東大生は天才型・秀才型・要領型の3タイプに分けられる。東大卒業生でライターの池田渓さんは「東大生全体の1割以下の天才型は別格だ。彼らと一緒にいると自分が勝手に落ち込むことになる。野球の大谷翔平選手やフィギアスケートの羽生結弦選手と同じだといえる」--。

※本稿は、池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

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東京大学・本郷キャンパスの赤門(東京都文京区) - 写真=時事通信フォト

■本当に地頭がいい「天才型」は東大生全体の1割

東大生の能力のばらつき具合いについて、もう少し詳しく説明しよう。彼らは大きく3種類に分けられる。

第1のタイプは、本当に地頭がいい「天才型」。

この人たちは、集中力と頭の回転が桁外れで、なにをやっても圧倒的にスピードが速い。世間が抱く「頭脳明晰な東大生」というイメージの元になっているのがこのタイプだ。

天才型は勉強でも仕事でも、なんでも普通の人の半分の時間で完璧にこなしてしまう。

そして、余った半分の時間を、遊びを含めた自己の研さんにあてるものだから、まわりとの能力差は並大抵のことでは縮まらない。逆に、時間経過とともに差はさらに広がっていく。

このタイプは学生生活を終えた後、総合職試験を難なくパスしてキャリア官僚になったり、在学中に司法試験に合格して司法エリートになったり、研究者として海外の大学に招へいされたりするものが多い。最近では、ベンチャー企業を立ち上げるものも増えてきている。

感覚的には東大生全体の1割かそれ以下で、それほど数がいるわけではない。

ただ、教養課程(東大に入学したすべての学生は、まず教養課程に入り、1・2年生時は、特定の学問領域に偏らず、社会・人文・自然を幅広く学ぶ)で理二と理三の混成クラスに所属していた僕の印象では、理三の学生には天才型が多いように思う。

池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)

東大の理三は偏差値72.5の日本最難関だ。ここに所属できる学生は一学年に100人もいない。ほぼすべての学生がやがては医学部医学科に進学するのだが、同学年の東大生3000人中のトップ100人の頭脳は、さすがに化け物じみている。

安田講堂と並び、東大の象徴とされるものに「赤門」がある。

テレビ番組が東大生にインタビューをする際にカメラを回す場所として重宝されているが、この赤門とは別に東大本郷キャンパスの裏手、東京大学医学部附属病院の傍らには鉄製の小さい門があり、これをして東大医学部は「鉄門」とも呼ばれている。

■なぜ、東大生は総じて育ちがいいのか

理三の学生の人並外れた能力を誇ってか、「赤門だけなら犬でも通る。通ってみなよ、鉄の門」とは、能(よ)く言ったものだ。

さて、あくまで傾向としての話であるが、東大生は総じて育ちがいい。

とりわけ天才型においてはそうだ。「天の下に人は平等」という教育を受ける日本人にとって、生まれと育ちによって知能が変わってくるということは心情的には認めにくいことかもしれない。

しかし、現実として、知能は親から子へとそれなりに遺伝し、その発達においては家庭環境に大きな影響を受ける。

社会的地位が高く、また経済力のある親(たいてい知能も高い)の元で育つ子どもは、よりよい学習環境が与えられる傾向にあり、遺伝的な能力の高さを環境がさらに押し上げてくれるのだ。

天才型の東大生は、父親、母親、またはその両方の知能が高く、裕福な家庭で育ち、幼少時からあらゆる学びの機会を与えられている。

海外生活、さまざまな習い事、豊富な自然体験、スポーツ経験、機械工作、何不自由なく与えられ読んできた大量の本……それらによって、彼らの精神と肉体は健やかに発達し、高い知性と教養を身につけている。

