「頭にタトゥーを彫ったんで」元WANDS上杉昇が明かすスキンヘッドの理由と、脱退後の“覚悟”

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今年でデビュー35周年を迎える元WANDSのヴォーカリスト・上杉昇。WANDS時代のロン毛からソロ時代のスキンヘッド、さらにはネイティブ・アメリカンをモチーフにした衣装まで、そのビジュアルは時代ごとに大きく変化してきた。なぜ彼は姿を変え続けてきたのか。ビジュアルの変遷とともに、35年にわたるシンガー人生を振り返ってもらった。(前後編の後編)

【画像】「頭にタトゥーを彫ったんで見せたかった」スキンヘッド時代の上杉昇

「襟足の10センチが俺のロックだった」

上杉昇が育った地元は神奈川県横須賀市。現在54歳の彼が中学時代はヤンキーカルチャー全盛期だった。

「僕の通っていた中学も荒れていましたね。当時はリーゼントにしていましたが僕は不良グループには入らず、ロックやパンクが好きな仲間とつるんでいました。

19歳でWANDSとしてデビューすることになるんですけど、オーディションを受けたときはSKID ROW(スキッド・ロウ)のレイチェル・ボランのように、鼻ピアスと耳のピアスをチェーンで結んでて。

だからデビューが決まったときは、まさかそんな見た目の僕に『もっと強く抱きしめたなら』みたいなさわやかなデジタルポップ路線の曲を、事務所が歌わせるつもりだったとは思っていなかったんですけどね(苦笑)」

“鼻ピにチェーン”はさすがに当時の事務所からNGが出たそうだが、ヘアスタイルは上杉なりに抵抗していたこともあったんだとか。

「事務所から見た目のチェックというか指導みたいのは多少あったんですけど、自分なりに襟足は伸ばして伸ばして、こだわってました。その襟足の10センチが俺のロックでしたね。

それでそのまま髪を長くして、『世界が終るまでは…』の後ぐらいの時期は、GUNS N' ROSES(ガンズ・アンド・ローゼズ)のアクセル・ローズのように長髪にバンダナを巻くっていうスタイルのときもありました」

上杉は30年前となる、1996年2月にリリースした11枚目のシングル『WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~/Blind To My Heart』の後、WANDSを脱退。

いまだにWANDSのイメージが強いかもしれないが、彼の35年のシンガー人生において、WANDSだったのはたった5年余りである。

WANDSというトップアーティストの座を捨てることに迷いはなかったのだろうか。

「それは一切ないです。迷いや後悔はなかった。それは今も同じです。WANDS時代は自分のやりたい音楽ができず、辛い思いが積もっていたので。

ただ脱退して解放感があった一方、人気のあったバンドと大きな事務所をやめて、今度はそれまでの自分がいた、大きな商業主義的な音楽と対峙していくステージに進んでいくことになるので、大げさに言えば覚悟みたいなものもすごく持っていましたね。

WANDSをやめた後に『al.ni.co』(アルニコ/WANDSのギタリスト・柴崎浩と結成)というユニットを組んで1998年に再デビューしたんです。

その後に2002年からソロでも活動を開始して、2006年末からは『猫騙』というバンドもやってました。

そういう活動形態や音楽的なスタイルの区切り区切りでは毎回、やっぱり自分のやりたいこの音楽で勝負するぞという覚悟は持っていましたよ」

「もっと上にいけなかったことだけが心残り」猫騙への複雑な思い

ソロ活動をしていた2003年頃からはヘアスタイルをスキンヘッドにしていた時期も。

WANDS時代のロン毛のイメージを持っていたファンたちは、さぞかし衝撃を受けたことだろう。

「髪型を変えることは自分としてはそこまで大ごとではなくて、スキンヘッドにしたときも、周囲からそんなに驚かれるとは思っていなかったんですよ。

理由も、ビリー・コーガンに憧れてたのと、頭にタトゥーを彫ったんで見せたかったからっていうぐらいのもので(笑)。

ただ、ソロシンガーとして新しい自分の音楽を確立していこうっていう気持ちだったから、WANDS時代のイメージからガラッと変えたかったっていう反動もあったんでしょうね」

2007年に上杉がフロントマンとして活動開始したオルタナティブロックバンド『猫騙』は、ド派手なネイティブ・アメリカンをモチーフにした衣装とメイクでのライブパフォーマンスが注目を集めていた。

「ANTHRAX(アンスラックス)がネイティブ・アメリカンモチーフの衣装でステージ上を駆け回っていた時期があって、あれいいじゃんって思ってたんです。めちゃくちゃ派手だしいいなって。

