弁護士から国会議員へ…元榮太一郎が語る「選挙と政治」舞台裏

6月30日に発表された2019年度の国会議員の所得ランキングで1位になったのが、参議院議員の元榮太一郎氏(44、自民党)だ。
弁護士資格をもつ元榮氏は、代表弁護士を務める「弁護士法人 法律事務所オーセンス(以下、オーセンス)」と、法律で困っているユーザーと弁護士をつなぐための法律相談サイト「弁護士ドットコム」をおもな事業とする、「弁護士ドットコム株式会社(以下、弁コム)」の創業経営者でもある。
2016年7月から参議院議員を務める元榮氏には、政治のキャリアをスタートさせたときから、まわりと違うユニークな点があった。
「同じ選挙で当選した、下は30代から上は60代までの “同期” の仲間が15人います。ほかはみんな、官僚・業界団体の重鎮・地方自治体の議員経験者・タレント枠など、“国政進出の典型パターン”。そして、ほぼ全員が党から声がかかって出馬をしています。
民間出身から、いきなり国会議員、そのうえ自分から『出たい』と申し出たのは、僕だけなんです(笑)」
元榮氏の政治の原点は約30年前。中学2年生のころ、父の転勤で移住したドイツにあった。
「1989年7月下旬から、父の転勤により家族でデュッセルドルフに住み始めました。その11月にベルリンの壁が崩壊し、壁のうえで民衆が声をあげている歴史的瞬間を、ドイツで見ていて。さらに翌年の春、通っていた現地日本人学校の修学旅行でベルリンを訪れ、西ベルリンから東ベルリンにバスで入りました。まだ、壁が完全に残っていたときのことです。
西ベルリンは、東京のように “きらびやかな都会” という感じだったのですが、東ベルリンに入った瞬間に、 “モノクロのさびれた町並み” が広がっていました。
清掃もままならない状態で、建物に生気がなく、とにかくすべてが漫画のような “世紀末感” であふれていて。『森鴎外が住んでいた』という、日本人にとっては歴史的価値のある宿も、壁が真っ黒になって、スラム化していたんです。
一番衝撃的だったのは、昼食のときに出された『アイスクリーム』。どう見ても、かき氷なんですよ。担任の先生が『東ベルリンは技術が進んでいなくて、これがアイスクリームなんだ』とおっしゃっていて。
『政治体制の違いだけで、街の姿にこんなにも影響が出るなんて……』と、政治が社会に与えるインパクトを実感しました」
その後、高校受験を機に日本に帰国。大学を卒業して、勤務弁護士を経て起業するあいだは、政治を志すことはなかった。ドイツでの体験が、“無意識の蓄積” として顔を出すのは、弁コムが転換期を迎えた2014年のことだ。
「僕は、『弁護士ドットコム』というwebサービスの提供を通じて、それまで “一見さんお断り” の業界慣習があった弁護士と、法律で困っている人とを繋げる場を作りました。その社会的価値が認められ、2014年12月に東証マザーズに上場することができた。
根底にあったのは、『社会を変えたい』という志です。上場が現実味を帯びてきてからは、『代替できない自分の役割ってなんだろう』ということを考えるようになりました。そして、ある結論にたどり着いたんです。
『次にやるべきなのは、社会のルールや枠組み自体を変えることではないか。そしてそれが出来るのは、政治なんじゃないか」
上場するにあたり、代表権のある僕ひとりに依存せず経営できるよう、決裁権を担当役員に分担させる、いわゆる『権限委譲』をすすめていましたので、物理的に政治活動をする環境条件は整っていました。
それで、2014年12月の上場を見届けたあと、かねて交流のあった現役国会議員の方にご相談して、出馬への準備を整え始めたんです」
2015年6月に選挙区の千葉で出馬会見をし、同年8月3日に自民党から2016年参院選の『候補予定者』として公認を受けた。そして元榮氏は、約1年間の活動を経て、2016年7月10日に当選を果たす。
「その1年は、政治のことを何も知らなかったイチ有権者として、『ひとりの候補が当選するのに、これだけ多くの人が関わり、本人も支援者も、こんなに大変なんだ』というのを、思い知っていく日々でした。
ベンチャー企業の創業者として、8期連続赤字の苦しい経営状況をはじめ、たくさんつらい局面を乗り越えてきました。でも、まったく未知の世界への挑戦だったこともあって、これがもっとも大変な体験でした」

