軍友社提供

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(台北 7日 中央社)アジア全土で愛された歌姫、テレサ・テンが亡くなってから、今月8日で20年になる。1970〜90年代に絶大な人気を誇ったテレサは、生前に1700以上の楽曲を発表。台湾や日本のほか、米国や東南アジア諸国で幾度もコンサートを開いた。ファンにとって手の届かない存在でもあり、近所の女の子のようでもあったテレサ。その歌声は人々の幸せや悲しみなどに寄り添い続けていた。逝去20年を迎えるにあたり、各地で愛されたテレサの魅力を振り返る。

▽台湾:軍中の恋人

軍人の家庭に生まれたテレサ。歌が好きだったテレサは、幼少期から軍の慰労隊に入り、各地で歌声を披露していた。歌姫になった後も軍への愛情は変わらず、高額のギャラがもらえる商業公演のオファーを断ってまで、軍でボランティア公演を行っていたほど。

テレサの軍への愛を台湾の人に印象付けたのは、1981年に放送されたテレビ番組「君在前哨」。テレサは軍に約1カ月滞在し、バンドやマネージャーなどの同行もない中、軍服に身を包んで各地の軍事基地でパフォーマンスを行った。当時すでに日本進出を果たしスターの地位を確立していたテレサだが、軍人たちと友人のようにじゃれ合い、素の自分をさらしていたという。

90年代初期には、ほぼ芸能界引退状態になっていたテレサ。商業公演はほとんど行っていなかったが、軍中公演にだけは積極的に参加していた。台湾で生前最後に歌声を披露したのも軍事学校開校70周年記念で開かれたコンサートだった。

「軍中の恋人」といえば、今でも真っ先に挙がるのはテレサ・テンの名前だ。軍への長年の貢献により、テレサは現在でも軍人にとって大きな存在感を放っている。

▽日本:日本有線大賞3連覇

1970年代初期、テレサは活動の場を日本に広げた。しかし、すでにアジアでスターとなっていたテレサを待ち受けていたのは、順調な生活ではなかった。日本語もよく分からず、番組の撮影では、十秒ほどの撮影のために半日近く待たされたこともあったという。

そんな中、1974年にリリースされたセカンドシングル「空港」が売上枚数70万枚を超えるヒットに。同年のレコード大賞新人賞を獲得し、この時からテレサの名前は日本中に広がっていった。

80年代には、紅白歌合戦に数回出場したほか、「つぐない」(1984年)、「愛人」(1985年)、「時の流れに身をまかせ」(1986年)で日本有線大賞を3年連続受賞する偉業を達成。人気は絶頂を迎えた。

異国の日本で活躍する一方で、自分のアイデンティティーを守り続けたテレサ。公演の際には中華風の衣装をまとい、高貴な印象を日本の観客に与えた。

1995年のテレサの死は、日本のファンにも大きな悲しみをもたらした。テレサが眠る新北市の金宝山墓地には、今でも多くの日本人観光客が訪れる。2007年にはテレビ朝日でスペシャルドラマ「テレサ・テン物語〜 私の家は山の向こう」が放映されるなど、テレサは今でも日本人に愛され続けている。…<後編>に続く

(童一寧、黄淑芳/編集:名切千絵)