ジョン・サーティースが前オーナー BMW 503 カブリオレ 3台のみの右ハンドル 前編
クラフトマンシップで完璧な仕上がりを追求
多くの傑作を生み出してきたBMWにあって、一般的に503は失敗作の1つとして数えられる。当初の計画ほど販売は振るわず、採算に見合うモデルではなかった。第二次大戦後、1950年代に登場した50シリーズ全体でいえることではあるが。
【画像】3台のみの右ハンドル BMW 503 カブリオレ どれがお好み? 現行のオープン4種 全99枚
しかし、改めて目の当たりにする503 カブリオレを失敗作と表現する気にはなれない。プロポーションは均整が取れ、ツートーンカラーが優雅さを引き立てている。後端でキックアップするボディサイドのクロームモールが、軽快さを生んでいる。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
車内へ目を配れば、アルミニウム製のダッシュボードには重厚感が漂う。グローブボックスのリッドもアルミ製だ。ドアの内張りには高級家具のような引き出しが付き、クルマのインテリアとは思えない雰囲気を漂わせる。
傑作と表現して良いだろう。細部まで丁寧にデザインされ、ドイツのクラフトマンシップによって完璧な仕上がりが追求されている。
採算を度外視するほど高品質な製品は、購入者にとって好条件な取り引きになることが少なくない。しかし、503は価格も高かった。特に新車当時のカブリオレは、最も高価なドイツ車に該当していた。
その価格帯で、BMWを選択する人は限られていた。英国にも当初から左ハンドル車が導入されているが、望ましい反響は得られなかった。後年には右ハンドル車が受注生産で提供されたものの、売れたのは片手で数えられるほどだった。
右ハンドルの503は5台のみ カブリオレは3台
今回ご紹介するブルーの503 カブリオレは、英国の裕福な医者、ビー博士がオーダーしたもの。グレートブリテン島の市民の関心を高めるべく、1957年のロンドン・モーターショーでBMWがブースへ展示した2台のうちの1台だ。
大きな収益を見込めなかった右ハンドル車でも、BMWは妥協しなかった。横方向のボディ剛性を確保していたダッシュボードは、左ハンドル車と同じデザインで鋳型から作り直されている。最終的に作られたのはたった5台で、3台がカブリオレだったという。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
503と、サルーンの502をベースにした優雅な2シーター・カブリオレ、507が目指したのは、既に巨大な輸出市場となっていたアメリカ。当時、欧州車の輸入代理店を営んでいたマックス・ホフマン氏は、5000ドルが妥当な価格だとBMWへ伝えていた。
ところが、当時のBMWは大量生産の準備が整っていなかった。戦後のマイクロカー、イセッタを除いて、少量生産の高級車を作る方が得意といえた。完成した503の採算が取れる価格は、8000ドルへ上昇していた。
それを知ったホフマンは支持の獲得が難しいと考え、輸入を辞退。主要市場として見込んでいたアメリカでは思うように売ることができず、製造された412台のほぼすべては欧州のドライバーへ渡っている。
技術的にも最高水準のクルマが目指された
BMWの上層部は、高品質なものを作れば、高価格でも一定数が売れると考えた。第二次大戦を終え、ブランド再建が急務でもあった。中価格帯に属するノイエクラッセの開発を先延ばしにしてでも、ドイツの高い製造品質を体現するモデルが必要だと唱えた。
多くの自動車メーカーは、投じることが可能なコストの限りで最高のクルマを生み出そうと務める。それでも503 カブリオレを間近で観察すると、技術者の腐心ぶりがつぶさに伝わってくる。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
スタイリングを手掛けたのは、507と同じアルブレヒト・フォン・ゲルツ氏。アルミ製のボディパネルは、職人が手作業で成形したもの。銀行の金庫のように頑丈そうなヒンジがフェンダーの内側へ仕込まれ、長いドアを支えている。
ボンネットは油圧を利用して持ち上がる。15秒をかけて、音を立てずにピタリと閉まる。
サスペンションは、フロントがダブルウイッシュボーン式。ステアリングラックを介してキングピンが潤滑される、当時としては高度な技術も採用されていた。ドライバーがグリスアップする必要はなかった。
ステアリングラック自体は、ピニオン&セグメントと呼ばれる、ラック&ピニオンに似た方式を採用。マーケティングだけでなく、エンジニアリングとしても最高水準のクルマが目指されていたことは間違いない。
1992年にジョン・サーティースが購入
結果的に、多くの欧州人には高嶺の花になってしまったものの、恋に落ちる人もゼロではなかった。そのなかには、英国のレーシングドライバー、ジョン・サーティース氏も含まれていた。
1957年の彼は、まだF1ではなくバイク・レースで世界的に活躍していたが、スポーツカーにも関心は高かったのだろう。503と多くのコンポーネントを共有する2シーター・ロードスター、507のオーナーになっている。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
ただし、その頃のサーティースは高価な507を購入する財力を持ち合わせていなかった。イタリアのバイクメーカー、MVアグスタが、500cc世界選手権での優勝プレゼントとして資金の一部を援助したという。
それ以来、彼はBMW 50シリーズを気に入り、この503 カブリオレを購入したのは後年の1992年。BEE46のナンバーのまま、記念の507と一緒にこの世を去るまで大切に状態を保った。
初代オーナーのビー博士はポルシェへ乗り換えるため、10年間の所有後に購入したディーラーへ売却。しばらくして売りに出されていたのを、サーティースが入手
している。
この続きは後編にて。