●政治活動は「リクルート期間」経営者視点でPDCAサイクルを導入
議員になる前の政治家の活動には、公示後の「選挙活動」と、それ以外の期間の「政治活動」がある。
「選挙に当選するまでは、とにかく人前に出ることと歩くことを重ねて、名前を覚えていただくのが仕事です。僕は2015年9月ごろから、政治活動で平日毎朝、千葉県内の駅頭に立ちました。1〜2月の一番寒い時期でも、コートや手袋はナシです。
政治活動中は、『リクルート活動期間』だと捉え、就職活動のときのような濃紺のスーツを着て、たくさん歩くことを考え、ゴム底の革靴をはきました。それに、僕のパーソナルイメージカラーに決まったオレンジ色のネクタイと、『温かさあふれる政治』と書いたタスキ。この4点セットで、立ち続けました」
駅立ちでは、ひたすら通行人に声をかけながらビラを配る。そのときも、経営者らしい視点が活かされていた。
「政治活動中は、『どうしたらビラを受け取ってもらえるのか』ということばかり考えていました。事業と同じく、PDCAサイクル(Plan、Do、Check、Actionの4段階でおこなう継続的改善手法)を取り入れて。毎日分析しながらやっていくうちに、『どういう人・条件なら受け取ってもらえるか』が、すごくよくわかるようになりました。
じつは一番の狙い目は、選挙権のないチビっ子です。子連れのお母さんや家族連れが歩いてきたら、まっ先にチビっ子に『お母さんと見てね』と渡します。すると、ほとんど受け取ってくれるんです。それから、ご年配の方。政治への関心が比較的に高いので、受け取ってくださる率が高いですね。
顔を見て目が合う方も、確率は高いですね。興味のない方や受け取りたくない方は、見ないようにするか目をそらしますから。そして、歩くスピードも大事なポイントです。ゆっくり歩いている方のほうが、やはり受け取ってくださる可能性が高くなります。
配り方のポイントは、名刺交換と同じように、まず一礼してから渡します。『はじめまして』と言うと、受け取ってもらえる可能性があがる。そのときに、元気よくいくのが大事です。ヌボっと近寄られると、気味悪いですよね。『ハイッ!』と切れ味良くいくと、反射的に取ってくださることも多いですね。
それから、向かって右から来る人には右手で、左の人には左手で渡して、ちゃんと渡す方の正面にビラを差し出す。あと、これは裏技ですが、エレベーターに乗ろうとされている方に、ボタンを押して差し上げると、ほとんど受け取ってもらえます(笑)」
政治活動のなかで一番つらかったのは、意外にも、人前でしゃべることだった。
「駅立ちを始めたころ、初めての街頭演説に臨むときのことです。『街なかでマイクの大声で何をしゃべればいいんだ』と憂鬱でした。
切れ目なくしゃべる方法も、どんな顔して手を振ったらいいかも、想像がつかなかったんですよ。ふつうに生きていたら、やりませんよね(笑)。それで前日に、先輩議員と2人で、カラオケボックスにこもって練習し、なんとか形になりました。
それから、党の先輩の紹介で、まだよく知らない業界団体の会合に行くこと。ひと言ご挨拶をするのですが、これがとても大変で。というもの僕は、秘書経験も世襲環境もなく、ただの民間人でしたから、どこへ行っても “異世界状態” だったんです。
しゃべる内容のベースは、秘書が下原稿を考えてくれますが、覚えて話すだけですと気持ちが伝わりませんので、毎回、自分の言葉に置き換えて、“らしさ” が出るようします」
●“老舗大企業” 自民党と、“異世界” 国会のルールに悪戦苦闘
困難を乗り越えて参議院議員になったあとも、“異世界状態” は続いた。
「まわりの先輩方は『民間出身の強みを活かして、ぜひ活躍してもらいたい』と、温かく迎えてくださいましたので、じつは待遇面はノーストレスでした。
ただ国会は、民間からはまったくわからない世界。“老舗大企業” 自民党の “新入社員” として、失敗から学ぶことがたくさんありました。
僕がやってしまったのは、議員になって初めての採決でのこと。まず参院議長・副議長を指名するのですが、採決には、投票用紙と自分の名札を持っていかなければならないところ……僕は名札を持ち忘れていたんです。1回壇上までのぼったのに、ひとりで戻ってくることになりました(苦笑)。
