自動運転車の歴史 1920年代から現在まで 前編
100年近くにわたる自動運転車開発
ドライバー無しの自動車の開発が始まったのは1920年代のことである。それ以来、次々と新しい技術が自動運転車に用いられるようになったが、目的は今でもまったく変わっていない。

ドライバーのいない自律した自動車は交通渋滞を減らし、安全性を向上させ、そして経済にもプラスとなる。
無線信号からレーザーのように、過去から今後発展するであろうものまで、使用される技術の変遷をたどっていこう。
フーディナ・アメリカンワンダー(1925年)
アメリカの軍事会社は1921年、オハイオ空軍基地で、ラジオエアサービスと名付けられた無線で操縦できる三輪のトレーラーのデモンストレーションを行った。
歴史研究家の多くはこれがはじめての自動運転車だというが、クルマからは程遠い存在に思える。

1925年には、フランシス・フーディングが遠隔操作できる1926チャンダーを公開した。プロトタイプはアメリカンワンダーと呼ばれ、ニューヨーク・ブロードウェイを走り回ったが、通行人や他の自動車のドライバーからは懐疑的な目を向けられた。
後ろからついていくクルマに乗ったエンジニアが、無線信号でアメリカンワンダーを運転した。運転者のいないアメリカンワンダーはマスコミからファントムカーと呼ばれることとなった。自動運転ではないが、完全に自動車としての機能を備え、ドライバーの同乗を必要としない初のクルマだったと言えるだろう。
無線運転車の登場(1930年代)
フーディングは大衆向けに無線運転車を販売することはなかったが、これに影響されて、実に多くの発明家が米国中で、似たようなプロトタイプを作ってデモンストレーションを行うようになった。
操縦者の多くは後ろから追跡するクルマに乗っていたが、中には低空飛行の飛行機から操縦する者もいた。

そのほかにも、広告をつけた宣伝車としたものや、交通安全の意識を高めるためにパレードで用いられるものも生まれた。
注:写真は1935年製ポンティアック。ファントムカーの一部は1935年製ポンティアックをベースとしていた。
GM ファイアーバードII コンセプト(1956年)
ファントムカーはじきに忘れ去られたが、1940年代から50年代にかけてさまざまな技術を用いて操縦される自動車がSF作品に登場した。
GMは間違いなく無人運転車のパイオニアであった。このモデルは1956年のモトラマで公開され、チタン製のボディを備え、タービンを駆動力としていた。

航空産業に着想を得たのは明らかで、ファイアーバードIIは未来の道路に走っている車のイメージを具現化していた。道路上に設置された電気信号を受け、「電脳」が自動車をコントロールするという構想だった。
ドライバーはダッシュボードのスクリーンをみて、進路を確認すればよかったのだ。GMは、ファイアーバードIIの機能は何ひとつ実現していないことを強調した。「遠い未来」に技術的に可能になるであろう、イマジネーションによって作り上げられたコンセプトモデルだったのだ。
クライスラー、クルーズコントロールを開発(1957年)
盲目のエンジニアであったラルフ・ティーターは1950年に、初歩的なクルーズコントロールで米国の特許を取得した。だが初期段階では、彼の技術はスピードリミッターの形でのみ使用された。
これはアクセルペダルの操作がなくなれば、運転中に居眠りするドライバーが増えるであろうとティーターが心配していたためである。しかし、自動車会社に技術を売却するにあたって、便利な機能として速度をロックする機能も追加した。
まずこの機能を搭載したのがクライスラーだった。1958年にラグジュアリーモデルのインペリアルに、「オートパイロット」というオプションとして搭載された。クルーズコントロールはさまざまな名前で呼ばれ、1960年代には多くのモデルに搭載されることになった。これはアメリカの地形の多くが、この機能を使うのに適しているからである。

アダプティブクルーズコントロールとは、一般的にはレーダーを用いて前車との距離を一定に保ち、ブレーキとアクセルを自動で制御する。初めて製品化されたのは1998年で、W220型のメルセデスベンツSクラスに搭載された。2003年にはホンダがより優れたシステムを開発した。
これは白線を認識するカメラを利用してステアリングを自動制御するもので、インスパイアに初めて搭載された。これはアダプティブクルーズコントロールと組み合わされることで、基本的なオートパイロットシステムを備えた初めての量産車となった。
電子制御道路構想(1957年)
1950年代後半には、自律的ではなく、外部から指示を受ける形で走行する方が明らかに容易だった。そんな中、米国の研究者は「電子制御道路」と呼ばれる技術を開発した。
モックアップは1950年代前半に発表され、1957年からはネブラスカにある120mの道路を用いて、実際に実験が行われるようになった。これはラジオコーポレーションオブアメリカ(RCA)とネブラスカ州政府の合同事業だった。

