50年の間には色々な出来事が…(公式HPより)

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 黒柳徹子が聞いた。

「結婚は、いつですか?」

 すると、相手はプイと横を向いてしまった。スタジオで観ていた番組プロデューサーは(通じた……!)と驚いたという。ゲストは、“反省ザル”で有名な、猿の次郎だったのである(猿まわし師の村崎太郎と出演。2000年1月31日放送分)。

 今年、「徹子の部屋」が放送開始より50周年を迎えた。2011年には、「同一司会者による最多放映番組」としてギネス世界記録に認定。2015年には放送一万回を突破し、現在も続く、まさに日本が世界に誇るトーク番組である。メモリアル・イヤーを祝し、知られざる秘話や同番組ならではの特上の名場面かつ迷シーンも含め、その魅力を紹介したい(ライター・瑞佐富郎、文中敬称略)。

50年の間には色々な出来事が…(公式HPより)

【貴重写真】「黒柳徹子」さん、若かりし頃の貴重なショット!

早口である意外な理由と、たまねぎヘアに込められたプロ意識!

 2023年7月3日、天皇陛下が言われた。

「『徹子の部屋』は、もう、随分長いですよね。何年やっておられますか?」

 目の前には黒柳徹子がいた。「第79回日本芸術院賞」授賞式の場に、皇后ともども参列された時のことである(※徹子はこの3月に芸術院の会員に)。

「徹子の部屋」は1976年2月2日、テレビ朝日で午後1時台に40分間で始まった。実はこの前の約3年間、徹子は同時間帯のワイドショー「13時ショー」で司会を務めていた。ところが、この番組出演を打診された際、徹子は半ば固辞する形で、こう言ったという。

「ワタクシ、そういう主婦層が観るような番組には向いてないと思うんですが」

 結婚もしていない、子供もいない自分が、主婦にウケるはずがないと思ったのである。ところがテレビ朝日側はこう返した。

「いや、これからの時代は、あなたのように自由に物事を言う女性が求められています!」

“ウーマン・リブ“という言葉が巷に出始めたのが、まさにこの1970年代初頭である(※1)。実際、徹子の評判は良く、中でも番組内でゲストにインタビューするコーナーは大受けだった。また、TBSラジオで放送されていた、徹子とゲストの20分のトーク番組も人気だった。そこで、いわばその利点を拡大して番組にしたのが「徹子の部屋」だったのだ。

 当初はトークだけで40分は持たないのではとの懸念から、10分のクイズコーナーがあったが(司会はラビット関根=後の関根勤)、すぐにトークのみの編成に。徹子の聞き出しの上手さが光ったのである。なお、徹子ばかりが喋っているように見えるが、番組関係者が言うには、「徹子さんが一気に早く喋るから、そう見えるだけ(笑)」。では、その代名詞と言っていい、早口の理由は?

〈肺活量が1600(普通の人は3000)しかないので、しゃべりながら息をしなければならないので早口になるのです〉(「女性自身」1980年11月27日号)

 では、もう一つのトレードマークである、あの“たまねぎヘア”については?

 実はこの髪型、「徹子の部屋」以前より馴染んでいたものだが、今の方が、かなり大振りになっている。ヘアメイクやスタイリストと話し合い、現在に至ったそこには、徹子のプロ意識があった。

「ゲストに対して、自分が頷いているのかどうかをわかり易くするため。まして、私は司会者ですから、後ろから撮られることも多い。ですので首筋をすっきり見えやすくして、こちらも、頷いているのか伝えやすくしたのです」(本人談)

 お笑い芸人が出演した際に披露するネタに対し、ノリが必ずしも良くなく、“芸人殺し”とも称される徹子。首筋の動きに戦々恐々としている、出演予定の芸人も多そうだ。

100円の衣装で出たことも!

