「不良ガイジン」と呼ばれた男が東大、ハーバード大に現役合格 モーリー・ロバートソンさんの知られざる素顔
今年1月29日、国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんが亡くなった。63歳だった。母は日本人、父はアメリカ人。二つの祖国でよそ者扱いされ育ったモーリーさんの心の支えは音楽、それもパンクだったという。
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一味違うコメンテーター
モーリー・ロバートソンさんは、テレビの報道・情報番組のコメンテーターにラジオのナビゲーター、そして週刊誌での連載と幅広く活躍を続けてきた国際ジャーナリストだ。大柄で額の広い顔は一見すると強面だが、よく笑い、よく話す。
「モーリーさんは、相手の話を最後までちゃんと聞いて、自分の意見を具体的にしっかり伝えます。考え方や立場が違う人への共感力が抜群でした。あたりさわりのない言葉できれいに話をまとめるコメンテーターではなく、こんな見方もあるのではないか、あなたはどう考えますか、と話を広げて場を活気づけてくれました。問題や出来事に対して賛成、反対のように単純化しませんでした。強く言い過ぎたかなと思った時には、フォローを入れる気遣いもありました」(民放の番組関係者)
肩書は国際ジャーナリストといっても、世界情勢を大上段から論じるようなタイプとは全く違った。

「普段、常識だと疑いもせずに受け止めていることが、他の国では通用しないなんてザラにある。自分の身の回りの社会だけが現実ではないですよ、という意味合いを含んで“国際”という言葉を使っていたのではないでしょうか。日常の枠組みから一歩を踏み出すのは、リスクもあって面倒臭いことかもしれないが、視野が広がり考え方も多角的になってくる、それがやがて自身の変化につながってくる、と考えていました。海外に学べとか、日本の方が優れているとか、そんな薄っぺらな“国際”ではありません。生き方の核心に響いてくるような話をサラッとしていました」(同)
二つの祖国
1963年、ニューヨーク生まれ。母は毎日新聞に入社し女性初の外信部記者となった才媛。父はスコットランド系アメリカ人の医師。幼い頃から世界のなかで揉まれて育った経験が、モーリーさんの言動や発想の源になっていたのかもしれない。
父の転勤に合わせて、アメリカと日本を行き来して育ったモーリーさん。両国で道徳観や日常の暗黙のルールが違う。学校教育の在り方も違う。どうバランスを取ればいいのか、いや、どちらかに合わせなければ、と子どもながらに考え行動に移した。だが、アメリカでは東洋人と差別され、日本では“ガイジン”と言われる。
広島に住んでいた小学生時代、日本語や漢字を不自由なく使えるようになりたいと、インターナショナルスクールから公立小学校に転校。原爆投下の記憶から罵倒されもしたが、それ以上に戸惑ったのは、集団の規律、同調性が重んじられる日常だった。全員一律の基準に合わない人、逸脱した人は、差別や制裁を受けてしまう。
そうした環境のなかで、モーリーさんは他人が決めた暗黙のルールに従うより、自分で判断し行動しようと決めた。それは日本の多数派の視点では厄介者に映る。例えば、進学校として知られる私立修道高校在学中、ディスコに行ったことなどが不良行為と問題にされ、自主退学の形で追い出されてしまうという“事件”もあった。
パンク精神で受験を突破
自主退学後、母の実家のある富山県高岡市に移り、県立高岡高校へ編入したモーリーさんは、当初から不良のレッテルを貼られた。音楽が好きだったが校内のバンド活動を禁じられ、他校のパンクバンドに加入した。
ライブハウスに立つ一方、パンクの精神で高校が持つ既存の価値観を揺さぶろうとしたのが、モーリーさんらしい独自性と行動力である。なんと、受験に全く関心がないのに、バンド活動を続けながら東京大学を目指して猛勉強を始めたのだ。成績は急伸、これまでモーリーさんを排除していた教師は、「ガイジンなのに日本人以上に頑張っている」とほめるようになっていく。そして1981年、なんと東京大学とハーバード大学の双方に現役合格。「富山が生んだ受験の天才」と絶賛される。スター扱いで取材陣が押し寄せた。
