戸籍から外れたら“無宿”!江戸時代のアウトローたちと「宗門人別改帳」の呪縛
「宗門人別改帳」の束縛
江戸時代、幕府は民衆支配の体制を確立するために、全ての人々を「宗門人別改帳」に登録させました。
これは現代で言うところの戸籍台帳のようなもので、定期的に改帳されていました。移転時には登録内容を改める必要がありましたが、手続きをしないまま移動する人も少なくなかったようです。
で、そのように手続きなしで移動してしまうとどうなるかというと、改帳の記載から外れて無宿の扱いになったのです。
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江戸時代には、失踪するなどして、このような形で無宿になる人が多く存在していました。
また、子どもの借金や犯罪に対して親族が連帯責任を取らされることもあったので、親族が宗門人別改帳から名前を外すケースもあったようです。
無宿になると、住まいや働き口に数多くの制限がかけられました。令和の今の時代も、働くにせよ住まいを借りるにせよ身分証明が必要になりますが、江戸時代も既にそうした部分があったのです。
そのため、無宿の人たちは食べていくために盗みを働いたり、寒さをしのぐために火を起こして火事になるなどしたため、さまざまなトラブルが生じました。
稼ぎ口を求めて…
無宿が這い上がるのは簡単ではありませんでしたが、当時は、金さえあれば何とか生きていける時代でもありました。
そこでやくざ者の博徒になって食いつなぐ者も多く、江戸や宿場・港などの片隅に根を下ろす無宿がいる一方で、あちこちを転々とする者もいたようです。
このように、博徒や侠客、芸人などが諸国を旅することを股旅と呼びます。

田沼意次の時代には無宿者が江戸へ大量に流入した(Wikipediaより)
とはいえ、無宿には往来手形が支給されなかったので、全国どこにでも行けるわけではありません。
そのため彼らは狭い範囲で移動を繰り返さざるを得なかったわけですが、とりわけ住み心地がよかったのは、将軍のお膝元である関八州(関東地方)だったようです。
漂流する博徒
関東は、中小大名や旗本領、天領、寺社領が複雑に入り組んでいました。そのため、仮に天領で無宿を捕らえようとしても、管轄外に逃げられると捜査の手続きが面倒になったのです。
こうした点からも、関八州は無宿や博徒にとっては住み心地がよい場所だったといえるでしょう。
幕末以降はやくざを主人公にした多くのエンタメ作品が生まれましたが、明治時代になると、各地を放浪する博徒を主人公とした股旅物が人気を博すようになります。
その人気は戦後も続き、『木枯し紋次郎』や『座頭市物語』などが生まれたのにはそうした理由があったのです。

木枯し紋次郎の碑(Wikipediaより)
池波正太郎の『仕掛人藤枝梅安』でも、梅安が上方や伊勢に旅する場面がいくつも見られます。
さまざまな人物と出会って物語が展開されるので、股旅物は時代劇と相性がよかったのでしょう。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia

