8億円を上回る国有地の値引きがスクープされてから3年が経った。だが国有地を巡って時の首相夫人の関与が囁かれた一大疑獄は、いつの間にか理事長夫妻による補助金詐取に取って代わられた。地裁の判決直前、籠池氏が語り尽くした昭恵夫人による「神風」とは。

【写真】「神風」を吹かせた昭恵夫人とのスリーショット

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2週間後に判決を控えた心境は「不動心」

 2月上旬某日、新大阪駅付近のとあるホテルの一室で籠池泰典氏(67)は、小誌を含むマスコミ各社の取材に臨んでいた。ストライプ柄の黒の背広に水色のネクタイという出で立ち。隣にはピンク色のメガネをかけた妻・諄子氏(63)の姿もある。


籠池氏と諄子夫人

 森友学園への補助金を詐取した疑いで詐欺罪などに問われた籠池夫妻には、懲役7年が求刑された。この日の二人は、約2週間後の2月19日に大阪地裁での判決を控える身。だが記者が、現在の心境を問うと、

「別に普段と変わりはなくてですね。不動心。うん。まさにそんな感じ」

 と、事も無げに言い放つ。続く諄子氏も「楽しみです!」と笑顔を浮かべている。

 発覚から3年――。森友事件は大阪府豊中市の国有地売却をめぐる巨額の値引き疑惑が発火点だ。当初は「森友学園」という一学校法人の問題に過ぎなかったはずが、その後、政治家の口利き、財務省による公文書改ざん、そして近畿財務局職員の自殺など数々の疑惑が噴出し、いつの間にか日本中の注目を浴びる一大疑獄へと発展したのだった。

反省の傍ら、常軌を逸した政府の対応を糾弾

 約300日に及ぶ大阪拘置所での勾留生活を経て18年5月に保釈された籠池夫妻にとって、森友事件にはまだ隠された事実があり、判決を前に語り尽くしておきたい気持ちが強くあった。

 冒頭の日も籠池氏は、

「国家の犯罪を暴露しないといけない!」

 と、大きな声で息巻くと、記者たちを前に自身の考えを滔々と語っていた。

 2月13日には『国策不捜査 「森友事件」の全貌』(文藝春秋刊)を出版。作家の赤澤竜也氏の3年に及ぶ密着インタビューに応じ、約500ページ分もの“独白”をしている。

 その中で籠池氏は起訴事実である詐欺罪について、国の補助金詐取については全面的に否認しているが、大阪府と大阪市からの補助金詐取については、

「一部の事実については公判で認めている。よからぬ方法で補助金のかさ上げをした点について、あらためてここに陳謝したい」

 と反省の弁を述べている。

 一方で、「国有地売却における8億円値引きの背任容疑」と「公文書改ざんでの有印公文書変造・同行使容疑」に問われた財務省幹部ら38人が不起訴となったことは「国策不捜査」であったと断じ、「検察庁は政治権力の意向に沿って森友事件の矮小化に奔走した。『国策不捜査』を貫き真相究明の任を放棄した」と糾弾しているのだ。

「国有地の8億円値引き」、「財務省による公文書改ざん」……政府による常軌を逸した対応はすべてある人物に端を発している――首相夫人の安倍昭恵氏だ。

「『昭恵さん』と呼んでください」と言われ……

 事件発覚当初から彼女は疑惑の渦中にあった。建設予定だった「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就いていたことや、「塚本幼稚園」の園長室で籠池氏に100万円を手渡したことなどが報じられ、その度ごとに世間に波紋を広げていた。

 

 だが一方で、籠池氏自身も『国策不捜査』で、

「家内と昭恵夫人とのつながり。この一点だけがボクたちの希望だった」

 と述懐し、事件の最中も昭恵氏が唯一の拠り所であったことを認めている。

『国策不捜査』で赤澤氏は、籠池氏から昭恵氏に関する数々の詳細なコメントを引き出し、丹念に記録している。そこからは両者がいかに親密であったかがよく分かり、昭恵氏の存在こそが森友事件の核心であると改めて理解できる(※以下、籠池氏の発言は『国策不捜査』をもとに構成した)。