たいていは人格的にもすぐれていて、一緒にいると楽しい人たちだ。

■野球の大谷翔平やフィギュアスケートの羽生結弦と同じ

ごくまれに一切の道徳心を持たないサイコパスがいるが、その類いも持ち前の高い知能で社会に溶け込み、表面上はさほど不快な振る舞いをしないので、魅力的に見える。

ただ、本人たちにまったく嫌みはないのだが、一緒にいる僕たちは事あるごとに能力の差を思い知らされ、勝手に落ち込むはめになる。

「本当に同じ人間なのだろうか?」と思うことは僕自身の経験においても一度や二度ではなかった。

もとよりCPUのクロック数もワーキングメモリも規格外なのに、その能力をフルに使ってさらなる自己進化を止めない。

写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

自分がどれだけ努力しても、生きているうちに決して追いつくことができない才能。

スポーツでいうところの野球の大谷翔平やフィギュアスケートの羽生結弦に相当する人たちであり、平凡な東大生が同じ環境で相対するにはまぶしすぎる存在でもある。

以上が、ピンキリでいうところの「ピン」である。

■「頭が固くて融通が利かない」秀才型

第2のタイプは、コツコツと物事を成し遂げる「秀才型」だ。

世間が抱く「真面目」で「勉強熱心」というイメージにもっとも合致するのがこのタイプだろう。

与えられたノルマを決められた時間内にきっちりこなす。そのための努力ができる人たち。

小学生のころから塾通いをし、同級生が遊んでいるときも真面目に受験勉強にまい進し、東大入試をパスしたような学生たちだ。

天才型ほど頭の回転は速くないが、目標に真摯に向き合い努力ができるというのも才能の一つである。

天才型が規格外なだけであって、秀才型も頭の回転は並の人より十分に速い。一般の人よりも努力をしてきた分だけ優秀だ。

卒業後は、文系なら試験を受けて公務員、民間なら商社や金融、理系なら院を卒業して製造や情報・通信分野の上場企業の技術職、資格で働く薬剤師や獣医師になるものが多い。

僕の感覚としては、東大生の半数以上がここに属している。

秀才型は、その堅実性からか、極端にリスクを嫌う人が多く、野心のようなものはあまり抱かない。

このタイプは、先人によってすでに敷かれているレールを速く走るのは得意だが、自分で未開の土地を開拓して新規にレールを敷くというようなことは苦手だ。

そして、彼らは、自分たちが苦手なことは極力やろうとしない。秀才型がしばしば「頭が固くて融通が利かない」と言われるのは、既存のレールから頑として外れようとしないからだ。

■「正解がないこと」への対応力が弱い

これには、主に以下の二つの理由がある。

一つめに、「正解がないこと」への対応力が弱いということ。東大生は、東大を受験するまで、義務教育で9年、高校で3年、「明確な答えがあるテスト」を解き続けてきた。

東大入試にしたって、問題のほとんどに教科書的な決まった解法があり、過去問をやり込んでその解法パターンを丸暗記すればパスできる。

実際の入試では、時として数学などで解答に斬新な発想を要求する問題が出題されることもあるが、その手の問題は「捨て問(解答を放棄すべき問題)」として早々に見切りをつけ、試験時間は教科書レベルの平易な問題に有効に使い、それらでミスをせず確実に得点をするというのが東大受験でのセオリーだ。

つまり、既存の情報(過去問)の外にあるものは、彼らにとっては「捨て問」なのである。東大を受験するにあたり、前例がないこと、解法が存在しないこと、明確な答えがないことに対して、試行錯誤しながら挑むという訓練はしていない。

未知の課題には、かぎられた時間を使うべきではない--それが秀才型東大生の思考法である。

■失敗を許さない肥大化したプライド

二つめの理由が、東大生は失敗して人から批判されることを極度に恐れるということだ。

東大生は幼いころから地域一番の神童として注目され、まわりからずっと「○○ちゃんはすごいね」「頭がいいね」「なんでもできるね」とほめられてきた。

それはプレッシャーではあったが、長年その期待に応え続けているうちに、プライドが少しずつ肥大してきた。

ゆえに、なにごとにおいても失敗はできない。長い年月をかけて育んだ自尊心が、それを許さない。

「なんでもできて当たり前」の人間は、新たな挑戦をするときも、はじめから完璧に成功を収めなければならないのだ。

写真=iStock.com/PeskyMonkey
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeskyMonkey

