凶暴なオスの「子殺し」から逃げるため、母グマが人里へ…? 専門家が想像する“人間を恐れないクマ爆増”の恐ろしすぎるシナリオ
〈冬眠明けのクマは「歩きながら寝ている」状態に!? 睡眠、交尾、冬眠準備…クマたちの知られざる“1年の過ごし方”〉から続く
本来は人間を極度に警戒するはずのクマが、なぜ人里へ降りてきてしまうのか。生ゴミや残飯の放置が原因であることは知られているが、実は“生態的な背景”が隠されている可能性がある。
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ここでは、東京農工大学大学院農学研究院教授の小池伸介氏による『クマは都心に現れるのか?』の一部を抜粋。思わず納得する、クマが人里に降りてきてしまう理由についての考え方を紹介する。

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何がクマを呼び寄せるのか
ここまでクマについて、好奇心旺盛で探索能力に優れ、一方で警戒心が強いということを述べてきた。では、クマはどんなものに好奇心をくすぐられ、引き寄せられ、本来なら強い警戒心のために避けてきた人里へ出てきてしまうのだろうか。よくクマの誘引物として引き合いに出されるのが、防除対策のしていない農作物(果樹、トウモロコシなど)やその放置物、生ゴミや残飯などだ。その他に、ぬか漬けなどの発酵食品もにおいでクマを引き寄せる危険性があり、屋外に放置されたイヌやネコの食べ物も誘引物となる。
また、ガソリンや灯油、ペンキ、シンナーなどの揮発性の物質も嗜好するとされている。
ただ、これらの揮発性物質は、例えばカキやクリ、残飯などの誘引物とは異なったものだと思う。もちろん、クマが揮発性のシンナーなどのにおいを好むのは間違いなさそうで、国立公園の道路標識などにクレオソートのような防腐剤が塗布されていることがあるが、クマはよくそうした標識や看板をかじったり、執着した痕跡がうかがわれることも多い。
揮発性物質を好むのは明らかだが、それがクマを街の中へ誘引するほど魅力的かというと、そうした事例もなく、クマにとってみれば揮発性物質でお腹が満たされるわけでもない。
基本的に食べ物にならないものは、好奇心をくすぐられる程度であり、警戒心を解いて危険を冒して人里へ出てくるほどの強い誘引物ではないと考えている。
2025年、それほどクマの被害が深刻ではなかった東北以外の地方では、農家の庭先にカキなどがたわわに実っていて放置されていたりした。そうした果実もクマを誘引するわけだが、やはりドングリなどの山の実りが豊かな場合、いくらカキがたくさん実っていてもクマは簡単には人里へ現れたりはしない。もちろん経験による記憶力が優れているので、かつてカキの実を農家の庭先で食べたことがあれば、カキを食べに行ってみようと行動に出る可能性はある。とは言っても、人里のカキの果実は確かに目立つが、その量はたかが知れている。一方、ドングリを実らせる木は前述の通り森の優占種である。それらが一斉にドングリを実らせれば、クマは移動せずに、ドングリを食べ続けることができるので、極めて効率の良い食べ物である。クマには栄養素に関する知識はないだろうから、冬眠のための脂肪を蓄えるために、どの食べ物がいいか選ぶような行動はしないと想像できるが、あちこち移動せず、安全な場所で効率的にたくさん食べることのできる食べ物をより好むのは確かだ。
ただ、生ゴミや残飯など、高カロリーの食べ物があることを憶えてしまうと厄介だ。味も栄養価も自然界にはない食べ物だ。しかも、カキと違って食べてしまっても、いつの間にか人によって補充される。その経験は、人間に例えると行動依存を強めるという意味で依存性薬物に近い性質を持つようになり、執着するようになっても不思議ではない。つまり、庭先に植えているカキとうっかり放置してしまった生ゴミや残飯などは違う性質のものであり、人間が注意すれば誘引しないという意味でやはり生ゴミや残飯などの管理は徹底すべきなのである。
クマ同士はコミュニケーションが取れている?
