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富山大空襲を後世に伝えようと、高校生が体験者から話を聞いて描いた絵が先月、披露されました。空襲から今年で81年、体験者が年々少なくなり記憶の風化も懸念される中、8か月かけて絵にした生徒たちの思いを取材しました。

赤く染まった空の下、燃え上がる炎。
爆発する無数の焼夷弾。

これらの富山大空襲の絵…
描いたのは戦後生まれの高校生です。体験者の記憶を語り継ごうと、絵にしました。

1945年8月2日未明。富山市中心部を襲ったアメリカ軍の爆撃機「B29」は56万発の焼夷弾を投下しました。一夜にして市街地の99.5パーセントが焼失し、2700人余りが命を落としました。

戦後80年の節目を迎えた去年8月

語り部の佐藤進さん
「正確に言うと0時30分。二つ目の空襲警報が出されたんです」
「空襲だったんですね」

空襲の悲惨さを伝える語り部の話に耳を傾ける高校生の姿がありました。
富山国際大学付属高校の美術部の生徒たちです。
空襲の体験を、絵に。中心となったのは3年生の西田七虹さんです。

富山国際大学付属高校 美術部 西田七虹さん
「写真はもう撮ることはできないが体験者の話を聞いて絵を描くことはできるよねって思って。もし絵に描くことができれば、ずっと継承されていくと思うので」

七虹さんの祖父の佐藤進さんは10歳で空襲を体験し、20年以上にわたって「富山大空襲を語り継ぐ会」の語り部として活動してきました。祖父の体験を伝えようと、母の亜希代さんと共に3世代で語り部として活動する中、絵に残す取り組みを始めました。

濱谷隆平さん(87・当時6歳)
「174機きたんですから。次から次へ。そして、爆弾は50万発」
「そういう雰囲気を本当に描いてもらいたいですね」

生徒たちは絵を実際の光景に近づけようと、何度も体験者に話を聞きました。その中のひとり、4歳でパキスタンから富山にわたってきたナディームさんです。
母国では戦争があったことから、空襲の絵を書きたいとこの取り組みに参加しています。

稲垣よし子さん
「この通りはコンクリートだった」
「もっと薄い色の方がいいよ」
ナディームさん
「このくらいかな」
稲垣よし子さん
「うん、それくらい」

佐藤さんと孫の七虹さん
「自分が持っとった鞄はどこに置いてきたか分からんってこと?」
「いやもう何も。着の身着のまま」

去年11月、空襲の絵の作成に協力してきた佐藤さんは、その完成を見ることなく90歳で亡くなりました。詳細を確かめようと思っても、七虹さんはもう二度と祖父と答え合わせをすることはできません。

富山国際大学付属高校 美術部 西田七虹さん
「ほぼ下書きのキャンパスの鉛筆部分を描き終えた状態で見せたのが最後だったので、色の部分がほとんど聞けてなくて」
「やっぱりそういう情報を実際に見たことがあるのは体験者のみなので、やっぱり体験者の声って貴重だったんだなって、後からなって気付くんですよね」

空襲を風化させてはいけない。
絵を描き続ける中で、他の生徒たちもその思いを強くしていきました。

富山国際大学付属高校 美術部 古川優香さん(17)
「意図したグロテスクさは、感じとってもらえてハッピー」「戦争の話を聞いて感じた絵だから」
富山国際大学付属高校 美術部 ナディーム・アイナさん(16)
「富山にもこういう怖いことが起きたんだよとか、もっと他の場所にも空襲が起きたんだけど、忘れずに残ってほしいかな」

描き始めてから8か月。先月、空襲の絵が完成し、関係者を招いて学校で披露されました。その中には絵の完成を心待ちにしていた佐藤さんも。

富山国際大学付属高校 美術部 西田七虹さん
「『頑張ったね』みたいなのを言ってくれるんじゃないかなって」
「体験を聞いたことがない子どもたちのほうが多いと思うので、そういった子どもたちの想像力の助けになる絵を今回、私たち描けたんじゃないかなって思ってます」

ナディーム・アイナさんと稲垣よし子さん
「この1枚の絵から語れること、あるいは思い出させていただくこと、あるいは絵から感じてもらえることは計り知れない、たくさんあるなと思って、ほんとにありがとうの思いでいっぱいです」
「こちらこそ」

空襲から長い年月を経て、高校生が描いた絵。
そのキャンバスには、戦争の悲惨さだけではなく、語り部が後世の人たちに託す願いも引き継がれています。

作品はしばらく学校に展示され、関係者に披露されています。また今年8月の「戦時下の暮らし展」でも展示される予定です。