1980(昭和88)年9月9日、全日本アマ将棋名人戦に初優勝した小池重明五段(当時)

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 1992年5月1日、アマチュア棋士の小池重明さんが44年の生涯を閉じた。アマ最強といわれた強さを誇り、「新宿の殺し屋」「プロ殺し」の異名を持つ伝説の棋士である。だが、その人生は“放蕩”そのもの。人生のバランスが将棋の強さだけに偏ったかのような生きざまであった。生前を知る知人や後に『真剣師 小池重明』を出版する団鬼六氏らのコメントで伝説の男を振り返る。

(以下「週刊新潮」1992年5月14日号「墓碑銘」を再編集しました。文中の肩書き、年齢等は掲載当時のものです)

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定職はなく、酒浸りの生活

「人に迷惑をかけてばかりいたが、将棋だけは滅法強かった」

1980(昭和88)年9月9日、全日本アマ将棋名人戦に初優勝した小池重明五段(当時)

 と、小池重明さんの友人たちは一様にいう。

 囲碁、将棋などの勝負師の世界には、時に破天荒な生き方をする人物が現れるが、1992年5月1日、茨城県石岡市の病院で肝不全のために亡くなったアマチュア棋士、小池重明さん(44)もその1人である。

 二度アマチュア名人になり、プロの高段者との対戦にも勝って「プロ殺し」と呼ばれた。ところが、盤上では強豪でも、実人生においては落伍者――定職はなく、酒浸りの生活。

「飲む、打つ、買うの全部に目がなく、破滅型の人間だった」(友人)

賭け将棋で放浪生活

 愛知県出身。幼時に父親が家を出奔、母親は再婚し、小池さんは養父に育てられる。将棋も養父に教わったという。

「将棋が好きで学校へ行かなくなり、県立高校を中退してしまった。17、8歳でプロ四段くらいの力があった」(友人)

 19歳の時にアマチュア名人戦の愛知県代表になり、その後、将棋仲間を頼って東京や各地を転々、賭け将棋などをしながら放浪生活を始める。

 東京で小池さんの世話をした元アマ名人、関則可さんの話。

「初めて会った時は、図体の大きい、将棋好きのぼんぼんという感じでしたが、とにかく強かった。そのころプロになるという話が出ましたが、実現しなかった。というのは、上野の将棋センターで店番をやっていたころ、ある夜ふらついていて美人局に引っかかり、脅されて店の売上げをそっくり取られてしまった。ところが彼はそれを釈明できず、蒸発してしまったんです」

舞い戻る先は将棋の世界

 名古屋でトラックの運転手などをした後、20歳代半ばで再び上京する。が、その時15歳年上の女性を伴っていた。勤め先で知り合った人妻と駆落ちしたという。

 新宿の将棋道場に職を得たが、再び人妻と駆落ちした。その後、運転手になったり、不動産屋で働いたり、日雇い労働にも出た。日雇いでは、体格が良かったために真っ先に雇われ、他人より日当も上だったという。

 だがどんな職業も半年も持たず、「まるで禁断症状にかかったように」(知人)好きな将棋の世界に舞い戻るのだった。

 二度結婚し、いずれも離婚、二度目の妻との間に娘がいる。だが家庭を大事にする夫ではなく、いつも帰宅は遅く、生活費はもっぱらアルコール代に消えた。

 一方アマ将棋界ではスターだった。昭和55、56年のアマ名人戦を連覇し、さらにプロ棋士に挑戦し、当時八段だった森雞二(けいじ)氏にハンデなしの平手で勝って一躍名が轟いた。

アマ将棋界からも追放

 そんな折、新幹線の中で、将棋連盟会長だった大山康晴十五世名人と偶然出会った。プロになりたい意向を伝えたところ、申請書を出しなさい、といわれたという。年齢制限には抵触するが、連盟では特例として検討することになったのである。

 しかし、棋士会の大方の反対でプロ入りは成就しなかった。小池さんが各地で寸借詐欺騒動を起こしていたことが知れ渡り、その後始末をしていないなど、素行上の問題が拒否反応を呼んだのである。また将棋会館建設のためと称して募った金を流用したりして、やがてアマ将棋界からも追放された。

 だが、彼に住居を世話したり、働き場所を提供したりする親しい将棋仲間やスポンサーもいた。その1人、東京や茨城県で幅広い事業を営んでいる古沢文雄さんは、

「うちの石岡市の焼肉店で店長をやらせていたが、3年前にクラブの女と一緒に逃げてしまった。生涯で4回目の駆落ちです。彼は『おれは野良犬だ』といっていたが、飼われることが嫌いな男なんです。しかし憎めない、一緒にいると楽しい男でした」

やりたいことをやって来た

 小池さんが逃げて行った先はSM作家として有名な団鬼六氏の家だった。団氏は『将棋ジャーナル』のオーナー(1989年から休刊する1993年まで編集長。1995年に『真剣師・小池重明』を出版)で、そこで小池さんとプロとの対局を企画し、この天才棋士の復活を図った。だがその時小池さんは病魔に襲われていたのである。

「机龍之助(小説『大菩薩峠』の剣士)みたいに、悪いが強い。性格はハチャメチャだが、プロには勝てないという神話を崩した。天性的な強さで、研究などしないらしい。いつか彼の家に行ったことがあるが、将棋盤も駒も置いてないので驚いたことがある。女にもてたのは、彼の幼児性が女の琴線をくすぐるからです」(団鬼六氏)

 昨年8月、小池さんは1人で、痩せこけて石岡市へ戻って来た。すぐに病院に入院。肝硬変であと1カ月の命と宣告された。だがそれから半年以上生きた。

 遺書には、「やりたいことをやって来たので後悔はない」と書いている。

デイリー新潮編集部