(写真提供:『後悔しない選択』/KADOKAWA)

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2025年下半期(7月〜12月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2025年11月11日)********16歳で日本代表デビューを果たして以来、日本女子バレーボールを代表する選手として活躍してきた古賀紗理那さん。日本代表のキャプテンとして挑んだ2024年パリオリンピックを最後に、現役引退を表明しました。選手人生を通して多くの選択をしてきた古賀さんが語る「後悔しないための選択」とは?初のエッセイ集『後悔しない選択』より、一部を抜粋して紹介します。

眞鍋監督からのある言葉を聞いて、キャプテンもバレーボールも辞めようと本気で考えた。それでも…

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理不尽な暗黙のルール

高校時代を振り返れば、楽しかったことはいくつもあるけれど、それと同じぐらいかそれ以上に理不尽に感じることもたくさんあった。

たとえば《暗黙のルール》。恋愛禁止とか私語禁止。

高校生だった当時、やたらと「禁止」されることがあった。

今でもはっきり覚えているのが、高校3年の時に出場した国体だ。

出場数が限られるので、男女同じ会場で開催されていた大会で、男子と女子の控え室、着替える場所や待機する場所は黒いカーテンで囲われていただけの共有スペースだった。

当時からアンダーカテゴリーで一緒にプレーする他校の選手もいて、久しぶりに会える貴重な機会でもあるので、顔を合わせれば言葉も交わす。中には「他校の選手と話すこと自体禁止」という謎すぎるルールが設けられているチームもあったけれど、私たちのチームにそんな決まりはない。

当然、他校の仲がいい選手に会えば話すのを禁ずる理由はない。

私は中学生の頃から一緒に選抜チームでプレーしてきた白井美沙紀と仲が良かったので、全国大会になると美沙紀に会えるのが楽しみでもあった。

話したいことはたくさんあるけれど、試合に来ているわけで、もちろんその場にいるのは自分たちだけでないこともわかっているから、声のボリュームを意識しながら、小さな声で美沙紀と楽しく話していたら、突然黒いカーテンが開けられ、別チームの監督に怒鳴られた。

「何をぺちゃくちゃしゃべってるんだ。今チームで話してんのがわからねーのか!」

突然の出来事に面食らって、言葉も出ない。

さらに言えば、言葉も出ないぐらいに驚いたのは、カーテンで囲っているのはそこが着替える場所でもあったからだ。

もしもあの時、勢いよく開けたカーテンの先で女子選手が着替えていたら、どんな反応をしたのだろう。社会生活をするうえで、やってはいけないことだと誰もがわかることを、監督という立場にあるだけで堂々とやっている、見本にならない大人も多くいた。

もしも威張り散らすだけの指導者や、上司に辟易している人がいるならば、私は心から言いたい。

そんな人の話、聞いても意味ないし、聞いて得することは何もないですよ。

ヒントをくれる指導者が一番

メディアの人たちが選手を潰す、と書いたけれど、潰すのはメディアだけでなく指導者も同じだ。私の場合、伊豆丸先生に出会い、「プレーする時は勝ち負けだけでなく、いろんな挑戦をしていいんだ」と教えてもらったおかげで、バレーボールの楽しさを知ることができた。

何より自分自身の成長を実感する喜びを与えてもらった。

でも他に視線を向ければ、生活面から暗黙のルールで囲い込む指導者も残念ながら多くいる。理由や策も出さずに、決められなかったら「最後はエースだろ」「お前が決めないから負けたんだ」と叱責されることのほうがきっと多い。

極論を言えば、私は誰が点を獲ってもいいと思っている。

たとえエースだろうと、セッターだろうと、ミドルブロッカーだろうと、リリーフサーバーだろうと誰だっていい。その時ベストな方法で点が獲れればそれでいい。


(写真はイメージ/写真:stock.adobe.com)

「お前が決めなければダメだ」と追い込まれることで、潰れてしまう選手もいるはずだ。人によってとらえ方が違って、私とは違う発想で「最後はエースの責任だ」と言われることが自分を燃やす材料になって、成長する選手もいるかもしれない。

でも「私はそうなれない」と頭が混乱して、攻めることすら怖がっている選手がいたとしたら、ただ怒鳴りつけるのではなく「こういう時はこうやれば決まるよ」とヒントを与えてあげてほしい。

あくまでヒント、すべてを教える必要はない。

決まらなかったらどうしよう、ミスをしたらどうしよう、とマイナスに引っ張られるのではなく、「こうすればうまくいくかもしれない」というヒントがあるだけで、頭を使うことができる。そうなると、課題を解決する力にもつながる。

大人になってからでも人は成長できるけれど、10代の頃に教わったことを、吸収する速さは段違い。柔軟な発想ができる学生時代に、「こういう考え方をすればこの壁が突破できる」と頭にあるだけで、その後は大きく違う。

ミスを叱責するばかりでなく、なぜミスにつながったのか。

根本的な技術が足りないのか。それとも考え方が間違っていたのか。

もっとひとりひとりと向き合って、その「なぜ」を解決する指導者がひとりでも多くいてほしいと心から願っている。

謎のルールを引き継ぐ必要はない

中学から高校へ入学した時以上に大事なことは、高校卒業後にどんな進路へ進むか。その選択次第で、人生は大きく変わる。

最後の春高を3回戦敗退で終えた私は、熊本信愛女学院を卒業後、Vリーグ(現・SVリーグ)のNECレッドロケッツ(現・NECレッドロケッツ川崎)に入団した。バレーボールはプロリーグではなく、企業がチームを有する企業スポーツで、私がNECへ入った時もバレーボール選手としてではあるが、NECの社員としての採用でもあった。

学生時代は1年と3年、大学まで進んだとしても1年と4年、年齢差はある程度限られるのに対し、会社、という組織に属するチームの中では年齢も経験もさまざま。

NECに入社したばかりの頃を思い返すと、とにかくいろいろなことに戸惑った。

最初の困難は、高校時代など比にならないような暗黙のルールの数々。特に入社して2年が過ぎる頃までは、チーム内では常に新人。練習の準備や日常生活でやらなければならない役割も多く、体育館の掃除の仕方やボールの渡し方。移動時にバスへ荷物を入れる時の積み込み方。

「何で?」と尋ねても「そういう決まりだから」としか返ってこない謎のルールが多すぎて、とにかく困惑した。

当時の私は理不尽なルールや役割を定められることが本当に嫌いだったので、新人と呼ばれる年数を過ぎ、チームの中でどんどん主軸と言われるポジションになっても、下の子たちに向けてコートで示すバレーボール以外で「これはこうして」と言うことは一切しなかった。もっと極端に言えば、コートの中でさえパフォーマンスを発揮してくれれば日常生活はどうでもいいと思っていた。

もともと人のことに関心がないというのも確かだけれど、自分がやられたことを人に押し付けるのが嫌だった。しかも理由がわからないのだからなおさらだ。

今となっては理不尽を命じられる日々を乗り切ってきたことは、いい経験だった、と思えるけれど、別にしなくてもいい経験だ。

むしろバレーボールという道でプロとして生きていくのであれば、余計に、無駄な上下関係も権力を振りかざす関係づくりも一切いらない。

やらされて嫌だった決まり事、謎のルールを次に引き継ぐ理由はないはずだ。

※本稿は、『後悔しない選択』(古賀紗理那:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。