広く言われている通り、この技術は地面に埋め込まれた探知回路から車両に搭載された無線受信機に情報が伝えられることで成立する。この情報をもとに車は自動制御されるのだ。電子制御道路はビークル・トゥ・インフラストラクチャ技術の一部で、これはドライバーに故障車や構造物といった障害物を警告し、一定の頻度で「コロンブス出口まであと8kmです」といった具合にナビゲーションを行う技術である。
電子制御道路は有望な技術で、実際2018年に本格化した。しかし、当時は無線装置を全米の道路に埋め込む必要があったため、費用面から現実的な技術とは言えなかった。
スタンフォードカート(1961年)
ジェームス・アダムスはスタンフォード大学博士号取得候補者で、スタンフォードカートとして知られるプロトタイプを作り上げた。これは火星で無線制御の探査機を使用できる可能性をテストするためだった。

操縦者が操作してから実際に車両に反映されるまでには2.5秒の遅れがあったために、彼の実験は失敗に終わった。しかし、1960年代から1970年代にかけて、自動運転技術の研究者の間で、有用な試験台として用いられることになった。1967年には自動で白線上を走行する技術が搭載され、1977年には2眼式になった。
英国での無人運転車実験(1969年代)
イングランド・クロウソーンを拠点とするトランスポート・アンド・ロードリサーチラボラトリーは政府の援助を受け、1960年代から70年代までドライブバイワイヤシステムの実験に取り組んだ。
この技術は道路に埋め込まれた信号ケーブルのネットワーク網からなる。ケーブルが車両の加減速やステアリング操作に必要な情報を送信するシステムだ。
試験車にはオースチン・ミニやスタンダード・ヴァンガード、スラウで製造されたシトロエンDS19(写真)が使用された。特にDS19のハイドロニューマティックシステムは改造され、ブレーキやアクセル、ステアリング操作まで可能になっていた。

科学者はのちに、このシステムは複雑で非常に高価なため量産には適さないと判断し、 より単純な機構をもつフォード・コルティナが使用されるようになった。
研究者はこの技術が普及すれば、自動車が小隊で走行することで渋滞問題が減ると考えており、2018年には自動運転車によって一部が実現している。当時この技術が英国で実際に使用されれば道路のキャパシティは50%向上し、交通事故は40%減少すると考えられていた。しかし、1970年代に予算を使い果たして中止となった。
ジョン・マッカーシーのコンピュータ制御車(1969年)
アメリカのコンピュータサイエンティストであるジョン・マッカーシーは「人工知能」という新語を発明した人物として知られており、彼は未来の自動車はあらかじめ設定された目的地へと向かう自動運転車を予見していた。「コンピュータ制御車」という本の中で、インフラからのインプットを受けずに自動運転を行う自動車を想定した。
「乗客はキーボードで目的地を入力すればよく、あとの運転はすべて車がしてくれるのです」とマッカーシーは説明している。さらに、目的地の変更やレストランでの休憩、緊急事態で急いで向かうなど、目的地を指定する以外にも指令を出すことができるという。

マッカーシーは、このシステムにはふたつのメリットがあるという。ひとつ目は運転がより便利になる点、ふたつ目は運転がより安全になる点だ。この技術により死亡率は80%減少すると予想したが、同時に完全な安全を実現することはできないと語った。かなり理論に偏った話だが、彼の先進的なエッセイは1980年代に行われた多くの実験の基礎になっている。
筑波数理工学研究所につとめる日本の研究者はかなりコンピュータ化されたプロと対応を開発した。ふたつのカメラを利用して道路上の白線を感知し、32km/hで走行することができた。これはマシンビジョン技術の先駆けとなる技術だった。
日本 路面認識技術を開発(1977年)
筑波メカニカル・エンジニアリング・ラボは2基のカメラによって路面の車線を認識することができるシステムを搭載したプロトタイプを製作した。

32km/h程度での走行を可能とした。マシンビジョン技術の発展において非常に大きな貢献を果たした。
NavLab1(1986年)
カーネギーメロン大学は米国内の大半の大学に先駆けて、自動運転での研究を促進していた。自動運転関連の転換点となった1986年、ロボティクス学部はシボレーのバンをNavLab1と呼ばれるプロトタイプに作り変えた。

荷室には研究者チームとコンピュータやコントローラーがを収めるのに十分にな広さを有していた。システムを停止して手動に戻す機能も追加された。
興味深いことに、1986年の技術ではNavLab 1を理論上の最高速である32km/hまで加速させることができず、これが実現されたのは1980年代終わりごろだった。
