「キレイに言うなら憲剛のおかげ」“ミスターフロンターレ”伊藤宏樹氏が振り返る飛躍の2006年シーズン
2001年に立命館大から川崎に加入し、13年間のプロ生活を川崎一筋で過ごした“ミスターフロンターレ”に、飛躍の年となった2006年シーズンを振り返ってもらった。
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――2006年は前年に初めてJ1残留を果たし、昇格2年目でした。
「2004年にJ1昇格するまで、チームは苦労を重ねてきました。2005年もその昇格メンバーを中心に戦って、自信を持って2006年に挑みました。怖いもの知らずみたいな感じで、伸び伸びとできた。ノープレッシャーで臨めたシーズンでしたね。最後2位になりましたが、まさかそこまでいけるとは思っていなかったですね」
――当時の川崎はどんなチームでしたか?
「攻撃的な選手が揃っていた印象です。半面失点が多かった。守るメンバーがいないからっていうのもあるんですけど(笑)。面白いサッカーをしているとは思っていました」
――関塚隆監督となって3年目のシーズンでした。
「石崎信弘さんから関塚さんに変わり、より結果にこだわる監督になった。ジュニーニョと(中村)憲剛という代表的な選手がいましたけど、彼らに引っ張られるようにみんなが伸びていった時期だと思います。攻撃的なサッカーを目指しながら、自信を掴むと同時にクラブとして成長して行けた。2005年と2006年は、何かを成し遂げたわけではないですけど、クラブとして自信を持ったという意味では、長い目で見たらすごく大事な2年間だったのかなと」
――そのジュニーニョ選手と中村選手、我那覇和樹選手、谷口博之選手の4人が二桁得点を挙げました。
「ボランチふたり(中村、谷口)が二桁得点を取るチームなんて、なかなかないじゃないですか。それほど攻撃的だったということですね。ただ、たぶんあいつらは何も考えていなかったですけどね、チームのこと(笑)。センタリングに谷口がゴール前に入って行って、憲剛がそのこぼれ球を狙うという……。リスク管理は誰がしてるんだって。でも、それがフロンターレの良さであり、怖さでもあったと思います」
――守備の意識を改善しようという考えはなかった?
「いや、ありましたよ。谷口と中村に『ここに居てくれ(守備に残ってくれ)』というのはずっと言ってました。それでも言うことを聞かなくて、(前に)行っちゃって。でもそれがカウンターだったり、良く出る面のほうが多かった。たまに関塚さんが褒めるんですよ、彼らのポジショニングとかを。それがうまく彼らを乗せてたなと思いますね。でも、決して安定しているチームとは言えなかったですね」
――中村選手は長年一緒にプレーをし、今もなお川崎の顔として活躍しています。加入当初の印象は?
――2006年はリーグ1位の84得点。中村選手からジュニーニョ選手へのホットラインが利いていました。
「ジュニーニョが本当にすごかった。2006年ぐらいが彼のピークで、何でもひとりでやっている部分がありました。憲剛も常々言ってますけど、ジュニーニョに合わせるために憲剛も成長した。彼の必殺スルーパスにジュニーニョは裏へ抜け出すことを常に狙っていましたね。僕の中の憲剛のイメージは、ジュニーニョに対するスルーパスっていうのが代名詞だった。あれを後ろから見るのが好きでしたね。このタイミングだったら通るっていう感覚があるんですよ」
