「環七ラーメン戦争」を勝ち抜いた“背脂ラーメン” 東京・環七『野方ホープ』【新横浜ラーメン博物館・あの銘店をもう一度“94年組”】第2弾

新横浜ラーメン博物館(横浜市)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗が2年間かけて3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始めています。同年11月7日からは、1994(平成6)年のラー博開業時の店舗(現在も出店中の熊本「こむらさき」を除く7店舗)が、リレー形式で約3〜4カ月ほど出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」もスタート。この各プロジェクトにあわせ、店舗を紹介する記事の連載も同時に進行中です。新横浜ラーメン博物館の協力を得て、「おとなの週末Web」でも掲載します。
“94年組”シリーズの第2弾は、1988(昭和63)年、東京都中野区野方の環七(かんなな)通り(環七)沿いで創業した「野方ホープ」です。
「創業者のがんこババアに捧げる、35年間の成長」をスローガンに“出店”
“94年組”の第2走者は、環七「野方ホープ」さんです。「創業者のがんこババアに捧げる、35年間の成長」をスローガンに、野方ホープを支え続けたスタッフが一丸となって温故知新のラーメンを披露します。
【あの銘店をもう一度“94年組”・第2弾・「野方ホープ 1994」】
出店期間:2023年3月2日(木)〜7月17日(月)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21
新横浜ラーメン博物館地下1階
※「あの銘店をもう一度“94年組”」第1弾「支那そば 勝丸」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる
岩岡洋志・新横浜ラーメン博物館館長のコメント「学生時代に初めて食べて衝撃を受けた『背脂ラーメン』」
私は学生時代に初めて「背脂ラーメン」を食べ、衝撃を受けました。世の中にこんなに美味しいラーメンがあるのか?と思いました。この頃は全くラーメン博物館の構想はありませんでしたが、その後店舗選定をする上で、東京の背脂ラーメンは是非紹介したいと思いました。
野方ホープさんはいわゆる「環七ラーメン戦争」(1980年代後半から90年代、東京の外側を半周する都道“環七通り”沿いに出現した数々のラーメン店が話題となり、多くの客を集めた)の中で、勝ち抜いたお店です。あの当時、環七には話題のお店は多くありましたが、今もなお営業を続け、繁盛をしているお店は一握りかもしれません。
大量の背脂が入っていますが、スープを飲むと以外にあっさりしていてコクがあります。その秘密を生前、創業者の小栗冨美代(おぐり・ふみよ)さんが「じゃがいも等の野菜をたっぷり入れている」と教えてくれました。小栗さんはご逝去されましたが、その遺志を継いだ優秀なスタッフ達によって、今もなお進化し続けております。
「野方ホープ」の歴史 創業者・小栗冨美代さんの波乱万丈の人生
創業者は小栗冨美代さん(1947〜2012年、享年65)。1947(昭和22)年4月24日、7人兄弟の末っ子として石川県の能登半島に生まれます。中学卒業後は兄の繊維工場を手伝うも「東京に行けば、いいことがある」という一心で上京。上京後は会社勤めを経て21歳で結婚。23歳には長女を授かりました。

24歳の時に飲食店を経営し、すぐに繁盛店となります。その後も経営は順調で2店舗目もオープン。しかし34歳になった時、歩くこともままならないほどの過労によるうつ病を発症。突然、娘も仕事も全て投げ捨て逃げだしたのです。この時から小栗さんの波乱万丈の人生が始まります。