しかし、そんな考えでいれば、前例のない課題に取り組もうというときも、どうしても失敗のリスクに行動が縛られてしまい、「失敗するくらいなら、最初からやらない方がいい」ということになってしまう。

彼らが持ち前の高い情報処理能力で「できない理由」を目ざとく発見したら、そこでその課題へのチャレンジは終了だ。

つまり、受験勉強が得意な彼らが受験勉強では学べなかったこと、それが、正解のない課題に挑む「チャレンジ精神」なのだ。

■コンプレックスを刺激されて人知れず傷ついている

ちなみに、先に書いた天才型は、この「できない理由」を、並外れた才能で克服してしまう。

また、この後に説明する3番目のタイプには、「リスク分析の精度の甘さ」から、見切り発車で、自覚なく難題に挑むことができるものがいる。

とまぁ、ネガティブな面について多く書いたが、基本的に秀才型は真面目で努力家であり、並の人よりは優秀だ。

真面目なぶん、行動に理がない(ように見える)デタラメな人たちに振り回されたり、真に才能のある人たちに対してコンプレックスを感じたりと、なにかと気苦労が多いのもこのタイプの特徴である。

優秀なので自分の弱点もしっかりと自覚していて、なんとかしたいと常々思ってはいるのだ。

そして、「東大卒はプライドが高く仕事で使えない」「東大は自然科学分野でのノーベル賞受賞者が京大よりも少ない」「挫折に弱い東大生」「東大卒の経営者が日本をダメにした」……などといった週刊誌の記事の見出しを電車の中づり広告などで目にするたび、コンプレックスを刺激されて人知れず傷ついている。

■第3のタイプはある種の「手抜き」を覚えた人たち

第3のタイプは、東大入試を主にテクニックでクリアしてきた「要領型」だ。

東大生の3割くらいはここに属するだろう。僕自身もこのタイプだと自覚している。

先にも述べたように、東大入試で出題される問題そのものはさほど難しくない。

しかし、とにかく量が多く、受験勉強を通して身につけておかなければならない知識はかなりの量になる。要領型は、この膨大な量の暗記をこなしていく過程でとことん効率を重視し、ある種の「手抜き」を覚えた人たちだ。

このタイプの中学高校での勉強はすべて東大に受かるためにある。学問的な意義など二の次だ。東大入試に出題されない分野、かりに出題されても配点が低い分野の勉強には一切手をつけない。

逆に、東大入試に頻出の分野はひとまず理解を置いておいても丸暗記する。機械的に何十回と紙に書き写し、ゴロ合わせでもなんでも使って覚え切る。

要領型にとって重要なのは、理解の質よりも暗記すべき箇所だ。

時間をかけてその学問を深く理解するよりも、試験に出る要所のみをピンポイントで機械的に暗記してしまった方が気が楽だし、時間もかからないからだ。

本番の試験で得点につながらないことに時間を使うのは無駄--彼らはそう考える。

■「選球眼」は東大に受かるための大きな武器

膨大な理解の積み重ねの上にようやく身につく「センス」なんてものははなから捨てる。そう心がける。入試に頻出の分野の基礎的な知識を一通りさらい終えると、早いうちから赤本や青本で過去問に取り組む。

受験本番に出る問題にもっとも近いのは、教科書に載っている練習問題でも予備校がつくっている予想問題でもなく東大の過去問だからだ。直近10年分くらいは問題と解答を丸暗記してもいい。

過去問をひたすら暗記していくと、時間を使って確実に得点するべき問題と最初から解答を諦めるべき問題の見極めができるようになってくる。合格するために必要な得点は全体の6割程度。

つまり、4割の問題はバットを振らずに見送ってもいいのだから、この「選球眼」は東大に受かるための大きな武器となる。過去問を解く際には本番と同じサイズの解答用紙を用意し、解答を書く際の文字のサイズや配置を体に覚え込ませることも重要だ。