 籠池氏が昭恵氏と連絡を取り合うようになったのは11年10月頃からだ。森友学園のPTAの紹介だった。初めて直接会ったのは14年3月14日、場所は「ホテルオークラ東京」の老舗割烹「山里」だった。

 籠池氏が語る。

「ボクたち夫婦と安倍さん夫妻の4人の席を予約していたのだが、安倍さんは急用ができたとのことでドタキャンだった。昭恵夫人は午後6時くらいにお越しになり、懇談を始めたのだが、初対面とは思えないほど話が弾んだ」

 最初は「昭恵先生」と呼んでいたが、本人から、「『昭恵さん』と呼んでください」と言われ、そう呼ぶようにしたという。話題は教育、政治、果ては夫婦関係におよび、大いに盛り上がった。

「安倍晋三記念小学校」はまずいのではないか

 だが途中で昭恵氏が、

「主人は現役の首相になってしまっているので、まずいのではないかと思っている」と切り出したという。

 実はこの頃、建設予定だった小学校を「安倍晋三記念小学校」と命名しようと籠池氏は考えていた。この案を考えついた時期は民主党政権下で、自民党は野党。安倍首相も当時は一衆院議員に過ぎなかった。しかし保守主義の思想を持ち、日本会議のメンバーにも名を連ねていた籠池氏にとって「安倍晋三」という政治家は特別な存在だったのだ。

 12年に入ると昭恵氏に連絡を入れ、学校名の許可を取り付けたという。それが一転して、この会合のときに昭恵氏が断りを入れてきたというわけだ。首相夫人の頼みとあり、籠池氏は即座に承諾したという。

 そんな最中、突然、昭恵氏の携帯が鳴った。安倍首相からだった。

「いつ帰るのか心配になった安倍さんから電話が入ったのだ。時計を見るとすでに午後10時過ぎ。これはさすがにまずいと思い、『お開きにしましょう』と申し上げた。すると昭恵夫人は畳に手をついて『今日はありがとうございました』

と言ってくださった」(籠池氏)

「神風」を吹かせたスリーショットを撮影

 山里での会食から約1カ月後の4月25日に昭恵氏は初めて塚本幼稚園を訪問。「タイトな短いスカートのツーピースという出で立ち。お美しい方だと心から思った。園児に紹介するときも自然に『昭恵さま』という言葉が口をつく」(同前)ほど感激したという。

 同じ日に小学校の建設予定地も訪れ、空き地を見た昭恵氏の「いい田んぼができそうですね」との発言が「瑞穂の國記念小學院」という校名の由来になった。さらに、この時は首相夫人付き職員の谷査恵子氏も同行し、籠池夫妻と昭恵氏のスリーショットも撮っている。

 一方で当時の籠池氏は、小学校建設のために奔走する日々を送っていたが、苦戦を強いられていた。

 大阪府からは学校の設置認可が下りず、近畿財務局(財務省の下部組織で国側の窓口)とは国有地の賃借契約を巡って話がまとまらない。籠池氏自身も「大阪府と近畿財務局を行ったり来たり、という状態だった。本当に辛かった」と述懐している。

学園の件は「財務省本省案件」に

 事態が動いたのは、昭恵氏と小学校予定地を訪問してから3日後の4月28日。この日、近畿財務局の担当者に籠池氏は、昭恵氏が予定地を視察した旨を告げている。途端に担当者の顔色が変わった。

「写真とかあるんですか」

 そう聞かれ、すかさず前述のスリーショットを見せたという。すると担当者は「コピーさせてもらってもいいですか。局長にも見せておかないといけないんで」と尋常ではないほど、興味を示してきた。

