クラウドワークス社長兼CEO・吉田浩一郎が語る「個のための雇用インフラを充実させていきたい」
東日本大震災以降、急速に働き方が変わる
─ クラウドワークスはフリーランスや副業をする個人と受注先をつなぐプラットフォームを運営していますが、人手不足という社会課題解決を含め、個人の働き方の変化とともに年々社会での需要が高まっていますね。
吉田 2011年の創業時は、勤め先の企業以外で個人が働くというのは、まだまだメジャーではない時代でした。産業界では終身雇用が当たり前であって、会社から飛び出た場合に個人というのは非常に弱い存在でした。
そんな中で起きたのが同年の東日本大震災です。あの時に東京都内も電気・ガスが止まって交通機関がマヒし、生活に支障が出ました。都心に勤務していた人たちは郊外の自宅に帰るまで半日かかる、あるいは数日帰れず家族がどうなっているかも分からない人が大勢出ました。
私はあの年を機に、個人の働き方も少し変わってきたと思っています。いざという時に家族のそばにいられないなんて意味がないのではないかと。
同時に、東北をはじめとして自分の生まれ故郷に貢献をしたいという思いが多くの人の間で湧き起こり、地方創生の熱量が高まってきたと思っています。
─ そういう大災害で混乱しているときの起業でしたね。
吉田 ええ。その年にクラウドワークスを創業して12年が経ちます。そして、株式を上場したのが2014年ですが、その頃、資本市場で個人が働くというものが社会的に認識されたのではないかと思います。
ことさら上場してからは、企業からの受注が格段に増えました。上場企業として、いろいろな企業にお伺いすることができるようになり、大企業からの発注も増えてきたのがその時期ですね。
─ 発注してきたのは、どのような企業でしたか。
吉田 その3年間で言うと、ソニー(現ソニーグループ)が発注をしたことがニュースとなりましたし、経済産業省のパンフレットを作るお仕事を神戸の在宅のデザイナーさんが1回も訪問することなく納品したということも話題になりました。
地域の行政でも当初有名になったのは岐阜県です。同県は当時、大学を卒業すると名古屋の企業で働くのが当たり前になっていました。岐阜にいるまま仕事ができるようにするという命題が湧き起こっていたのです。
そこで、大垣市にあるIAMAS(情報科学芸術大学院大学)を拠点にし、我々は教育の提供と仕事が受注できるための仕組みづくりを手掛けました。
また、被災地復興では南相馬市との連携で、我々の教育コンテンツの提供と雇用の創出を行いました。そういった行政や経済産業省とのつながりが増え、トヨタ自動車やホンダ、パナソニック(当時)からも発注が来始めました。それが一つの転機で、その次が17年の日本政府による副業の解禁です。
そして、18年からみずほ銀行をはじめとしたメガバンクや航空業界が副業解禁へと動き出したことも大きな転機になりましたね。そんな中で起こったのが、コロナ禍です。
時代に合わせミッションを変更
─ それが、働き方が大きく変わるきっかけになったということですね。