僕の中で、ソロとか新バンドとか、覚悟を持って新しいことを始めるっていうときは、それまでの何かを変えたいときなんですよ。

それでこう言っちゃなんですけど、外見って一番たやすく変えられるじゃないですか。だから節目節目で外見を変えてたんだと思います」

“外見から入る”と言えばそれまでだが、たしかにヘアスタイルやステージ衣装というビジュアルを変えるだけで、イメージはかなり刷新される。

上杉にとっては外見を激変させることが、新しいチャレンジに向けての“意思表明”のような意味があったのかもしれない。

「WANDSをやっていたのは5年ちょっとで、猫騙をやっていたのは10年以上。活動期間は倍以上なんですけど、僕の体感としては良い意味で猫騙時代はすごく短かったんですよね。

僕の中で猫騙というバンドは圧倒的に価値が高くて、存在が大きくて、濃かった。駆け抜けたなっていう印象が強いんです」

猫騙では全国のライブハウスをまわり、さまざまなバンドとの対バンも精力的に行っていた。

「猫騙ではとことん自分のそのときにやりたかった音楽を追求して、歌もパフォーマンスもとても攻撃的にいけていた。

自分にとってオルタナティブっていう音楽はとても居心地のいい場所だったし、猫騙での自分は悔いなくやりきったなっていう感覚が強いんですよね。

しいて言うなら、猫騙でもっと“上”にいく(売れる/有名になる)ことができなかったことには、ちょっと心残りがあるかな。

音楽としては最高の曲と最高のパフォーマンスをしていた自負があるだけに、そこだけが猫騙の活動でやり残したことだったかもしれない」

「自分の人生を歌っていく」54歳の上杉昇が見据える未来

猫騙の解散宣言はされていないが、2018年を最後に近年は目立った活動が確認されておらず、実質的には活動休止状態にある。上杉は現在、ソロシンガーとしての活動がメインとなっている。

筆者は10年前、上杉のデビュー25周年の際にもインタビューしたことがあるのだが、上杉は当時、WANDSについてこう語っていた。

《けっきょく、僕にとってWANDSっていうのは“名声”でもあり“レッテル”でもあるんですよ。だから“WANDSを壊すこと”が僕の人生のひとつの目標かもしれないですね》

今の上杉も“WANDSを壊すこと”を目標にしているのだろうか。

「この10年で気持ちは変わってきましたね。

WANDSは壊す・壊さないっていう存在じゃないっていうのが、今の考え方かな。

前はWANDS時代の曲を歌うことに抵抗があったんだけど、最近はライブでWANDSの曲を歌うことも増えたんですよ。

というのも、WANDSというバンドの存在というより、WANDSの歌と僕というシンガーは別ものだなと思うようになっているんです。

一番わかりやすいのは『世界が終るまでは…』でしょうね。

僕が作詞して僕が歌っていた曲なのは間違いないんですけど、もう『世界が終るまでは…』は僕から離れて一人歩きしてるんです」

海外のライブに招待され『世界が終るまでは…』を歌唱することもあるというが、そこで上杉はこう感じたんだとか。

「たとえば中国の会場に行くと、何千人という観客が日本語で一緒に歌ってくれるんですよ。海外では特に『SLAM DUNK』のアニメを通じてこの曲を知ってくれた人が多くて、彼らにとってはキラキラした青春ソングだったりするわけで。

『世界が終るまでは…』とかWANDS時代の歌って、日本も海外も関係なく、聴いてくれている人それぞれに想い入れがあって、シンガーとしての僕とは違うところに歩いていってる感覚なんですよ。

それまでは、アーティストと作品は直結しているものだと思っていたから、WANDSを壊さなきゃいけないって考えだったんですけど、今はアーティストと作品は別なんだなって気付いたんです」

上杉はシンガーとして、これからも自分の歌を届けていく。

「今は新しいアルバムに向けて楽曲作りをしています。それと去年予定していたアジアツアーが、一部公演が現地事情などにより中止・延期になってしまっていたので、アジアツアーを実現したいですね。ツアーの最後に日本でもやりたいです。

WANDS脱退後はオルタナティブ・ロックに進んでいきましたが、今はジャンルにこだわらず、WANDS時代の曲も猫騙時代の曲もやっています。

シンガーとして自分の人生を歌っていくつもりなので、ジャンルじゃなく、“上杉昇の歌”を聴いてほしいっていう思いが強いんですよ」

〈前編はこちらから『「『世界が終るまでは…』はそれまでの“WANDSと決別する歌”だった」元WANDS上杉昇が明かす脱退の真相…』〉

取材・文/堺屋大地 撮影/井上たろう