さて突然ですが、問題です。上は、長崎市にある地名だ。いったい何と読むか?

ニヤニヤしていないで、真面目に考えてほしい。冗談でも何でもない、実在するリアル地名だ。長崎市民なら当然ご存じのはずだが、全国的にはまさに難読地名だ。

「おんなのみやこ」と読んで、それ以外は考えられなくなった男性、正直に手を挙げて。あなたは、本当に○○な人、と言うしかない、まったく何を妄想しているのやら...、困ったものだ(実は、Jタウンネット記者もその一人だ)。

答えは、次のページにある。

女の都団地、女の都小学校、女の都入口...


長崎県営バス「女の都入口」行き。shapetaku22thさん(@zitenshatarou)撮影

それでは、答えを発表しよう。正解は、「めのと」だ。

女の都は、長崎市北部に位置する、1970年代から開発された住宅地だ。丘陵地を切り開いて造成され、一戸建て住宅や集合住宅が建ち並んでいる。長崎県営バスの終着点の一つともなっている。女の都一丁目から女の都四丁目まであり、女の都団地、女の都小学校、女の都入口といったバス停もあり、長崎市民にとってはごくありふれた住宅地の一つ、らしい。

それにしても、「女の都(めのと)」という地名の由来は何だろう? そこで、長崎市に電話して聞いてみた。

電話で答えてくれたのは、長崎市文化観光部の長崎学研究所の担当者だった。

「この地域には、古くから『めのと』という字(あざ)がありました。浦上家野村の一部だったようです」

「めのと」とは漢字ではどう書き表されていたのだろう。

「『角川日本地名大辞典』によると、『乳母』と書かれていた説があるようです」

なるほど、乳母(めのと)というのが本来の地名のようだ。

「この地域は大村藩領だったので、大村藩関係の資料も調べてみましょう」と担当者。すると、「大村郷村記」という江戸時代の文献の中に、「乳母」と書かれた箇所が存在するらしい。どうやら「乳母(めのと)」説は間違いない。

だが、なぜ乳母と呼ばれるようになったのかは、「不明です」とのことだった。

これについては、まさに諸説あり。諸説の中には、平家の落ち武者説、潜伏キリシタン説などさまざまだが、文献を重視する長崎学研究所の担当者としては、「不明です」と言うしかないのだろう。

またその乳母が、なぜ女の都と表記されるようになったかについても、聞いてみた。こちらは昭和後期のことだが......、返ってきた答えは、「不明です」だった。

女の都は、やはりミステリーだ。