「誰々はこう言ってました」と他人の意見を積極的に伝えたがる人がいる。特にサッカーにおいて。あのコーチは○○選手についてこう高く評価していたとか、正統性の高そうな著名人の意見を引き合いに出しながら、それが自分の意見であるかのように切り出してくる人が苦手だ。

「ガゼッタ紙の採点によれば○○選手は何点だった」とか、現地のメディア評を伝えることを一番の使命にしているように見える日本のメディアもそれに該当する。

 まず述べるべきは、自分はどう思ったか、だ。記録の類が他の競技に比べて極端に少ないサッカー界には、様々な感覚に基づく多様な意見が飛び交っている。自分の抱いた感想は間違っていないだろうかと不安に駆られがちだ。他人の意見とすり合わせしたくなる気持ちは分かる。筆者のこのコラムも、少なからずそうした役割を担っているのかもしれないが、人の意見には疑って掛かかるべきだと考える。筆者に全面的に賛同してくる人がいたとしても、最も頼りにすべきは自分の目ですと、言い返したくなる。

 それこそがサッカー監督の資質だと考える。他人の目を頼りにせず、善し悪しを自らの目で見抜く力が、彼らには問われている。代表選手をセレクトする代表監督の場合はとりわけである。候補選手はほぼすべてクラブに所属している。代表監督は国内リーグなど、そこでプレーする姿を見て招集するか否かを判断するわけだが、その場合、どのリーグのどのクラブに所属しているかは大きな判断基準のひとつになる。

 欧州リーグランキング1位のプレミアで毎シーズン優勝争いを演じ、チャンピオンズリーグ(CL)でも同様に優勝候補に挙げられるリバプールに昨季まで所属した南野拓実は、今季モナコに移籍した。同リーグランキング5位のフランスリーグで、その現在の順位は5位となる。

 選手としての格を南野は大きく下げた状態にある。だが、このことに森保監督は一切、関与していない。2020年に南野がザルツブルクからリバプールに移籍した際も同様だ。気がつけば、ザルツブルグからリバプールへの2階級特進を果たし、また気がつけば、リバプールからモナコへ1階級あまり後退していた。そしてそのモナコでも南野は、スタメンを飾れずに苦戦している。

 この3年間に南野は立ち位置を乱高下させた。しかし、その技量が急に上昇したわけでも、降下したわけでもない。プレーそのものに大きな変化があったとは考えにくい。ユルゲン・クロップ監督の評価は高めで、モナコのフィリップ・クレメンテ監督は低めという感じである。

 代表監督はこうした各クラブ監督の評価に、少なからず影響される運命にある。リバプールに所属する選手を選ばないわけにはいかない。しかしモナコで出場機会に恵まれなくなると、それを理由に招集外にすることもできない。そうした中で自分の目を貫くことは簡単ではない。

 想起するのは10年前。2012-13シーズンを前に、ドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドに移籍を決めた香川真司だ。CLの決勝トーナメントでゴールを決めるなど、スタートは順調だった。ところが翌シーズン、監督がアレックス・ファーガソンからデヴィッド・モイーズに変わると流れは一変。出場機会は激減する。翌シーズン、監督がルイス・ファンハールに変わると、その流れは加速。戦力外の身の上となり、2014-15シーズン、ドルトムントに舞い戻ることになった。

 だがドルトムントでも、悪い流れは止まらなかった。そこから4シーズンプレーしたが、監督が交代するたびに出場機会を減らし、後半の2シーズンは戦力外同然の扱いを受けていた。

 4年半前、2018年ロシアW杯を前にした西野ジャパンにとって、難しい問題になっていた。香川を加えるべきか否か。日本代表でも、香川はいいプレーを披露できずにいたが、マンチェスター・ユナイテッドやドルトムントとは違い、好選手がひしめきあっているわけではない。ハリルホジッチは香川を解任される直前の数試合には招集しなかった。見切りを付けた様子だったが、西野監督は土壇場で加える決断をした。ロシアW杯本番ではスタメン選手として、4-2-3-1の1トップ下に抜擢した。