クマ同士はコミュニケーションが取れるのだろうか。クマは基本的に山の中で一頭一頭、離れて別々に生活している。子育てと繁殖のとき以外で他の個体と一緒にいることはない。
だから、山の中で出会った他のクマから、あそこに行ったら美味しいものがあったよ、という情報を教えてもらうようなことはないと考えられている。基本的なコミュニケーションは、生後1年半の間、子が母親から教わる際に取られる程度だろう。
ただし、全く個体間のコミュニケーションがないかというとそんなことはなく、例えば「背こすり」という行動がある(Ogawa et al.2020)(図5)。
これはクマが樹木にしがみつき、身体をこすって樹木の表面に自分の匂いをこすりつけ、その木の匂いを嗅ぐ行動だ。
山を歩くと、クマが背こすりをした際に、樹皮に体毛が引っかかった痕跡のある樹木を見かけることがある。クマが背こすりでどのようなコミュニケーションを取っているのか、まだよくわからないが、繁殖期にそうした木を訪れる頻度が高まることから、おそらく森の中にこんなオスがいるとか、こんなメスがいるとか、繁殖に関わる情報を匂いを通じて個体間でコミュニケーションを取っているのだろう。俺はこんなにデカいんだぞと背こすりで体格を誇示し、若く体格が小さいクマをオス同士で威嚇し合うといった、自分の存在を主張するような行動が、背こすりと考えられる。
クマの背こすりで最近わかってきたのは、主に針葉樹で行うということだ。特に、針葉樹の中でもヤニが多く出ているような木が大好きであり、あえてヤニを出すためだけに樹皮を剝ぐこともある。ヒノキ風呂の匂いに象徴されるように、針葉樹からはいい匂いがする。山の中で単独で暮らすクマにとっては、ヤニの匂いがランドマークとして機能し、その匂いを頼りにこすり木を訪れることで、他のクマの情報を得ているのかもしれない。単独性のクマにとっては、森の中での他の個体との遭遇の機会が少ないため、掲示板のように送り手がその場にいない状態であっても情報伝達が可能な、嗅覚によるコミュニケーション手段に依存していると考えられている背こすりと似た行動に、樹皮剝ぎ、通称「クマ剝ぎ」がある。背こすりとクマ剝ぎとは全く異なる行動だ。クマ剝ぎとは、クマが主に針葉樹の樹皮を剝ぎ取り、樹皮と木部との間にある形成層(養分を蓄えた部分)を食べる行動である。クマ剝ぎにあった樹木は枯れてしまったりするので、1960年代から1970年代に林業の被害対策としてクマが盛んに駆除された理由にもなった。せっかく植林した針葉樹の樹皮をクマが剝いで、樹木の形成層を食べる行動が問題視されたのである。つまり、背こすりは繁殖などのコミュニケーション行動、クマ剝ぎは食べる行動となっていて、全く別のものだ。
メスの子育てとオスによる子殺し
クマの社会で、一番弱いのはやはり子グマである。特に繁殖期、夏前の子グマにとってオスの成獣が一番の天敵となる。なぜ、オスの成獣が子グマを殺すのだろうか。授乳中のメスは発情しない。そのため、オスはメスを発情させるため、子育て中のメスが連れている子を殺し、授乳する必要がない状況を作り出すことでメスの発情をうながす。動きがまだ遅い幼い子グマほど、オスによる子殺しの犠牲になりやすい。生後、最初の半年を生き延びることができるかどうかが、その後のクマの一生を左右すると言っていい。海外のヒグマの場合、0歳の子グマの死因の約8割がオスによる子殺しである。それくらいクマの生存率にオスの影響は大きい。
オスの子殺しを回避し、最初の半年ほどをなんとか生き延びることができれば、どのクマもそれなりに成熟すると思われるが、その後の自然死亡率はよくわからない。私は25年以上クマの研究をしているが、クマの自然死を見たことがなく、子殺しを生き延びた後のクマの状況はよくわからない。昔から山を歩いてきた猟師などは、冬眠中に死ぬクマが多いから死体を見かけないのだという話をしてくれるのだが、一方でおそらく有害駆除率が非常に高いことも影響していると思われる。つまり、老衰や自然死しないうちに駆除されてしまうクマが多いのだろう。
オスによる子殺しから母親が子を守れるかどうかは、クマの世界ではとても重要だ。それは母親の年齢や経験によって違ってくる。どうしても経験の浅い若い母親は、オスによる子殺し以前に子をうまく育てられないことが多い上、オスから守れずに子が殺されてしまうことも多いようだ。オスが近付いてくるのを感知するのが遅れたり、向かってきたオスと闘争できないなど、若さゆえに子殺しをされてしまうことが多いと思われる。そして、こうしたことを経験していく中で嗅覚を研ぎ澄ましていき、オスの匂いを早く察知できたり、オスがきにくいような場所で冬眠するなど、次第に子を残せるようになっていくのだろう。一方、オスを感知する能力が低かったりするような母親は、いつまでたってもオスに見つかってしまい、子を殺されることを繰り返していると思われる。
「集落周辺で育ったクマ」が増える危険性
前述したように、オスは子殺しによってメスを発情させて交尾を促す動物である。この行動により、オスから受ける一つの圧として、子連れの母親が人里へ追い出されてしまうようなケースも十分に考えられる。海外のある地域で観察された子育て中の親子グマは、オスが子殺しをする繁殖期の間、あえて人間が住んでいる場所の近くにいることが多かったという。一般的にオスのほうが人間への警戒心が強いので、人間のいる場所には近付いてこないことが多い。母親は、こうしたオスの警戒心の強さを利用して、人間の近くで子育てをするのである。この事例では、秋になると母親は子を連れて奥山に戻っていったという。
こうした事例はまだ日本では実証されていないが、バッファーがなくなり、クマと人間の境界が接近している状況とは別に、ひょっとしたら警戒心の下がったクマが出現した背景には、クマの分布がじわじわと広がり、子連れの母親が子育てするためにオスがきにくい集落近くへ、より選択的に進出してきたことがあるかもしれない。
つまり、森の中のクマの分布は一様ではなく、年を取ったオスのクマは山の奥のほうにいて、子育て中のクマや若い個体が集落の周りにいるという構造ができ上がっている可能性もある。そうした構造ができているとすると、それは非常に怖いことだ。なぜなら、集落周辺に常に子育て中のクマがいるということになり、そうした母親に育てられ、教えられたクマが世代を超えて増えていくことになるからだ。
集落周辺で育ったクマ、特にメスは、自ら学んだことを子供に伝える。さらに、本来は淘汰圧となるオスの子殺しが少ないことで、人への警戒心が下がったクマがコンスタントに誕生、成長し、世代を超えてものすごい速さで警戒心が下がり続け、年々警戒心のより低下したクマが増えてくる可能性がある。
(小池 伸介/Webオリジナル(外部転載))
