お年玉の由来って何?お金じゃなくて「餅だった」説&「大人同士のやり取りだった」説 歴史学から見ると
もういくつ寝ると…
お正月、子ども達にとって最大の楽しみの一つが「お年玉」です。
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大人から子どもへ、お小遣いをポチ袋に入れて渡す文化は新年ならではの光景として定着していますが、実はその起源については諸説あり、いまだに明確な答えが出ていないといいます。
駒沢女子大学で歴史学を専門とする下川雅弘教授に、お年玉の由来と変遷について話を聞きました。
民俗学的には「餅」?
――お年玉の由来は?
「民俗学の研究で一番有力なのは、お年玉の起源を『お餅』とする説です。新しい年の神様である年神様にお供えしたお餅を、神様からの賜り物(たまもの)、つまり『玉』として、家長が家族や使用人などに分け与えた、というものです」
――なぜ「餅」を?
「神様にお供えしたものを皆で食べることで、神様と人が一体となり、その年の無病息災を願う。この考え方が、古くから民俗学では定説として語られています」
私たちが正月に雑煮を食べたり、地域によっては餅を分け与える風習が残っていたりすることが、このような事例だといいます。
しかし歴史学専門の立場から、下川教授は次のように続けました。
「実はこの『お餅説』には、それを裏付ける文字資料や物証といったものが存在しないんです」
歴史的には「お年玉」=「いろいろ」?
「歴史学では、あくまで資料に基づいて論じます。室町~江戸時代にかけての記録には、すでに『お年玉』という言葉や、それに類する新年の贈り物のやり取りが確認できます。しかし、そこに『餅』が登場した例は、ほとんど見かけることはありません見当たりません」
――では誰に、何を贈っていた?
「記録に残っているのは、主に親しい間柄での物のやり取りです。お寺の記録などで『年玉として〇〇を持ってきた』といった形で使われていたことがありました」
「例えば、刀や扇、あるいは『馬代(うまだい)』といって、馬の代わりに金銭を贈るといった事例も確認できます」
つまり、歴史上の記録から見ると、お年玉は子どもへ渡すお小遣いではなく、大人同士の物のやり取りを指していたということ。
一方で、「馬代」のように実質的な金銭のやり取りや、明治時代には子どもがいる家庭に羽子板や凧を贈ったという資料もあり、「歴史学的には『お年玉の起源が何であったかは、わからない』というのが正直な結論」だといいます。
お年玉、お歳暮、クリスマス 混ざりあう贈り物文化
――今ではすっかり「お金」のイメージですが、物からお金への変化はいつ頃から始まったのでしょうか?
「物からお金への変化は、ある日突然起こったわけではありません。江戸時代から現代にかけて、特に幕末から高度経済成長期までの約100年間で、様々な要素が絡み合いながら徐々に進んでいったと考えています」
下川教授は「近代以降、消費社会が発展し、子どもにお金をあげることへの社会的な見方が変化してきたことが背景にある」と考察しています。
その要素の一つが、お歳暮やクリスマスです。
戦後、高度経済成長期を迎える頃にもなると、大人同士の贈り物は「お歳暮」に、子どもへの贈り物は「クリスマスプレゼント」へと吸収されていったと見ています。
「お年賀」は「お年玉」だった?
――歴史学からみた「お年玉」の説明を聞くと「お年賀(新年の挨拶に贈る品)」と似ているように感じましたが、関連はあるのでしょうか?
「本来、大人同士の贈り物であった『お年玉』が、近代以降に目下の者や子どもにお金をあげる習慣として定着するにつれて、元々の習慣が『お年賀』として呼ばれ、区別されるようになったという見方をしています」
「要するに、今の『お年玉』に言葉の使い方を奪われちゃったようなイメージですね」
言葉は変わったとしても、「お年玉」も「お年賀」も、新年のあいさつを、手渡しできる形で伝えたいという日本人の気持ちは、室町時代あたりの700年前から変わらないようです。
変わる?変わらない?お年玉
歴史の中で、様々な要素が絡み合って作り出された現代のお年玉文化。
最近では「お年玉はキャッシュレスで」という人も増え、「今後はキャッシュレスが主流になるのでは」と、下川教授は語ります。
物からお金へ、大人同士から子どもへ。そして現金からデータのやり取りへ。これから先の時代、お年玉はどんな変化を遂げていくのでしょうか?
自分もその歴史の1ページであることに思いをはせながら、まだ現金派の筆者はそろそろ「ポチ袋」を買いに行こうと思います。