 さて、今では知られる「徹子の部屋」の2大基本方針は、以下となる。

・スキャンダル、ゴシップについては聞かない。
・基本的に、編集はしない。

 前者については、「そういうことに触れると、相手も心を開いて話してくれないから」という徹子の配慮もあるが、もう一つ、テレビ放送開始当初から活躍している徹子ならではの卓見もあった。

〈それを聞くと番組が長続きしない〉(毎日新聞1995年12月3日朝刊)

 後者は、出来るだけゲストの素顔をそのまま見せたいという、番組の何よりの志向の表れでもある。とはいえ、高倉健が出演した際(1980年と1988年の2度)、幾度か数十秒から1分以上沈黙してしまい、それをそのまま映し続けたのは有名だ。うち1つは、「好きな女性を追いかけて上京したが、お金も稼がなきゃいけないので俳優になった」という、いわば俳優・高倉健誕生の秘話と言っていいトークの際、徹子が質問した時のことだった。

「お金が欲しいというのは、その女の人と生活するためだということ?」

「(自分でも疑問の体で)そうですねえ……」

「(それとも)生きるために?」

「……。(沈黙の後、)幸せになるためっていうんですかね」

 今では、無口で思慮深い健さんがよく出た名場面とされるが、こちらは、テレビ草創期から、それこそ舞台や生放送のドラマで女優としても活躍して来た徹子の眼識も活きていた。

〈自分が俳優で良かったと一番思うのは、相手の目を見て、今は『考えているのか』、それとも『答えたくないのか』を判断出来ること。芝居では、相手がセリフはわからずに混乱しているのか、それとも芝居なのか、見定めないといけないから〉(毎日新聞。2025年12月2日夕刊)

 ところで、「徹子の部屋」と言えば、徹子が毎回衣装を変えることでも有名。得てして豪華な仕様のそれらだが、長き歴史を誇る番組だけに、100円ショップで買ったワンピースを着用したこともある(2001年5月22日放送分)。1990年代のバブル崩壊とデフレを受け、不況期の成長業界として、100円ショップが世に浸透して来た時期だった。

 一方、旧知の小沢昭一がゲストの際は、互いにコスプレで競演。CAとパイロット、ナースとドクター、巫女と神主、ヤマンバギャルとギャル男、果てはセーラームーンとクレヨンしんちゃんなどなど。こちらは2012年に小沢が没するまで、計15回続いた。きっかけは小沢の初出演時、徹子が「学生時代の話をしたい」とリクエストしたため(1976年)。よってその際は、互いにセーラー服と学生服で登場。以降に至ったのである。なお、セーラー服については、こちらを正装としていたお笑いタレント、桜塚やっくんの登場時も着用していたことを付記しておきたい。

 他にも、デーモン小暮(聖飢魔II)の出演時には、ロックミュージシャンや魔女の恰好を、ベストジーニスト常連の草薙剛相手にはジーンズ姿で、「『ザ・ベストテン』が大好きだった」と言う平井堅には、同番組の最終回で着た衣装を再び披露した徹子。ファッション面でも毎回サービス精神旺盛な理由は、番組スタート当時に届いた、意外な投書にあったという。

〈耳の不自由な視聴者から「毎回デザインを描いて楽しんでいます」と思わぬ反応があったため〉(朝日新聞。2001年1月30日)

「徹子の部屋」で着た衣装は毎年、チャリティー・バザーに寄付されている。

ぺ・ヨンジュンのダミーにされた人物

 名場面かつ迷場面としては、筆者としては先ず、「vsスポーツ選手」を挙げたい。というのも、徹子は大変なスポーツ音痴なのである。よって、なかなか例を見ない、ユニークなやりとりが展開することになる。

・「バットの、どの辺に当たると、ホームランになるんですか?」
「この辺ですかねえ」(と、王貞治が、持参したバットを指差す)
「そうですか〜! じゃあみんな、そこに印を付けておけばいいですね!」(※王は爆笑)

・「ところで、ホームランのサインは、どうなさるんですか?」(元広島監督・古葉竹識に)

・(野茂英雄から、変化球の投げ方を教わり)
「そうだ! マジシャンの方なら指先を使うのが上手いから、一度話を聞くといいと思いますよ」
「ああ、そうですね(苦笑)」(野茂)

・「ゴルフ場を空から見ると、お白洲のようなのがありますけど?」
「あれはバンカーと言います」(岡本綾子)