■東大合格者が滑り止めの早慶に落ちるワケ

例えば、東大の理系数学では、例年、A3サイズの解答用紙が2枚配られ、それぞれの表で2問、裏で1問を解答することになっている。

回答欄は真っ白なので、試験が始まったらまず真ん中に縦線を引いて、計算式やグラフなどをレイアウトしやすくしておく。このような下ごしらえのスキルが事前に身についているか否かで、本番の得点はずいぶんと変わるだろう。

パターン暗記に偏重したこのような勉強では、その知識を応用する力は育たない。

しかし、現状の東大入試そのものが、センスや試行錯誤の末に課題を突破する力を求めておらず、発想力が必要とされるような問題を解かなくても、暗記で対応できる問題のみ得点していれば合格はできてしまう。

例えば、数学は、東大入試のなかでは比較的発想力が必要とされる科目だ。それでも毎年、全問題(文系4問、理系6問)のうちの2、3問は、教科書的な解法パターンとその組み合わせで解けるレベルの問題が出題される。

そのため、教科書レベルの標準問題が載っている『チャート式基礎からの数学(通称・青チャート)』(数研出版)シリーズを丸暗記して臨むという試験対策が有効で、東大受験生の間でも有名だ。

最悪、この数学がゼロ完(完答できた問題がゼロ)でも、単純な暗記が効きやすい英語や地歴や理科できちんと得点できていれば、合計で6割の合格最低点は十分に超えられる。

このような受験勉強は「メリハリが利いている」と言えば聞こえはいいが、「いかに手を抜いて東大入試をパスするか」に最大の重きをおいているとも言えるだろう。

まさに、東大に合格するためだけの、東大入試に特化した訓練だ。そのため、東大に受かった人が同年に滑り止めで受けた早稲田大学や慶應義塾大学には落ちていた--なんてことが往々にして起こる。

■最短ルートには、「新しいもの」は落ちていない

さて、受験勉強を通して「要領のよさ」を身につけた東大生たちは、物事の全体像をいち早く把握し、要所を見抜くことに長けている。

そのため、勉強でも仕事でも運動でも、なんでも新しくはじめてみるとその成長は早く、すぐに人並みかそれ以上にはこなせるようになる。

しかし、ある一定のレベルからは、コンスタントに努力を積み重ねている人たちにはかなわない。

たかだか数年の受験勉強でクリアできる東大入試には抜群の効果を発揮した「要領のよさ」は、大学からのより専門的な学問や、社会に出てからの仕事や人間関係にはそうそう通用しないからだ。

要領型は、何事においてもせっかちに「最短ルート」を行こうとするが、近道ばかりを選んで歩くので基礎体力が身につかない。

体力がないから、ますます楽な道を探そうとする。そんな人間と、道なき道を自力で切り開いてきたものとの実力に歴然たる差が出ることは当たり前のことだ。

あらゆる物事には、無駄として切り捨てたところに、得てして思わぬ価値があるものだ。先人に開拓され、多くの人が通りたがる最短ルートには、「新しいもの」は落ちていない。

そもそも、横着者が浅薄な知識にもとづいて切り捨てたのは、本当に無駄なものだったのか--。

ビジネスの現場で企業から「思っていたよりも使えない」と言われる東大卒はこのタイプだろう。東大生のピンキリでいうところの「キリ」だ。

天才型・秀才型・要領型という東大生のタイプについて書いてきた。

ここでは分かりやすく単純化して三つのラベルを示したが、もちろん東大生だって生きた人間だから、その人格はさまざまな要素が複雑にからまりあって形成されている。

ただ、それらの要素の多寡(たか)によって、東大生の思考や行動の大まかな傾向を知ることはできる。このタイプは、東大生をよく理解するための指針の一つと捉えてもらえるといいだろう。

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池田 渓(いけだ・けい)
ライター
1982年兵庫県生まれ。東京大学農学部卒業後、同大学院農学生命科学研究科修士課程修了、同博士課程中退。出版社勤務を経て、2014年よりフリーランスの書籍ライター。共同事務所「スタジオ大四畳半」在籍。
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(ライター 池田 渓)