【特別インタビュー】雅子さまの主治医が明かす“愛子さま誕生秘話” ストレスを与えないための皇太子殿下の思いやり 妊娠・健診・陣痛・出産…初めて詳らかになる真実
愛子さまの出生にまつわる貴重な経緯が一冊の書籍になった。雅子さまの主治医を務め、『堤ノート 愛子さま誕生までの300日』(小学館)を上梓した産婦人科医・堤治氏が知られざるエピソードの数々を明かした。
【写真】雅子さまの主治医を務めていた産婦人科医・堤治氏
「生まれてきてありがとう」
愛子さまがお生まれになった2001年12月1日午後2時42分のことを、私は今でも鮮明に覚えています。
「生まれてきてありがとう」
宮内庁病院の一室で出産された雅子さまは優しい母親の表情で、腕に抱いた赤ちゃんにそう話しかけられました。
雅子さまのご懐妊と出産に携わった経験は、産婦人科医としてあまりに多くの学びとなりました。天皇家のご出産と日本の産婦人科医療の進歩は密接に関係がある。その歩みを書き残す必要があると感じました。
東大病院の産婦人科教授だった私が東宮職御用掛を拝命したのは2001年3月1日です。その少し前、東宮御所に招かれて皇太子ご夫妻(当時)と初めてお目にかかりました。その際、妊娠の仕組みをご進講しましたが、雅子さまは几帳面にメモをとられ、熱心に耳を傾けてくださいました。
1999年12月に流産を経験してつらい思いをされたはずなのに、雅子さまと殿下は2時間におよぶ話を真剣に聞き、明るく前向きな表情をされました。そんなお二人の様子を拝見した私は、"良い結果はすぐに得られる"と確信いたしました。
その予感通り、2001年春に雅子さまにご懐妊の兆候がみられました。悩んだのは発表の時期です。御用掛としては初期の流産の可能性がほぼなくなる妊娠9週目まで待ちたかったのですが、宮内庁や東宮職は過熱報道を抑えるため早々の公表を望みました。私のなかで葛藤がありましたが、東宮大夫の判断で早めの公表となりました。
なお当時、雅子さまが不妊治療を受けていたという報道が盛んになされていましたが、この場できちんとお答えしておきます。自然な妊娠であり、特別な不妊治療はいたしておりません。
分娩予定日を伏せる
ご懐妊がわかってからの雅子さまのお姿には何度も感銘を受けました。皇室の方々は住民票がなく、各自治体が作成する母子手帳は交付されません。そこで私が用意した母子手帳をお渡しすると、雅子さまは毎日必ず同じ時間に体重を測定して手帳に記入されました。他にも「30分散歩してください」と伝えるときっちり30分ウォーキングされた。日々お腹の赤ちゃんを思い、発育を楽しみにしながら自己管理を徹底されていました。
妊娠の初期から妊婦健診に常に付き添われた皇太子殿下の優しさも強く印象に残っています。特に感慨深いのは「性別の告知」をめぐる殿下の深いお考えです。超音波検査で別が判断できる時期になったところで、私は告知についてのお考えを伺いました。すると殿下は即座にこうおっしゃったのです。
「性別を調べて知らせる必要はない」
当時は秋篠宮さま以降皇室に男児の誕生がなく、女性天皇や女系天皇が盛んに論じられていました。赤ちゃんの性別を早く知れば、雅子さまのストレスになると殿下は心配されたのでしょう。殿下ご自身も性別を知らないままでいることが雅子さまへの思いやりだったのではないかと拝察しました。
前回のご懐妊報道の際、公表前に分娩予定日までメディアが報じて両殿下は心を痛められました。私は万が一にも情報漏れがないよう、予定日を誰にも教えないことを心に決めて、殿下にもそうお伝えしました。
天皇陛下(当時)と美智子さまに予定日を尋ねられた際も、「両殿下に申し上げております。両殿下からお聞きいただけますか」とだけお答えしました。気まずい空気が流れましたが、当時の私は両殿下とのお約束を守ることで精一杯でした。
この間、日本の産科医療に大きな進展もありました。それまで日本では出産時の陣痛、分娩、回復をそれぞれ別の部屋で診ることが一般的でしたが、雅子さまのご懐妊判明後、3つの機能を統合した「LDR室」の新設が認められたのです。
実際に愛子さまがご誕生されたのは宮内庁病院の真新しいLDR室でした。また、子宮収縮と胎児心拍をデータ化してモニタリングする日本初の「遠隔分娩監視装置」も雅子さまにお使いいただきました。
「お産がとても楽しかった」
2001年11月30日夜に子宮収縮が確認され、雅子さまは宮内庁病院に入院されました。翌朝に陣痛が始まり、痛みが強まった昼近くにLDR室に移動し、いよいよ出産の時が近づきました。かねて学習された呼吸法と助産師のサポートで痛みを逃し、「次、生まれますよ」という呼びかけに雅子さまが頷かれて最後のいきみをすると、愛子さまが産声をあげられました。特別な産科処置を受けられることもなく、安産でした。
出産直後、別室でお待ちいただいていた殿下に「たった今、内親王さまがお生まれになりました。母子ともに健康です」とご報告しました。事前に性別をご存じなかった殿下はこの瞬間、女の子が生まれたことを初めてお知りになりました。
37歳11か月での初産でしたが産後の雅子さまは宮内庁病院の廊下を姿勢よく颯爽と歩かれていました。12月7日に「命名の儀」があり、"人を愛し愛され、人を敬い敬われる人に育ってほしい"という両殿下のお考えに沿って「敬宮愛子」と命名されました。
迎えた12月8日の退院日、雅子さまは「お産がとても楽しかった」とおっしゃいました。当時は今より出産が大変でしたが、雅子さまはしっかり勉強して前向きに取り組み、努力を重ねたからこそ楽しいお産を実現されたのでしょう。「お産がとても楽しかった」という雅子さまの言葉はとてもインパクトがあり、私が目指す産科のあり方の道標になりました。
あれから25年。天皇ご一家の温かい家庭環境のなかで育たれた愛子さまは成年皇族となられ、ますますご活躍の機会が増えています。愛子さまがご自身の望まれる道を、楽しく幸せに進まれることを、ご誕生に立ち会わせていただいた者として願ってやみません。
【プロフィール】
堤治(つつみ・おさむ)/1950年、埼玉県秩父市生まれ。東京大学医学部卒、医学博士。元東宮職御用掛。現在は一般社団法人婦人科HIFU研究会代表理事として杉山産婦人科世田谷で子宮筋腫・子宮腺筋症のHIFU治療など、産婦人科診療に携わる。
※週刊ポスト2026年6月26日・7月3日号
