メールマガジンについて
同じ難しい問題であっても、「お金で解決可能でその金額が高すぎる」問題と、「お金で解決可能なのかも判断できない」問題とは、難しさの質が大いに異なってくる。
パーティーなり、講演会なりに誰かを呼ぶとして、対象が芸能人なら、スケジュールと支払いの都合さえ何とかなれば、彼らの時間を購入して、文脈に沿った盛り上げを依頼することができる。ところが「ネットで有名な○○さん」に公演を依頼するとして、支払うべき金額は芸能人に比べておそらく安価であろうにせよ、まずどこに連絡をすればいいのか分からないし、約束ができたとして、その人が本当に当日来てくれるのか、どんな話をしてくれるのか、当日になるまで主催者には全く読めない。
●短射程のメディアで短射程の話題を販売する
今のメールマガジンは、週1回配信、1回に1万字程度が相場らしい。これを続けるのは、片手間でしか文章を書けない素人には相当に難しい。
昔作った研修医向けの小さな本が22万字で、あれを分割してメールマガジンとして配信しても、半年で終わってしまう。毎週のように「新しい1万字」を配信して成功している人がいるのはたしかなのだけれど、あれを真似しても続かない。
素人が、メールマガジンみたいなもので何がしかのお金を得ようと考えるのなら、まずは取材しないで、新しい情報を仕入れる努力をしないで、毎週1万字のテキストを生産する仕組みを考えないと厳しい。毎週取材して、新しい1万字を生産できる人はプロの物書きであって、素人がプロの真似をしてもどこかで息が上がってしまう。
素人は、記事の生産に全時間を投入できるプロ、セミプロの人と同じことをやってはいけないのだと思う。たくさんのリソースを投じて最大の利益を得るやりかたを縮小した先には、最小のリソースからなるべく効率のいい利益を得るやりかたは見えてこない。
プロの人達が高品質のテキストを量産する中、素人が同じ場所でお金を稼ごうと思ったら、今度は文章の射程をより短くすることを考えないといけない。メディアと同じく、長射程の話題を扱う文章は、たくさんの読者がつく代わり、常に新しい話題を入れないと読者が離れてしまう。射程の短い文章は、たとえ昔話の繰り返しであっても、それが切実な読者が少数いればその人達はずっとお金を支払ってくれる。
●メモ書きを販売してほしい
研修医の頃、ほしくても買う手段のなかった文章はといえば、「部長のメモ書き」だった。
病棟で何か問題がおきて、上の先生がたは白衣のポケットからメモを取り出して、それを見ながらカルテに処方を書いて、そうしてしばらくすると問題は解決した。あのメモ書きがほしくて、買えるものなら買いたかったのに、「見せてください」とお願いしても、もちろん「馬鹿、勉強して自分で作れ」と怒られるだけだった。
利根川進が立花隆のインタビューに答えて、海外のラボに乗り込むメリットの一つとして、そのラボにおいてある「クックブック」を読めることを挙げていた。論文には書いていない、実験で成果を出すためのちょっとしたコツみたいなのをまとめているノートはたいていの研究室に存在していて、それは論文にできるほどには一般的なものではないかわり、それが切実に読みたい人はごく少数ながら確実にいて、それでもその研究室に入らないと読むことができない。
医師がメールマガジンで小さな成功を目指そうと思ったら、たとえば「今週出た論文のまとめ」を配信してはいけないのだと思う。それは単なる労働であって、それをもっと高品質に、もっと安価に提供できるプロが出現すれば、メールマガジンには存在価値がなくなってしまう。
販売すべきは「部長のメモ書き」なのだと思う。自分がふだん使っているメモ書きをメール配信して、その週に学んだ論文、あるいは病棟で遭遇した事例などが、じゃあ自分のメモ書きにどう反映されたのか、メモがどう書き換わり、そのことによって自分の判断はこれからどう変わりうるのか、そうした学習の記録を配信することで、文章の射程はより短く、情報は個人的になっていく。
読者はもちろん、プロの書くメールマガジンに比べれば圧倒的に少ないだろうけれど、「部長のメモ書き」を読みたかった研修医には、そうした文章がより切実に思えるのではないかと思う。
執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『medtoolzの本館』からご寄稿いただきました。