「手のひら返しとはこういうことか、と実感したそうです。同じ自分なのに、置かれた状況で評価がガラッと変わりました。不良でガイジンと排除されていたのに今度は学歴社会のスターになった。成功者と持ち上げられても、表面的な見かけの部分だけでとらえられている点は同じだ、と感じ取っていたのです」(同)
逆の意味での「手のひら返し」に傷つくこともあった。高校時代の心の支えだったパンクバンドの仲間に、「お前はもう対等ではないから」と除名されたのだ。
東大に進むと、音楽プロデューサーの酒井政利さんから声がかかり、すぐにメジャーデビューを果たしたが、「実力もないのに話題性だけで、プロのミュージシャンにしてもらった」と本人は冷めていたようだ。
本質に迫りたい
東大では理科一類に学ぶも4カ月で中退してしまう。東大にも憧れの音楽業界にも入れたのに、このままではいけない、とハーバード大学へ進学。贅沢な環境を粗末にしているようにも感じられるが、自分は世間知らずで足りないものが多すぎる、アメリカで音楽をやり直したい、と必死だった。
電子音楽を中心に学ぶ過程で西洋音楽とは違う音楽に触れ、人類学や社会学なども巻き込んで考察を深めた経験が、柔軟な思考の糧となる。
1988年にハーバード大学を卒業すると日本に戻り、現代音楽の専門家としてテレビ番組の音楽プロデュースなどを手がけるうち、番組に出演するようになった。2010年代半ば頃からは、『ユアタイム』(フジテレビ)や『スッキリ』(日本テレビ)などでコメンテーターとして重宝されるように。俳優としてNHK大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)で、黒船を率いて来航したマシュー・ペリー役を演じたこともある。
「テレビ局側から見れば、東大、ハーバード大に同時合格の天才的な知識人としてコメンテーターに起用していました。多くの人がこういうイメージで自分をとらえている、ともちろんモーリーさんは御存じでした。また表面的な見方をされているのだな、と内心ではがっかりしていたかもしれません。それでも自分が求められている役割を果たして、さらにモーリーさんらしさを出してくれました」(同)
モーリーさんは政治的に左右どちらにも偏っておらず、現実的だった。
「正義を振りかざすような耳あたりの良いきれいごとこそ危険と考えていたと思います。世の中で正しいとされていることは、環境や状況が変われば意味がなくなってしまう、とモーリーさんは痛いほど体験して育っていますから」(同)
モーリーさんは、日本では変革のムードを示す人が支持されることはあっても、全く新しい発想を打ち出す人はそもそも歓迎されないのでは、と感じていた。野党や市民運動が果たして変化の担い手になるかといえば、与党あっての傍流に甘えており、「世の中が間違っている」という言い分には八つ当たりが詰まっている、と冷ややかだった。
「多くの人々が求めているのは解決策の実現性ではなく、わかりやすいイメージや一体感で、結局、複雑な問題から逃避しているのでは、ととらえていました」(同)
自由とリスク
他人や集団に頼らず、自分自身が変化していくしかないと唱えたのは、いかにもモーリーさんらしい。自分は自由にこうやりたいという意志を貫くため、リスクを引き受けてきた人である。
だが、若い世代を中心に自ら挑戦して変化を遂げるより、リスクを避ける傾向が強くなっているのでは、とモーリーさんは感じ取っていた。
「何が危険なのかを知らなければ、事前に警戒するのも難しい。失敗してもそれは後にきっと活かされます、私もたくさん失敗をしてきました、と話していました。」(同)
昨年8月、食道癌と診断された。治療をしながらテレビ出演や執筆を続けていたが、肝臓への転移も見つかる。
1月29日、63歳で逝去。20年来のパートナーで女優の池田有希子さんが旅立ちを見送った。
2015年から『週刊プレイボーイ』に連載していたコラム「挑発的ニッポン革命計画」の2月16日号掲載分が絶筆となった。最近、成人向けの同人誌販売や漫画配信の一部サービスで大手クレジット会社の決済が使えなくなる事例が相次いでいると示し、これは潔癖なアメリカの「ビジネスの倫理コード」が、公序良俗とうまく折り合いをつけてきた日本の性表現の文化に介入し始めたサインだと、語っていた。
完全さを求める潔癖な思考は、排除の思考につながっていく、とモーリーさんは身をもって感じてきた。「世界には光もあれば闇もある。自分の意思で光も闇も取り入れるのが、生きること」。かつてモーリーさんはこう語っていた。
デイリー新潮編集部
