「Rii.MJ」エグゼクティブプロデューサー キム・ミジョン(撮影=三橋優美子)

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 新レーベル「Rii.MJ」(リ・エムジェイ)が始動した――その実態はひとりの韓国人プロデューサーが日本で人生を懸けて挑む異例のプロジェクトだった。

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 手がけるのは、BTSやTOMORROW X TOGETHERら数多くのグローバルスターを発掘/新人開発してきたキム・ミジョン。彼女がレーベル「Rii.MJ」の第1弾アーティストとして世に送り出すのは、ボーイズグループ・VIBY(バイビー)だ。

 運命に導かれるように動き出した新天地での挑戦。そして3年はかかると思っていた原石たちとの奇跡のような出会い。スターを世界へ羽ばたかせるとはどういうことなのか。彼女の歩みと美学、注がれる愛情を聞けば、このプロジェクトが切り開く未来をますます楽しむことができるはずだ。(佐藤結衣)

■北は北海道、南は沖縄まで――日本中を巡ってスカウトで集めた練習生

――キム・ミジョンさんはHYBE(BIGHIT MUSIC)所属のキャスティングチームのリーダーとして活躍されていました。なぜ、今日本で新たなプロジェクトを始動させたのですか?

キム・ミジョン(以下、ミジョン):10年以上、K-POPシーンの新人開発分野で働いてきて、ありがたいことに才能豊かなアーティストたちとも出会うことができました。そうして最前線で走り続けてきたなかで、自分を見つめ直すタイミングとして、1年間リフレッシュ休暇を取ろうと日本にやってきたんです。

 なぜ日本だったのかというと、もちろん日本が好きだということもありますが、どこかで日本のエンタメ市場に対する好奇心もあったのだと思います。「もう少し探せば、本当にいい人材が見つかるんじゃないかな」という説明できない気持ちみたいなものがずっとあって。それで、実際に街を見てみたり現地のデータたちを見てみたいと思ったんです。

――では、最初はお休みのつもりで?

ミジョン:そうなんですよ。だから、私が今この場でプロデューサーとしてインタビューをしているのが自分でも驚いています(笑)。ただ、日本にきてみて思ったのは、やっぱり自分の予想は合っていたんじゃないかっていうことで。だんだん、自分のなかでも欲が出てきたのを感じました。もっと深く探してみたい。そう思いました。

――そうだったんですね。

ミジョン: そうして、今まで積み上げてきたデータ、ノウハウを活用し探しているうちに、「あっ!」って思う子を運命的に出会ってしまって。それは本当に思いもよらぬ展開でした。「この子を世に送り出さなきゃ!」――そんな突き動かされる思いで、移動中の新幹線のなかで「Rii.MJ」レーベルについて企画し始めました。今振り返ってみると不思議な経験ですが、躊躇なく企画を書き下ろしていたんです。

――この企画があってミジョンさんが呼ばれたのではなく、ミジョンさんが見つけた人材がいて、このプロジェクトが生まれたんですね。

ミジョン:そうです。当初は誰か別のプロデューサーにお任せするイメージで企画を思い描いていたんですよ。実は、私は韓国でも制作をすることを夢見たことがありませんでした。「ミジョンさんがぜひ直接プロデュースをやってください」という流れになり……。ならばと、通訳さんと一緒に、北は北海道から南は沖縄まで、いろんな場所を巡ることにしました。韓国ではチームリーダーとしてスタッフを管理する側にいたんですが、久しぶりに自分の足で日本中を隅々まで歩いて、私自身も新入社員に戻ったような気持ちになりましたね。時には、インターネットにも載っていないような小さなアカデミーにも足を運びましたし、各地の女子高生たちにリファレンスを見せながら「近くにこのようなイメージの男の子はいたりしませんか?」なんて聞き込みをしたこともあったし、知らない地域をとりあえず歩き回った会見もありました。

――まさに、発掘ですね。

ミジョン:はい。私の経験上、いちばん早い方法は、やはり専門家が直接見つけにいくことです。その結果、わずか5カ月で12名もの練習生たちと運命的に出会うことができました。これだけの逸材を見つけ出すのは、韓国の大手事務所でも3年以上はかかるものだと思うんです。本当に、奇跡のような、あり得ないスタートでした。もちろん、これが「奇跡だ」というのを実感した人は、当時私しかいませんでした。

■大事なのは、本人が自分から「頑張りたい」と思える構造をいかに作り上げられるか

――12名の練習生たちは約2年、韓国でトレーニングをされたそうですね。

ミジョン:今思うと、よく私を信じてついてきてくれたなと思います。保護者のみなさんも、よく知らない外国人の私を信頼してくださって、本当に感謝しきれません。

――そこから、どのようにトレーニングを組み立てていったのでしょう?

ミジョン:練習生たちの大半は、歌やダンスの経験ゼロで、具体的な夢を抱いたこともない子たちでした。そんな彼らやご家族に対して、最初にお伝えしたのは「あなたには可能性があります」ということで。でも、その時に感じていた「可能性」という言葉には収まりきらないほど、彼らのポテンシャルのすごさに気づかされる日々でしたね。何ができていて、何を努力するべきなのか、レベル分けをして、月末の評価タイミングを設けて……とシステムを構築するところからスタート。もちろん、成長や可能性が見えない子に関しては、すぐ日本に戻すつもりでいました。でも、本当に期待を裏切る子はひとりもいなくて。むしろ「この子たち、尋常じゃないな」と思わされました。私のなかにあるデータが覆されるスピード感でした。

 正直、もっと短期間でデビューさせることも可能ではありました。実際、周りからも「日本の市場だったらもう十分なのでは?」という声が上がったこともあったくらい。でも、この子たちの可能性はそんな軽く扱っていいものではないという想いが、日に日に強まっていったんです。当初、組んでいたスケジュールや予算を再構築しながら、彼らのデビュータイミングを万全に整えていきました。

――予算も、ですか!?

