逮捕された映画監督が撮った映画がなぜ衝撃的か…太田真博監督『エス』が問いかけること
2年前、東京・大阪で公開されるや、一部の映画ファンに大きな衝撃を与えた映画がある。映画『エス』は、実際に起こった刑事事件の被疑者となった監督が、自分自身をテーマとしている。その後、海外映画祭で受賞・上映を重ねてきた『エス』が、この4月から、国内劇場で再上映される。森達也氏も激賞した映画の魅力を、評論家の平岡竜が記す。
異様なまでに鋭い日常
太田真博監督の『エス』は、いままでにない映画だ。かつて観たどの映画にも似ていない。画面に引き込まれて観入っていると、時に居心地が悪くなったりする。でも、人物の存在感や話の成り行きは、現実味をもって心に入り込んでくるのである。
居心地の悪さは、物語の展開に孕まれる重さから来るよりも、人間関係、会話、間合いなどの微細な感覚に、過去の自分の経験が瞬間的によぎるからかも知れない。『エス』は日常を異様なまでに鋭く映し出す。でもこの映画は、設定自体に日常と離れた特殊性がある。
映画の前提はこうだ。「エス」こと映画監督の染田真一が逮捕される。罪状は不正アクセス禁止違反容疑など。知り合いの女性に成り済ましてメールを送ったりしたということらしい。大学時代の友人たちは囚われた「エス」のために嘆願書を書こうということで集まり、久しぶりの再会を果たす。
この特殊な設定は、実は太田監督の身に起こったことが元になっているという。つまり太田監督は、かつて現実に同様の犯罪を犯し、それを知った友人たちが繋がり合って彼を支えようとした事実があったのだろう。
「エス」との関係
太田監督は自らがなしたことを振り返り、映画でその苦い経験を描こうとするとき、自分の行為と内面を掘り下げる方法を取らなかった。「エス」自身は映画に、暗示的な後ろ姿以外ほとんど出てこない。太田監督は「エス」にカメラを向けるのではなく、自分の逮捕をめぐって揺れ動く友人たちのドラマを、彼らの息づかいまで細やかに描いていく。
その描き方は、現実の犯罪に関わることを映画化する際の配慮もあったのかもしれないが、本質的には、太田監督が積極的に選び取った手法だったのではないだろうか。そして、「エス」の逮捕という非日常の出来事が友人たちのなかに生み出す波紋こそが、私たちが日常のなかで生きることの普遍的な意味を垣間見せてくれるのだ。
友人たちは「エス」の大学時代の演劇サークルの仲間だ。別の相手と結婚していながら「エス」を思慕し続け、「エス」の社会復帰に力を貸す女性。「エス」が監督する次回作に主演することになっていた男性。「エス」との関係の深さを誇る先輩……彼らは「エス」の不法行為に動揺し、理解不能と感じて悩み、「エス」を非難し、時に罵倒し、でもやはり「エス」を我がことのように案じる。
役者たちの振る舞いはナチュラルなのだが、それ以上に、特筆すべき印象を受ける。芝居が生々しいのである。「エス」に複雑な思いを寄せるそれぞれの人物のキャラクターを演じるのみならず、人物がかもし出す気配までも体現している感じだ。彼らの、従来の演技を超える新しい演技が、存在の手ざわりや関係性の奥行きを伝えてくれる。
人の影に触れることができるのか?
セリフというのは通常は物語を説明するための機能的な役割を負っているものだが、『エス』には私たちが普段、生理感覚に従って口にする、さほど意味のない言葉がちりばめられている。そして当然のように、気まずい沈黙、不可解な間がしばしば現れる。
現代的なリアリズム演劇のエッセンスを取り入れたような映画の時空間が、不在の「エス」をいまの社会のなかに描き出していく。「エス」をいっとき失った、友人たちの内面に、友人どうしの繋がり合いや軋みのなかに、「エス」がまざまざと存在している。
私たちのほとんどは犯罪に手を染めることはない。でも、自分の「罪」を意識したことのない人はいないだろう。それは、人には見せたくない、心の「影」の部分と言ってもいい。人は表面とは異なる内面を持つ。その多面性が人間だ。「エス」はそれを犯罪という形で表してしまった。そして、償った。友人たちは葛藤しながらも「エス」を仲間として抱き続けたーー。
映画の最後に蝦夷メキシカンズの曲が流れる。日々のつらさを噛みしめながらも、希望を手放さず、小走りするようなスカの響き。観終えたあと、胸のなかを次々と設問がめぐる。
私は友人のことをどれだけ知っているのか。
自分が知らない友人の貌を見たときどうするのか。
私は私のことをどれだけ知っているのか。
私は自分の過ちを、「影」を、見つめることができるか。
自分の「影」を介して、人の「影」に触れることはできるか。
映画『エス』から受け取った問いかけは、私のいまの日常を揺るがさずにはおかない。でもそれは、人が人間関係のなかで生きるこの人生を、豊かにするものであることは間違いないだろう。
映画『エス』
新宿K’s cinema(ケイズシネマ)にて、4月4日(土)〜4月10日(金)まで、連日19:00より上映
2024年公開のオリジナル版『エス』と、再編集を経て生まれ変わった『S』(インターナショナル版)を日替わりで上映。『S』(インターナショナル版)は今回が日本初公開(ジャパン・プレミア)となる。
《上映スケジュール》
『S』(インターナショナル版):4/4・5・6・10
『エス』(オリジナル版):4/7・8・9
