僕の弱さなんでしょう」
欲に身を任せたような霧子さんとの生活は楽しかった。だが、文剛さんは結局、彼女のいる世界になじめなかった。住む世界が違っていた。
古いアパートにひとりで引っ越した。霧子さんの父親が慰謝料として200万円ほどくれた。手切れ金だと文剛さんは解釈した。突き返したかったが、アパートを借りる費用にするしかなかった。
「霧子の飼っていた猫と一緒に越しました。この猫だけが僕の身内ですね。その後、彩花が一度だけ連絡をくれました。『一度は愛した人だから助けになりたい気もするけど、あなたがどれほど子どもたちを傷つけたかを考えると、どうしても体が動かないのよ』と。それはそうだろうと思いました。僕はもういないものと思ってほしいと伝えました」
一度くらいは罵倒してほしい
病を抱えながら仕事にも復帰したが、半年前、再発が確認された。治療する意味もないと考えたが、仕事のパートナーから『命ある限り精いっぱい生きてほしい』と言われ、前を向く決意をしたという。
「彩花にも子どもたちにも、許してほしいとは言えない。でも生きていたら、いつか会えるかもしれない。一度くらいは罵倒してほしい。と同時に、僕の後悔も知ってほしい。いや、知ってほしいというのは僭越ですね。でも僕が本当に愛していたのは彩花と子どもたちだということだけは伝えたい」
気持ちは日によって深く沈んだり前向きになったりの繰り返しだ。それでも先輩と、もう一度がんばろうと決めた仕事があるから、彼はなんとか毎日生きることができると言った。
「後悔している気持ちを、言葉や態度に表すなんて本当にむずかしい。表現した時点で、後悔してないと思われるだけでしょうし。どうしたらいいかわからないけど、今はとりあえず生き延びることを考えるしかないんです」
夜な夜な、彼は猫にかたりかける。「どうしようもない人間だよ、オレは」と。猫は彼の腕の中にすっぽりと入って顔をこすりつけてくる。彼の今の原動力は、その温かさだという。
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文剛さんの後悔の根底には、自ら終わらせた彩花さんとの家庭が幸せだったという事実がある。【記事前編】では、彼が当時抱いていた“不満”を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