小栗さん曰く、この時「電車に飛び込んだらどんなに楽か、と思ったくらい精神的にまいっていたのと同時に、娘に対して本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」とのこと。翌年離婚。その後うつ病も治り、別の男性との間に長男を授かります。
このままではいけない!と、保険の外交員を始め、日中問わず働いていた頃、小栗さんの運命を変える出会いがありました。ある日曜日の深夜、友人に誘われて行ったラーメン店には長い行列が。友人から「今日は日曜日だからいつもより少ないけど、普段はもっと混んでいるよ」と聞き、その繁盛ぶりをみて「ラーメンって日曜日の深夜でも遠方から人が訪れるほど引き付ける力があるのか。自分もラーメン店をやってみたい」と、ラーメンの道に進むことを即決したのです。
シングルマザーで始めた人生最大の挑戦 温かい接客、そして病みつきになる味
しかしながら飲食の経験はあるもののラーメンの経験・知識は全くありませんでした。お金も時間もないため1カ月間だけラーメン店で修業をし、独学でラーメン作りを始めることになりました。
通常、豚骨は骨を割ってダシを取るのですが、小栗さんはそのまま骨を入れ「骨は割っていれるものだよ」と出入りの業者さんから教えてもらうほど知識がなく、それでも独学で試行錯誤を重ねました。
そして辿り着いたのが「”こってり”だけど”すっきり”」した唯一無二のとんこつ醤油ラーメン。創業は1988(昭和63)年。小栗さんが41歳の時。シングルマザーで5歳の息子を育てながらのオープンでした。

当時、ラーメン業界は“環七ラーメン戦争”の真っ只中。小栗さんが選んだ場所は、環七沿いの西武新宿線の野方駅、JR中央線の高円寺駅のどちらからも遠い、人通りの無い10坪の小さな木造のスナック居抜きでした。この立地は飲食店としては成立しない場所ではありましたが、1500万を借り入れて「これでだめだったらもうどうにもならない。やるしかない。必ず行列店にしてみせる!」と強い気持ちをもって開業しました。

長男は朝、保育園に預け、夜迎えに行き、2階の住居で育てるといった日々が続きました。今では当たり前のことかもしれませんが、小栗さんは当時ラーメン店では意識されていなかった温かい接客をこころがけていました。

何度もお越しいただくお客様には「いつもありがとうございます」と顔を覚え、遠方からくるお客様には「遠方からありがとうございます」と女性店主だからこそ気づく気配り、そして、独学ながら試行錯誤の末に誕生した「一度食べたら病みつきになる味わい」により、徐々にお客さんが増えていきました。
そして創業から4年経った頃、念願の行列ができ始めました。

この時小栗さんは「お客様への感謝で涙が止まらなかった」と、あの日のことは自分の原点であり、絶対に忘れられない1日だったとのこと。
その評判はさらに広がり、この年にはわずか11席の店舗ではあったものの、多い日で1日700人ものお客さんが訪れる大繁盛店となりました。
新横浜ラーメン博物館への出店 ボディーガードを連れて交渉
当館が小栗さんに出店の話を持ち掛けたのが1992年4月27日。その交渉記録によると「声をかけてもらったのは嬉しいし、興味はあると言われているが、非常に警戒をされていた」とのこと。
交渉時に小栗さんはボディーガード兼相談役として、ボクシング部出身の男性を同席されていました。契約後に聞いた話では「私は若いころ色々な人に騙されてきたので、今回も騙されるのではないかという不安があった。また見た目は男性のように見えるが女性であるため、何かあった時のボディーガードとしていつも同行してもらっていた」とのことです(笑)。
その後の交渉で小栗さんは3つの不安点を挙げていました。
1つ目は「新横浜の状況を見て、空き地だらけでこんな場所に人が集まるのか」、2つ目は「あまりにも条件が良すぎることが怪しい」、3つ目は「仮に出店するとなった時にラーメンを作れる人材が足りない」という3点でした。

1つ目の不安は小栗さんに関わらず多くの店主さんが抱いた不安でした。開業する私たちにとっても「絶対来る」とは断言できないことではありましたが、「世界初のラーメンの博物館に人は集まる!」という想いを伝えました。
2つ目の条件というのは以前のコラムで書いたように、内装工事から厨房機器まで全てラー博側が負担をし、売上が0だったら家賃も0という条件の事を指していました。出店側のリスクを軽減し、運命共同体の想いでこの条件にしました。