・村上隆(プロゴルファー)「ゴルフは、18ホールあるんですよ」
「えぇっ!? あのボールを入れる小さな穴が18個も! 私、1個だけだと思ってました!」

 対して、興味津々のようなのが、やはりイケメンの登場する回。中でも韓流スターには目がないようで2006年、イ・ビョンホンが出演した回は、徹子もモスグリーンのチマ・チョゴリ(韓国の民族衣装)をまとい、収録に臨んだ。2005年、ぺ・ヨンジュンの来日及び出演時には、“ヨン様”ブームの最中だったゆえ、徹子自身もソワソワ。テレビ朝日に来ているのを知り、周囲がパニックになるのを恐れ、先ず、ヨン様は車ごとスタジオに入ることに。さらに、楽屋に「ぺ・ヨンジュン」と書くと、それまでの隠密行動も水の泡ということで、ことを荒立てぬよう、こちらは、「徹子の部屋」の最多出演者の1人であり、徹子とは昵懇の人物の名前が、代わりにダミーで貼られたのだった。

「永六輔」

 そして、最高視聴率(14.5%)を叩き出したのが、今では多数の男優賞に輝き、並びに紫綬褒章、旭日小綬章をも受賞している、俳優の三浦友和の出演回。1981年4月10日オンエアで、この時友和は、新婚5ヵ月目だった。ラテ欄にも「結婚生活を語る三浦友和」とある。妻はもちろん、結婚と同時に歌手を引退した伝説の歌姫、山口百恵である。「徹子の部屋」では、事前に対談相手を徹底リサーチすることでも知られる、この日もそれを活かした徹子の投げかけが光った。

「(百恵さんは)お料理なんかも上手なんですってね」

「予想外に上手でしたね」

「徹子の部屋」出演者ならではと言っていい、素直な本音を友和が零すシーンもある。徹子が「百恵が結婚を機に、引退すると聞いた時の気持ち」を聞いた時だった。

「日本で一番驚いたのが、僕なんじゃないですかね?」

 そして、その後のやりとりを問いかける徹子に言った。

「理由? 聞きませんでした」

 直後に、こう締めている。

「僕に懸けてくれたんだと思っています」

最終回を決めるのは、あのタレント!

「最も発行部数の多い自叙伝」として、こちらもギネス世界記録に認定されている徹子著の「窓際のトットちゃん」にもあるが、幼少時から興味の度合が奔放だった徹子は、小学校を退学させられている。そんな徹子を受け容れた転校先の校長である小林久作から、言われた言葉は、徹子の大きな礎となっている。

「君は本当はいい子なんだよ」

「徹子の部屋」でも、スタッフには同じ大きさでケーキを切り分け、番組でお菓子を貰った際は、必ず徹子が音頭を取って、あみだくじで取る順番を決める。嫌いな言葉は“差別”、好きな言葉は“平等”とか。

 病気による「徹子の部屋」の収録休みは、開始以来、一度もなし。これは、番組開始の数年前、ある仕事を病欠してしまい、医者に、「病気にならないにはどうすれば良いですか?」と聞いた時の忠告を実践してるのが大きいという。

「好きな仕事だけやること。体の疲れは取れても、心の疲れは取れないから」

 50年を超え、その人気も魅力もますますその盛んな感のある「徹子の部屋」。現在92歳の徹子が100歳になってもの続行が望まれるが、実は最終回を決める人物が、既に存在するという。

 それは、マッチこと、近藤真彦。「ザ・ベストテン」時から「息子」と呼び可愛がって来たマッチに、「もし番組を観ていて、『もうダメだ』と思ったら、辞めるから言ってね」と頼んであり、快諾を得ているという。とはいえ、マッチは、不安げにこう付け加えたとか。

「でも、その時まで、僕の方が生きてるかなあ……」

※1:日本における呼称は、1970年10月4日付の朝日新聞が女性解放運動の原語である「Women's liberation movement」をウーマン・リブと表記したのが始まり。同年11月13日の週刊朝日では「ウーマン・リブ座談会『抱かれる女』から『男を抱く女』へ」という記事が掲載。女性の意識改革に拍車をかけた。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。近著「10・9 プロレスのいちばん熱い日」(スタンダーズ)が重版出来中。雑学にも通じており、「世界の国々 おもしろクイズ1000」(メイツ出版)においては、ほぼ全問を作成及び執筆している。

デイリー新潮編集部