ミジョン:当初半年だった予定が練習生を連れてきてから3カ月で計画を変えちゃいました。日本でも異例の事態なんです。なぜそれだけ期間が必要なのか、そのためにはどのくらいのコストがかかるのかをちゃんと証明しなければと思っていました。なかでも驚かされたのが、食べ盛りの男の子たちの食欲(笑)。私が自腹で野菜や果物を買って差し入れたこともありました。やっぱり、成長期の子どもたちには栄養のあるものを食べさせないといけませんからね。

――もはやお母さんですね。

ミジョン:実は、私は「お母さん」という表現がそんなに好きではないです(笑)。まずメンバーのいちばん近くにいるいい大人になりたかったのです。しかし、保護者の方にも「アーティストになる前にまず健康でいいマインドを持つ人になるように育てます」とお約束したので、幼い彼らを預かっている責任は果たさなければという思いが強くありました。なので、よく食べることはもちろんですが、心身ともに健康であることにも注意していました。

 よく日本では「K-POPのトレーニングは厳しいんでしょう?」なんて言われますが、むしろ私は「早く帰って寝なさい」と言い続けてきたくらい。休む暇もないくらい強制的なプログラムは、今の時代は行っていませんし、合ってもいない方法だと思いました。大事なのは、本人が自分から「頑張りたい」と思える構造をいかに作り上げられるかだと思うんです。

■「2029年にはドームツアー」――異例のボーイズグループが3年以内に見据える未来

――あらためて、アーティストとしての“基礎”とは何でしょうか?

ミジョン:もちろん、ダンスやボーカルなどステージパフォーマンス部分のスキルも必要ですが、私のなかでは、アーティストの前に“いい人柄を持つ人間”であることが大事なんです。なので、いちばん最初に強く強調したのは礼儀と挨拶。腰から90度に頭を下げてお辞儀をするところから始めました。一緒に過ごす人たちに対する感謝の気持ちを伝えられること。もし過ちを犯してしまった時には、最初に言い訳をするのではなく、まずは素直に認めて謝罪すること――。そういった部分を最も大切にしています。

――そんな人としてのベースがあってこそ、世界に羽ばたくスターが育っていくわけですね。

ミジョン:私はそう思いますね、一般的に“育成”と言うと、プロデューサーのコンセプトに練習生たちの実力をあてはめていくような印象を持たれるかもしれませんが、私の場合は「その子たちの持ち前の魅力をいかに引き出していくか」が大事だと思っています。そのうえで、彼らのなかでやりたいと思ったことを伸ばすという部分にも重視しています。

――なるほど。日本では、ワントップでプロデュースしていくスタイルがオーソドックスな印象です。

ミジョン:そうですよね。なので、今回日本にきていちばん大変だと感じたのは、そうしたチーム構造やシステムがないことでした。練習生たちに向き合いながら、彼らを支えていくチーム作りが最も大きな課題だったと思います。結果として、韓国のクリエイティブチームやマーケターなど、スタッフサイドもいい人材を集めることができました。つくづく、前例のない特異なプロジェクトだと自分でも思います(笑)。

――長い道なき道を歩んで、いよいよ第1弾アーティストVIBYがデビューします。

ミジョン:VIBYという名前は、早朝にいきなりふと思い浮かんだ名前でした。2、3年前でしたかね(笑)? その音の響きを発端に「Voyage into Bright Youth」(輝く青春の旅路)というコンセプトを構成しました。フレッシュさ、そしてファンのみなさんと一緒に成長していく青春感を魅力に持ったグループです。

 実は、自分自身の基準としては、あと2、3年は練習生として育成していきたいところでした。でも、彼らならば、この成長途中の段階もファンと一緒に共有しながら楽しんでいくことができると確信しています。自分自身で努力を続けて、成長していくことが彼らならできる、と。

――3月にはABEMAでの冠番組がスタートするんですよね。

ミジョン:はい。2027年にはホールツアー、2028年にはアリーナツアー、2029年にはドームツアーを見据えています。日本の一般的な記録を破っていくチームになってほしいなと思っています。もちろん夢が大きいと言われるかもしれませんが、その夢を叶えてみたいですね。

――それは楽しみですね。では、ミジョンさん自身の夢は?

ミジョン:それが、また思わぬ展開が待っていて(笑)。VIBYというボーイズグループを想定して集めた練習生たちなんですが、トレーニングをしているうちに不思議とまったく異なる方向性のグループ像が思い浮かんだんです。でも、予算もないですし、人手も足りないので、最初は見ないふりをしてきましたが、日に日にそのイメージがはっきりしてきて。「これは世のなかにお届けしないとダメだ!」と、また動き出しているところです。VIBYをよく育てていくのと並行して、「Rii.MJ」のプロジェクトとして、さらに新たなアーティストを輩出していきます。そうして、みなさんがわくわくするような未来への道筋を作ることができたら嬉しいですね。

(文=佐藤結衣)