資本主義とは「正当化されたピンハネ」である。働いても豊かにならない仕組みの正体

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 なぜ、これだけ働いても豊かにならないのか。その理由は、個人の努力不足ではなく、そもそもの「仕組み」にあるのかもしれない。
 資本主義とは、労働によって生み出された価値のすべてが労働者に還元されるわけではない構造を前提としている。さらに、政治と資本の関係、そして失われた30年の中で進んだ賃金抑制――。

 日本社会に根付く“報われにくさ”の正体を生物学者の池田清彦氏が読み解く。

※本記事は、池田清彦氏著『人はなぜ働かなくてもいいのか』(扶桑社新書)をもとに再構成したものです

◆資本主義とは正当化された「ピンハネ」で儲ける仕組み

 資本主義とは、資本(お金や土地や設備など)を持つ者(資本家)が労働力を雇い、その成果を市場で売って利潤を得る仕組みである。

 たとえば労働者に1万円の賃金を支払い、その商品が1万5000円で売れれば、差額の5000円が利潤となる。

 もちろん利潤のすべてが資本家の懐に入るわけではないにせよ、労働によって生み出された価値のすべてが賃金として還元されたりしないのは紛れもない事実である。

 農家が育てた米が3000円で出荷され、店頭で3500円になる場合も同様だ。

 500円という差額には輸送や保管、販売といった機能が介在しているが、生産者が最終価格の全額を受け取っていないというのは明らかだろう。

 ごく単純な言い方をすれば、資本主義というのは正当化された「ピンハネ」で成り立っているのだ。

 つまり、働いた人が生み出した価値のすべてが本人に帰属するわけではなく、別の主体の取り分として配分されるという構造自体は、弥生時代以降の社会と本質的に変わっていない。

 余剰の帰属先が国家から資本家へと移ったというだけで、その仕組みは資本主義のもとでより洗練された巧妙な形に再編成されただけなのである。

◆国家の政策が金持ち優先になるのが必然である理由

 資本主義が勃興するまでは、最大の富の所有者は基本的に国家であった。

 フランス国王ルイ14世(在位1643‐1715)は「朕は国家なり(L’État, c’est moi)」と語ったと伝えられるが、それは国家と権力と富がほぼ一体化していた時代を象徴する言葉だと言えるだろう。

 しかし現代においては、政治的な統治権を握る者と、経済的な富を蓄積する者とは必ずしも一致しない。

 むしろ巨大企業を率いる資本家や経営者のほうが、国家の指導者よりもはるかに多くの資産を保有している場合もある。

 たとえばビル・ゲイツやイーロン・マスクの資産は、多くの国家指導者の個人資産を大きく上回るとされている。

 トランプのような富裕層出身の政治家も存在するが、国家を統治する権力と、純粋な資産規模の大きさとは別の次元の話である。

 日本でも同様に、柳井正や孫正義といった大物経営者の資産は、時の総理大臣のそれをはるかに超えている。

 こうした状況のもとでは、政治と資本が無関係でいられるはずがない。建前はいろいろあるにせよ、政治は理想だけで動いているわけではないからだ。

 資本を多く持つ企業に擦り寄れば、政治資金というかたちでの見返りが期待できる。

 一方で、資本を持たない層をいくら支援しても、献金が増えるわけではない。そう考えれば、政策がどちらに向きやすいかは自ずと見えてくるだろう。

 実際、日本においても、長年政権を担ってきた自民党が大企業や経済界との結びつきを重視してきたことは広く知られている。

 特に第二次安倍政権以降は、法人税の引き下げや金融緩和など、大企業や株主を優先する政策運営がより明確になったのは周知のことであろう。

◆資本主義のテーマは「利潤の獲得とその最大化」