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「希望」の七月場所でした!

「逆境から這い上がるとき、希望の力が必要だ」とは、競泳の池江璃花子さんが述べた新・東京五輪への誓いの言葉ですが、大相撲七月場所はまさにその「希望」を感じる場所となりました。今ここにある逆境から這い上がるチカラを広く世間に発信するような、素晴らしい場所でした。

まず何よりもこの十五日間を走り切った日本相撲協会、関係者、メディアそして観客を讃え、労いたいと思います。一日かぎりのイベントではなく「2週間」を超える期間に及ぶ屋内スポーツイベントを有観客にて開催することは、このコロナ禍においては大きな挑戦でした。世界的な視野においても「挑戦」と称すべきものでした。誰かが挑まなければならないが、下手を打てば致命傷を負うような「責め立てられやすい」シチュエーションでの試練でした。

2週間前の状況を反映されるという感染症の拡大が水面下で進行していれば、千秋楽までの間に事態は急変していたでしょう。「屋内」「スポーツ」「大声」「支度部屋」などネガティブな要素はもとよりいくつもあります。いくらでも叩けそうな要素はあります。誰かが下手を打つのを待っている相場の「売り方」のような人々が、「ほれ見たことか」と嬉々として非難の声をあげたでしょう。彼らは決して「どうすれば事態が好転し、人々に幸せが訪れるか」は語りません。ただただ「ほれ見たことか」を言うだけです。ラクな仕事です。

もしもこの場所が途中で中止にならざるを得ないような事態となれば、「売り方」は「幻の五輪期間に五輪会場で行なわれたスポーツイベントが感染拡大の原因となった」と喧伝したことでしょう。「ほれ見たことか」と。彼らは決してひとつひとつの何がダメで何がいいのかは言いません。総論として「人と会えば感染は広がる」「移動をすれば感染は広がる」という当たり前で否定のしようがないことだけを言い、「ほれ見たことか」を言えるものを探しているのです。無敵の戦術です。その代わり、何も生み出さない無価値の戦術です。

そんな「売り方」に立ち向かい、困難な場所を見事に勤め上げた大相撲。

大相撲は、やり方と意気込みによって、こうしたことが成し遂げられるのだという実例を示しました。こうした実例の積み上げだけが「売り方」に対抗する策です。工夫と実例を積み上げて、感染症という人類がこれまでもこれからも未来永劫付き合っていかねばならない脅威に対して、向き合い方をアップデートしていくのです。それは「ほれ見たことか」を言っている連中には決してできない仕事です。本当に全員が素晴らしかった。この七月場所を作り上げたすべての人に心からの労いと感謝を贈りたいと思います。よくぞやり遂げてくれました。ありがとう!

↓八角理事長も万感の思いをこめて千秋楽の御挨拶に臨みました!

理事長はもう泣かない!

強い覚悟で、来場所もその先も同じ状況に立ち向かっていくと決めたのだから!



そして土俵の上にも見事な「希望」が咲きました。一度は大関をつとめ、横綱さえも目前と思われていた照ノ富士が、序二段まで地位を下げてからの復活をはたし、幕内最高優勝を成し遂げたのです。序二段まで落ちた力士が再び幕内に上がることも初めてなら、優勝までするという初尽くしの快挙。本当にお見事でした。

両ヒザの怪我、肝炎、糖尿病といくつもの難を抱え、何度も引退を申し出たとも聞きます。大相撲の場合、地位が下がれば何もかもが下がるという旧時代の厳しい社会です。プロ野球のように、かつての一流が「かつての一流」としての扱いを受けながら何年も怪我の治療に励むことはできません。否応なく番付は下がり、自分が関取ではないことを突きつけられます。使うまわしすら黒くくすんだものとなります。一度上にあがった者にとって、その「惨めさ」はいかばかりか。つづけること自体も苦痛であったことでしょう。

それでも師匠・伊勢ケ浜親方はとにかく病気を治してからだと翻意につとめたと言います。よく説得できたものです。誰よりも本人が自分自身への希望を失っているときに、「希望を持て」と翻意させたのですから。大好きな酒を控え、両ヒザを手術し、もう一度新弟子の気持ちで相撲と向き合った照ノ富士。復帰後はその立ち振る舞いも含めて、生まれ変わったように感じます。