また、とても驚いたことのひとつに、『時間厳守の重さ』があります。たとえば国会対策委員会は早朝から始まるのですが、新人議員は建物の造りが左右対称で移動がわかりにくく、国会内で迷子になったり、同じく新人である秘書がスケジュールに反映しそびれたりで遅刻してしまいそうなことがあります。もし遅刻してしまうと、その場だけでなく、もちろん幹部の先生にも謝罪に行くことになります。
あとは、本会議場でケータイが鳴ったりすると、先輩方から一斉に、厳しい目線が飛んでくるんですよ。『おい、なにやってんだよ!』って。ときには、審議がストップするリスクのある行為だからです。
他山の石ではないですが、そうやってお互いに苦い思いを分かち合いますので、同期の仲間意識は自然と強くなります(笑)」
当選から3年後のいまは、IT企業・法律事務所の経営者としてのキャリアを活かし、議連や勉強会を通じて、政策・立法にたずさわる。
「会社を2つ経営していると、『これ検討しているんだけど、どう思う?』と、民間企業の代弁者として、意見を求められます。そのたびに社内で声を集めますので、民間の声を反映できる。
また、『伝統的なルールが残る法律事務所』と『新しいルールを試しやすいIT企業』ですから、両極に政策が実際的かを諮ることができます。たとえば働き方改革なら、『IT業界は対応できるが、法律事務所には拙速だな』ということを、エビデンスをもって、直接国政に提案できるんです」
一方、いち法律家としても、その知見を活かし、最大の課題に取り組む覚悟だ。
「裁判のIT化といった、本当の専門領域にも着手していますが、憲法改正に向けた国民的議論にも関心があります。法律の専門家として申し上げたいのは、『法規範は変わることを前提としている』ということ。『1度作ったものは変えてはならない』というマインドを、変えるべきなんです。
日本の憲法は、施行から73年が経っていますが、これが築73年の建物なら、建て替えまでせずとも、耐震補強や修繕は不可欠でしょう。先進国の集まりであるG7のうち、戦後にまったく憲法を変えていないのは、日本だけなんです。大事な部分はしっかりと守りつつも、国民的な議論をおこなうことは、大切だと思います」
元榮氏は、政治・選挙活動と議員生活を通して、あることに気がつく。
「政府は『働き方改革』を進めていますが、『世の中で一番時間にとらわれているのは、じつは立法機関にたずさわる国会議員を含めた、政治家なのではないか』と、経営者の視点から思っています。
若くして亡くなる議員も散見されて残念なのですが、人間ドックやガン検診すら行けず、根性論で頑張ってしまう方が多いからだと感じます。灯台下暗し、です」
世間と異なる基準で動く政界のルールを変えるのは、並大抵のことではない。
「もちろん、儀式的な要素も多くあるのが政治という世界ですから、『すべてを生産性や効率のもとに片付けることは、大きな間違いだ』と実感しています。伝統や慣習も大事ですし、いまの体制は昭和の高度経済成長期に成熟した “成功体験モデル” ですから、おいそれとは変えられない。
ただそれでも、働き方の改革や、時間の自由度向上を目指していくべきだと考えます。
僕たち国会議員は、日本が前に進むために、税金で業務の委嘱を受けている立場。たとえば、『日程闘争』はやめて、審議日程をあらかじめ決められたとおりに原則実施するなど、時間を有効活用するイノベーションを考えるのもありだと思っています」
もとえたいちろう
1975年 米国イリノイ州生まれ 慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、1999年に旧司法試験合格、2001年からアンダーソン・毛利法律事務所(当時)にて企業法務弁護士として活躍。2005年1月に退職・独立し、同年8月に「弁護士ドットコム」のサービスを創業し、2014年12月11日に東証マザーズに上場。弁護士の起業家として注目を集め、『めざましテレビ』に金曜レギュラーとして出演するなど、メディアに多数出演。一方、2016年7月の参院選に千葉県選挙区から自民党公認候補として出馬し、当選。現在、弁護士・企業経営者・国会議員として活躍
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