【もへじ】丸ノ内線新宿御苑から徒歩5分!セブンイレブンの屋上に23棟の住宅街!「新宿の空中ベッドタウン」誕生の理由

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スーパーの屋上に、関係者以外立入禁止の住宅街

丸ノ内線の新宿御苑駅から歩いてわずか5分の場所に、「富久クロス」と呼ばれる、セブンイレブンとスーパーの屋上が住宅街になっている前代未聞の再開発があるのをご存じだろうか。

しかもこれは、単なる再開発ではない。日本初・世界初の取り組みをいくつも取り入れた、“再開発の見本”ともいえる街だ。

しかし、かつてのこの街は見る影もなかった。バブル崩壊と激しい地上げによって無人のビルや空き家が広がり、ホームレスによる不法占拠も蔓延。道が狭すぎて、不審者が火事を起こしても消防車が入れなかった。神社はお賽銭が盗まれるため封鎖され立入禁止に。昼間でも室内照明が欠かせない街へと化していた。

住民の多くは数億円の借金を抱え、毎年税務署から督促状が届く。そうして残った住民は高齢者ばかりで、「ここは日本か、異国のゴーストタウンか」と言いたくなる、荒れ果てた場所だった。

当時の行政の対応も悲惨だった。地元の新宿区役所は見て見ぬふりを決め込み、東京都は「もはや手が付けられない、再開発など不可能だ」と匙を投げた。再開発を進めようとしていた土地を、滞納税金を回収しようと公売にかけて妨害するという本末転倒な事態まで起きた。しかも、生じた空き地は外資系企業が買い漁っていく。

当時、国土庁長官が現地を視察し、あまりの惨状に言葉を失ったというこの街は、まさに「日本最悪のバブル遺産」と呼ぶにふさわしい場所だった。

そこがなぜ、日本の“再開発の見本”といわれる街並みへと変貌したのか。富久町でいったい何が起きたのか、当時の新聞や専門誌をもとに振り返っていこう。

もともとは武家屋敷が広がる街だった

富久クロスがある一帯はかつて「若松」と呼ばれ、尾張徳川家の下屋敷を中心とした武家屋敷や寺社が広がる場所だった。

明治以降、これらの土地の大半は旧日本陸軍のものとなり、陸軍戸山学校や陸軍軍医学校といった研究・訓練施設が置かれた。都心に近く、武家屋敷跡という広大な土地は学校機関にとっても魅力的で、戦前から早稲田大学、東京医科大学、戸山高校などが設立された。

戦後に旧陸軍の土地が解放されると、学習院女子大学や東京女子医大も移転し、日本屈指の文教地区へと発展していく。また戦前に陸軍の大病院・医療研究施設があったことから、国立感染症研究所や国立国際医療研究センターといった先端医療の研究機関も置かれている。

新宿区HP 新宿区景観まちづくり計画・新宿区景観形成ガイドライン(令和5年3月改定版) エリア別景観形成ガイドライン(若松地域)より引用

そして、それ以外の土地は、東京の新しい下町として発展していった。といっても整然とした住宅街ではなく、戦前・戦後に形成された街並みで、道路は狭く入り組み、防災上の懸念もある下町だ。住宅も小さく、住環境としてはそれほど優れているわけではなかった。しかし公園には子供たちの賑やかな声が響き、大人たちは醤油の貸し借りをするなど、昔ながらの近所付き合いが息づく古き良き街でもあった。

こうした街もいずれは再開発が必要になる。しかしそれは、50年・100年先を見越した計画でなければならない。住民を立ち退かせて再開発を行うには、そうした長期的な視点が不可欠だ。

ところが、ある異常現象がこの街を狂わせた。1985年から始まった、空前の好景気・バブル景気だ。

日本史上最悪の地上げ

バブル景気は、銀行や住宅ローン専門会社(いわゆる住専)、不動産会社を中心に、世の中を大きく狂わせた。この時「土地の値段は絶対に下がらない」という神話が生まれ、再開発が見込める土地は手当たり次第に買い漁られたのだ。

もともと新宿は、JR各線や都営地下鉄、さらに小田急、京王といった私鉄が集結する交通の大ターミナルであり、新宿三丁目や歌舞伎町といった繁華街を擁する街として、戦前から発展を続けてきた。

そこにさらなる変貌をもたらしたのが、新宿副都心の誕生だ。旧淀橋浄水場の移転と再開発によって生まれた超高層ビル群がそれである。1971年に世界一高い超高層ホテルとして京王プラザホテルが開業したのを皮切りに、1991年に世界一高い庁舎として東京都庁が竣工するまで、次々と超高層ビルが建設されていった。

交通・娯楽・ビジネスと、都市に必要なあらゆる要素を日本どころか世界トップクラスの質と量で揃えた新宿は、まさに戦後の経済発展を象徴する街となった。

そんな新宿の繁華街・新宿三丁目まで徒歩数分、丸ノ内線・新宿御苑前駅からも徒歩5分という好立地に、古びた住宅街が残っていた。西富久である。再開発にうってつけの場所と見た多くの企業が目をつけ、たくさんの営業マンが押し寄せた。