正直、照ノ富士は好きではありません。

かつての大関時代、照ノ富士は不遜でした。大関は通過点ですぐに上にあがるのだと豪語し、相手の得意の型でも勝てるとうそぶきました。実際にそうした取組を演じ、その自信が虚勢ではないことも示しました。仕切りや勝負後の威嚇とも言える表情は、敬意よりも敵意を感じさせるものでした。強いことは認めざるを得ないけれど、自分が横綱審議委員会ならば綱には推挙しないぞと苦々しく思ったものです。

ただ、そうした小さな了見でのわだかまりのようなものも、かつての優勝から5年を経て、大関陥落、序二段まで地位を下げながらそれでも土俵に踏みとどまった姿を見ると、もはやすべてが過去だなと感じます。相撲をするために日本にきて、異国で奮闘し、苦境から這い上がってきた大相撲の仲間に心から拍手を送りたいと思います。

照ノ富士が成し遂げたことは、大相撲の長い歴史において誰ひとり頑張れなかった苦境への勝利でした。怪我と病気は力士という職業の性質からは避けられないものですし、そうなったら諦めるというある種の諦観も角界にはあると思います。それはときに「美学」と呼ばれることもあります。そうした諦観に抗い、抗うことを周囲の人からも後押しされ、地位もへったくれもなく踏みとどまったのです。

それこそ土俵に生きる者の姿です。

いや「生きる」ことそのものと言ってもいい。

どんな不格好でも、俵に足を掛けて踏みとどまり、そこから這い上がってくる。終わらなければ終わりではないと頑張りつづける。頑張り切る前にキレイに土俵を割ってしまうなんてのは、美しいかもしれませんが、その先にあったかもしれないもっと美しいものを最初から放棄するような振る舞いです。関取でなくなったときに辞めた照ノ富士と、序二段から這い上がってきた照ノ富士と、どちらが美しく素晴らしいか、答えは是非もありません。

千秋楽、御嶽海との取組。照ノ富士は静かでした。闘志は表に出さず、厳しく静かな表情で立ちました。手つきは不十分ではありましたが、両上手で御嶽海をつかまえると御嶽海の腕を締め上げ、まったく何もさせないままに一気に寄り切りました。万感胸に迫る白星であったはずですが、闘志も歓喜も涙も胸に留めるように、照ノ富士は上を向いていました。その先には、間もなく外されるはずであった5年前の自身の優勝額がありました。きっと新しい優勝額は、5年前のものよりも思い出深いものとなることでしょう。つづけてきた道のほうが、つづけなかった道よりも絶対に素晴らしかった。そう思える優勝となりました!

↓照ノ富士、苦境から這い上がっての見事な優勝!


御嶽海は、まぁ、その、頑張れ!

朝乃山は新大関で12勝の準優勝、大合格でした!



この取組を公式の配信番組で見守っていた荒磯親方すなわち稀勢の里は、「相撲っていいですね」と漏らしました。とても嬉しそうでした。自分と同じように怪我をし、まさに同じ時期に怪我に苦しんだ仲間が、「横綱」には選べなかった別の未来を見せてくれた。諦めなければ、こんなに素晴らしいことだってあるかもしれないのだと示してくれた。それはきっと照ノ富士本人以外にとっても「希望」となるものでした。たくさんいるであろう諦めそうな力士たち、そして世の中にたくさんいるであろう諦めてしまいそうなすべての人たちに届くように願います。

今年は師匠・伊勢ケ浜親方も何やかんやで理事、そして審判部長に復帰するなど、いろいろあった角界も平静を取り戻したようです。不毛な戦いもありましたし、それが解決したとも思ってはいませんが、今は一致団結して全員で相撲を守っていくべきとき。感染症はたくさんのものを奪っていきますが、これだけは譲れない「大切なもの」について考えさせてくれる存在でもあります。相撲取りにとって大切なものは「相撲」です。それを守るために、みんなで発揮揚々です!

↓おめでとう照ノ富士、七月場所をやってよかったと心から思える出来事でした!

やらなければ生まれなかったものがある!

それは相撲も世の中も同じです!



素晴らしいものは「何かをやる」ことを通じてのみ生み出されます!