3つ目は出店する多くのラーメン店も余剰人員を抱えているわけではないので、1年以上ある開業に向けて人を雇い、人材を作るという考えで合意していただきました。

ラー博オープン、車で数時間仮眠をとる日々
不安をよそに、開業するや否や毎日多くのお客様が来館されました。小栗さんは仕込みが間に合わないため、車で数時間仮眠をとり、仕込みをして営業する日々が続きました。

「たくさんのお客様にお越しいただくのは本当に嬉しいことではありますが、あの時は本当に大変でした。当時いた従業員もベテランではなかったのでとにかく私が常に現場に立たないと回りませんでした」とのこと。
次第に忙しさにも慣れ、従業員も成長してきた翌年、原宿に2号店をオープン。小栗さん曰く「私にとって最も重要なのが“人財”(財は従業員は財産であるという意味から)。だからこそ私の夢は、従業員が安心して暮らせられる収入を得られること。そのためには年商10億のラーメン店になること」と夢を語ってくれました。

ラー博卒業、多くの常連の客がつく
1997年6月29日にラー博を卒業。小栗さん曰く「卒業は寂しかったですが、私の夢の実現で店舗を増やしていくためやむをえませんでした」とのこと。その年に3店舗目となる荻窪店を開業。
環七をはじめとした首都圏には雨後の筍のようにラーメン店が増えていき、その多くは消えていくという移り変わりの激しいラーメン業界の中で、野方ホープは着実に常連のお客様がつき、店舗を増やしていき、そして2023年創業35周年を迎えます。現在は都内を中心に10店舗を展開。小栗さんの夢は小栗さんを支えてきたスタッフたちによって現在も進行中です。

26年ぶりのラー博復活
創業者・小栗冨美代さんが2012年にご逝去されてから11年。そして2023年は創業35年にもなります。

今回の出店は創業者とともに野方ホープの成長を支えてきた側近達により「創業者のがんこババアに捧げる、35年間の成長」をスローガンに、温故知新の心を忘れずに1994年当時の味を再現します。

1994年当時と現在では、スープのベース自体は大きく変わっておりませんが、当時のラーメンの方がワイルドな味わいでした。特に背脂は、現在「こてこて」、「こってり」、「ふつう」、「あっさり」、「あぶらぬき」の5段階から選ぶことが出来ますが、当時はスタンダードで現在の「ふつう」の倍近い量を入れておりました。
また現在、野方本店を除く店舗では、背脂を別で取り、ラーメンに入れておりますが、今回は本店同様、いわゆる背脂チャッチャ方式(背脂のブロックを平ザルで崩しながらラーメンに振りかける)で提供いたします。

具材も当時のスタイルを採用します。
「野方ホープ」のラーメンの特徴

・麺
野方ホープの麺は、スープをたっぷりと持ち上げる中太縮れ麺。複雑なスープと背脂を受け止める十分な食べ応えとなるよう、太さや加水率を最適化しています。

・スープ
豚骨、鶏、芋から抽出したスープ。野方ホープのラーメンは、こってりとした見た目とは裏腹に、すっきりとした後味に仕上がっているのが特徴。その秘密は、創業時からの「かくし味」にあります。ポタージュ感のあるスープは、豚骨ではなく、ジャガイモ・ニンジン・タマネギ等の野菜によるもの。スープに野菜を使用しているのは、創業者が子どもの健康を願い、栄養バランスの良いラーメンを作り上げたからです。母親が子どもの健康を思う気持ちこそが、野方ホープのかくし味となっています。多くの素材を使う事は細心の注意を必要としますが、それがただの豚骨醤油でも、ただの背脂ラーメンでは無い複雑に調和した味わいを作り出します。

・具材
野方ホープのチャーシューは、肉の味を最大限に引き出すため、中心温度を管理し、良質な肩ロースをじっくりと焼き上げ、特製ダレに漬け込んでいます。

小栗さんが天国に行ってから11年。小栗さんがなしえなかった夢の続きを、支え続けたスタッフが一丸となって、今なお成長し続けております。

『新横浜ラーメン博物館』の情報
住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時〜21時、土日祝10時半〜21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人380円、小・中・高校生・シニア(60歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円
※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/

