ゴキブリ駆除に使命感を持つ64歳男性。「人が嫌がる仕事に商機がある」元エリートの逆転戦略
上場企業のサラリーマンだった大野さんは35歳で脱サラを決意し、ゴキブリ駆除に特化した事業を始めた。店内にゴキブリの巣を見つけ出し、薬剤で駆除する施工技術によって’24年度には完全駆除率99.5%を達成。ゴキブリ駆除業の「3K」(きつい、汚い、危険)なイメージを変えたいと、YouTube発信や採用活動などにも力を入れている。あえて「人が嫌がる仕事をしようと思った」と語る大野さんが、ゴキブリ駆除の仕事に商機を見出すまでを聞いた。
ーー起業する前はどんな人生を歩んできましたか?
大野:もともと大人しい人間でした。小学校の同窓会に行っても、「お前いた?」と言われ、通信簿はオール3みたいな人間です。代々商売をしている家系でしたが、父親から「絶対社長は無理だ」と言われていました。
20歳の頃にはプロのレーシングドライバーになりたいと思っていましたが、結果的には諦めて、一旦はインクリボン(リボン状のフィルムや布にインクを塗布した、印刷用の消耗品)をつくる上場企業に就職しました。
ーーゴキブリとの接点はどこに?
大野:学生時代に喫茶店でアルバイトをしていたんですが、ゴキブリが出るのが日常茶飯事で、「なんとかならないかな」と思っていました。
カウンターや客席がレンガ造りの小さな喫茶店で、レンガの隙間にもゴキブリがいました。中華鍋にラードを入れて溶かして、卵を入れようとしたら、上から「ポトッ」とゴキブリが落ちてくるんです。サンドウィッチを作るときも、まな板の上に「いないよね」と確認してからパンを置かないといけませんでした。細心の注意を払ってはいましたが、当時世間はそれほどゴキブリの混入に過敏ではなく、専門業者によるゴキブリ駆除も一般的ではありませんでした。
ーー会社員を辞めようと思ったのは、なぜでしょうか?
大野:レーシングドライバーを目指していた時期、資金を稼ぐために桃の露天商(テキヤ)をしていました。今の日本では考えられないですが、当時はまだ露天商がいっぱいあり、桃を仕入れ、歩道の脇に並べて売っていたんです。
大阪の阪急池田駅の横に、常時許可を取って露天商が並んでいる場所がありました。本来は露天商をまとめる組織に入らなければいけないのですが、事情を知らなかった私は「ここにお店を出していいんだ」と勘違いし、一番端っこに店を出したんです。するとすぐにヤクザが来て、「どかなかったら店を潰すぞ」と注意されました。そんなヒヤヒヤする状況もありましたが、身をもって商売をする楽しさを知る機会にもなりました。なので、まずは「自分の事業を興そう」という気持ちが先にありました。
◆より「人が嫌がる仕事」を考えて、ゴキブリに辿り着いた
ーーそこからどうやって「ゴキブリ駆除」にたどりついたのでしょう?
大野:自分で事業を興す場合、会社の看板はありません。簡単には成功しないからこそ、まず「人が嫌がる仕事」を選ぼうと考えました。
下準備のためビジネス書を読み漁っていたとき、とあるビジネス書を読みました。それまでゴキブリ駆除は消毒液を使って行うものだと思っていましたが、本の中には「クリーム状の薬剤を隙間につける」やり方があると記載されていました。それで、「これで行けるのでは」と思ったんです。ビルのロビーやカウンターに飾る造花のレンタルも候補にありましたが、人が嫌がるのはゴキブリ駆除の方です。敬遠されるからこそ競合もそれほど多くはありませんし、単価も高くなりますよね。