「1坪600万円で買います!」

「それならこちらは1坪1000万円出します!」

「いや、私は2000万円出します!」

新宿とはいえ「畳2畳分の土地が2000万円とは、どこの世界線の話か」と突っ込みたくなるが、これは西富久地区で実際に起きた地上げの一幕だ。30坪(約100平方メートル)の蕎麦屋を10億円で買い取ろうとした話まで残っている。

西富久を狙い撃ちにした地上げ屋たち

いくら土地に愛着があり、近所付き合いが良好でも、目の前でジュラルミンケースから5億円もの札束が積み上げられていけば、心は揺らぐ。昨日まで「絶対に売らずに住み続けよう」と言い合っていた隣人が、翌朝には姿を消している。町内会の会長でさえも、営業マンの巧みな話術に落とされ、いなくなった。

地上げの最中には原因不明の火災も発生し、アパート3棟が一気に燃え上がる騒ぎなども起きている。

▲かつての西富久町/新建築 91巻4号 2016年2月 2016.2 20年余りをかけたまちの再生事業 西富久地区第一種市街地再開発事業 Tomihisa Cross:まちづくり研究所(基本構想・設計) 久米設計(実施設計) 戸田建設(設計協力) (集合住宅特集)

なかでも特に悪質と言われたのが、のちに経営陣が軒並み逮捕された住専・日本ハウジングローンから140億円もの融資を受けた不動産会社「コリンズ」グループだ。同社は西富久にショッピングモール付きの23階建て分譲マンションを計画し、子会社の営業マンを使って手当たり次第に土地を買い漁った。

住民を追い出す手口も悪辣だったという。早朝や深夜の強引な飛び込み訪問は当たり前。アパートや借家の住人に対しては大家に大金を渡し、退去させるよう圧力をかけた。

▲地上げにより空き家が増えた街並み/『まちづくり』2009.4 地域探訪(22)住民たちの都心再生 東京都新宿区富久町

ズタズタに引き裂かれた近所付き合いの中で、地上げに抵抗し続けてきた人々もついに西富久を離れる決断をした。地上げ前には238世帯が暮らしていた西富久は、1997年には120世帯と半分にまで減少。しかも残ったのは経済的な余裕のある現役世代ではなく、高齢者ばかりだった。

かつて数多くの商店や飲食店が軒を連ねていた街も、限界集落と化したことで商売が成り立たなくなり、次々と姿を消していった。

究極の都市・富久クロスはどのように生まれたのか

こうしてバブル経済に翻弄され、悲惨な惨状に陥った富久のまち。その再開発を最初に提案したのは、地元に暮らす一人のお爺さんだったという。

その場所こそが、新宿の東側、伊勢丹からも徒歩圏内にある丸ノ内線・新宿御苑前駅から歩いて5分という好立地。西富久町、現在の「富久クロス」だ。

▲住民と関係者の熱意そして過去と未来がクロスする「富久クロス」 〜 西富久地区第一種市街地再開発事業(Tomihisa Cross) 〜アーバンインフラ・テクノロジー推進会議の資料より引用

ここは現在、スーパーの屋上どころか、マンションの屋上までもが住宅街というぶっ飛んだ再開発がなされている。家の真下にスーパーとコンビニがあるだけでも十分便利なのに、高級スーパーや医療モールも完備。広い公園に保育園まで揃い、外に出る必要がほとんどない、すべてが街の中で完結する究極の都市づくりを実現している。

車での外出にも不便はない。目の前を東京4番目の環状道路・外苑西通りが走り、首都高の入口も近い。さらに真下には、千葉の館山から東京の青梅を結ぶ幹線道路・靖国通りが通っている。

ちなみにこの靖国通りは関東大震災の復興計画を象徴する大正時代の東京横断道路で、両国で京葉道路に名を変え館山道へと続く。反対方向は新宿で青梅街道となり東京西端まで延びる。なお明治・昭和・平成通りがあるのに大正通りが存在しないのは、戦後に大正通りが靖国通りへと改名されたためだ。

▲(加筆)公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 デジタルアーカイブス 東京関係地図 番号:1-087 タイトル:東京復興計画一般図

▲(加筆)公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 デジタルアーカイブス 東京関係地図 番号:1-130-1    タイトル:東京都市計画道路網図 (1)

なお、通常こうしたバブル崩壊で生じた不良債権や破産した企業の借金は、取引先や融資した銀行が損失を受け入れる形で処理される。しかしこの街では、借金をきちんと返済できるよう綿密な収支計画を立てて、関係者全員を納得させた上で再開発を実現させた。これは全国でも極めて珍しい事例である。

いったいどのようにして、日本最悪のバブル遺産はこれほどの街へと生まれ変わったのか。その波乱の道のりを次編で詳しく追っていこう。

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【つづきを読む】『7割が無人の家屋、住民は数億円の借金…新宿の一等地をゴーストタウンに変えた「日本史上最悪の地上げ」の実態』

【つづきを読む】7割が無人の家屋、住民は数億円の借金…新宿の一等地をゴーストタウンに変えた「日本史上最悪の地上げ」の実態