「写真を見せてからギアが3段くらい上がったのである。まさにこの日こそ神風が吹くキッカケの第1弾だった。スリーショット写真の提示以降、何もかもがスムーズに進むようになった。あまりにも近畿財務局の態度が変わったので、本当に驚いたものだ」(籠池氏)

 そしてこの頃から学園の件は、「財務省本省案件になった」というのだ。

 以後、破格の値引き問題が発覚する17年まで、籠池夫妻と昭恵氏は、引き続き蜜月関係にあった。

 山里での会合で、昭恵氏はとりわけ諄子氏と気が合ったという。その証拠に2人は頻繁にメールのやり取りをする仲になり、データが残っている16年6月から17年3月までの間だけでも昭恵夫人から34通、諄子氏から49通送られたことが確認されている。

「文書にしてほしい」と伝えられ送ったファックス

「園長室で2人で話していると、昭恵夫人がカバンから封筒を取り出された。中を見ると金子が入っている。ボクが『いいんでしょうか』と聞くと、『安倍晋三からです』とお答えになった。さらに、幼稚園をあとにされてからは電話で『100万円の件は内密に』と念を押されたのだ」 14年12月6日に昭恵氏は塚本幼稚園に2度目の訪問をし「ファーストレディとして」とのタイトルで講演を行った。3度目の訪問となる15年9月5日に昭恵氏から100万円を渡され、瑞穂の國記念小學院の名誉校長就任の依頼も了承されたと籠池氏は語る。

 同じ頃には、籠池氏が証人喚問で暴露し話題になった、ファックスの端緒となる出来事も起きている。

 ファックスとは前述の夫人付き職員の谷氏が、籠池氏に宛てて送ったとされる文書のこと。

〈財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました。(略)引き続き、当方としても見守ってまいりたい(略)。本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております〉

 昭恵氏への「報告」を明記した衝撃の内容だった。

 当時、国有地の賃借契約は結んだものの、学園運営の資金繰りに困っていた籠池氏。そこで、

「昭恵夫人に助けてもらおうと思い立ち、携帯に連絡を入れたところ、留守番電話となっていたため、『ちょっと急ぎます』と申し添え、用件を吹き込んだ」

 すると谷氏から折り返しの電話があり「昭恵夫人から『籠池さんがお急ぎのようなので連絡してほしい』と頼まれたので代わりにお掛けしました。大切なことなので文書にしてほしい」と伝えられたという。籠池氏は慌てて手紙に「国有地の賃借期間の延長」、「賃料の引き下げ」、「ゴミの撤去費用の立て替え分の早期の返還」などの要望を書きつけ10月26日に送付。それに対する回答が、前述の谷氏のファックスだった。

『国策不捜査』に書かれた籠池氏の告白を読み進めると、こうした昭恵氏の振舞いこそが、森友事件の火種を生んでいたことがよく分かる。

「昭恵夫人の写真とコメントを削除してください」

 では、17年2月、朝日新聞の初報によって森友事件が表面化して以降、籠池夫妻と昭恵氏との関係はどのように変化していったのか。

『国策不捜査』では、それを象徴する、新たな2つの逸話が明かされている。

 朝日報道をきっかけに全マスコミを巻き込む騒動となってから2週間が経った2月23日。籠池夫妻は財務省からの指示で大阪を離れ、京都に身を隠していた。

 そこに突然「安倍晋三事務所」の初村滝一郎秘書からの着信があり、2人の間ではこんな会話が交わされたという。

「おたくの『瑞穂の國記念小學院』のホームページに載っている昭恵夫人の写真とコメントを削除してください」

「急に外せと言われても……。昭恵夫人はどうおっしゃっているんですか」

「昭恵夫人も了解済みです。即刻、外してください。いいですね」

 記事を削除した籠池氏はこう明かしている。

「のちほど昭恵夫人と電話でやり取りしたのだが、やはり名誉校長退任を事前に聞かされてはいなかった。昭恵夫人は『私は今でも心の中では名誉校長なんです』と取り繕ってはくれたのだが、その言葉はむなしく響くだけだった」

安倍首相の評価がコロっと変わり、批判的な答弁

 翌24日には、安倍首相が国会で「安倍晋三記念小学校」の校名について問われると、籠池氏を指して「非常にしつこい中において、非常に何回も何回も熱心に言ってこられる中にあって」と批判的な答弁をしている。つい1週間前、2月17日の国会では「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いております」と褒めそやす答弁をしたばかりだった。

 当時の心境を籠池氏が語る。

「ボクに対する安倍さんの評価がコロっと変わったのである。まさに手のひら返しが行われてしまった。一体何が起こってしまったんだ? ボクのなかで感じたことのない疑念が噴き上がってきた」

昭恵夫人の記録が残った決裁文書が改ざんされたのは……

 確かに、この頃から籠池氏をめぐる状況は、加速度的に変化していった。共著者の赤澤氏が語る。

「この年の2月22日に官邸で菅義偉官房長官が安倍首相の指示を受け、会議を行っています。後に国会で明かされた参加者は、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)、太田充官房総括審議官(同)、中村稔総務課長(同)。私はこの日を起点に、森友事件を巡る政府の動きが本格的に始まったと考えています。財務省が18年に公開した『改ざん調査報告書』をつぶさに読み込めば、理財局の幹部が昭恵夫人の記録が残った決裁文書の改ざんに踏み切ったのも、22日以降と考えられる。

 この見方を採れば、なぜ翌23日に初村秘書が籠池氏に電話をかけてきたのか、さらには24日に安倍首相が、籠池氏への急な手のひら返しとも取れる答弁をしたのか、すべて説明がつきます。ただ昭恵氏本人は、こうした政府の動きは知らなかったはずです」

「そんな……」と絶句した昭恵氏

 3月15日の夜、東京から帰阪した籠池夫妻のもとに、昭恵氏から電話がかかってきた。

「私もわからなかったんです。知らなかったんです」

「でも、学校はだめになってしまいました」(籠池氏)

「頑張ってほしい、頑張って続けてほしかったけど無理だったんです。もう遅いんです」

「終わったことですからしかたないですね」(籠池氏)

「私は知らなかったんです。こういうことになっていくとは知らなかったんです。主人が、主人が……」

 そこで籠池氏が「もうこれ以上は守り切れません。もう守れません」と通告し、100万円を昭恵夫人から受領したことも表で言わざるを得ないと告げると「そんな……」と絶句したという。これが籠池氏と昭恵氏との最後の会話になった。

籠池氏は「刑事事件については裁きを受け容れるつもり」

 ちなみに籠池氏は、後にこの100万円を昭恵氏に返却しに行ったが、その札束が上下の2万円以外はただの紙切れで、そのカラクリを撮られてしまう、という珍事も起きた。やはり怪しい人物だ、と思わせる場面だったが、籠池氏は反論する。

「(当時、広報兼アドバイザーのようになっていた)著述家の菅野完氏から『寸分の狂いもないものだから。本物と両方持っていくように』と言われたのだが、ボクは取り出すまで冗談だと思っていたので驚いた。本物のほうは、別のポケットに入っていたのだった」

 森友事件を単なる補助金詐取事件に矮小化することなく、財務省が組織的に公文書を改ざんし、自殺者まで出した一大事件として真相を究明すべきだと訴える籠池氏は、最後にこう綴っている。

「(自身の)刑事事件については裁きを受け容れるつもりだ。残された人生を少しでも世の中の役に立つことに使いたい。森友事件の真相解明についても、微力ながら尽くしていきたい。そのためにも、もう一度、ボクを国会の証人喚問に呼んでいただけないだろうか。佐川元理財局長も一緒に証言台に立てばいい。もちろん昭恵夫人にも来てもらいたい」

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年2月27日号)