鹿のため死刑になった逸話も。奈良の鹿って誰が管理してるの?あまりにも当たり前の光景で…

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去年久しぶりに奈良に旅行に行きました。鹿せんべいをあげ慣れていない外国人が増えて注意喚起するニュースも増えましたね。実際、久方ぶりに来訪すると、その圧倒的な数にちょっと尻込みします。

この奈良の鹿ってどうやって管理されてるのでしょう。

鹿は春日大社の神の使いとされていますが春日大社の神官ではなく、一般財団法人「奈良の鹿愛護会」の職員に任されています。その数たったの11人。対して鹿は現在1000〜1300頭ほどだといいます。

春日大社と鹿の関係は古く、1300年以上もさかのぼります。奈良の平城京に都が移されたとき、当時の権力者であった藤原氏は平和を願い、代々敬ってきた武甕槌命(タケミカツチノミコト)という神を祀りました。

武甕槌命は現・茨城県の鹿島神宮の祭神。神は鹿島からはるばる奈良まで白い鹿に乗り、そして春日の三笠山に降り立ったといいます。そこが今の春日大社というわけです。

鹿を死なせ死刑になった時代も

代々鹿は神の使い「紳鹿」として大切に扱われてきましたが、こんな悲劇が興福寺に伝わっています。

昔、興福寺の小僧に三作という少年がおり、お堂で手習いをしていたところ、習字の紙を鹿に食べられそうになり思わず文鎮を投げつけました。

すると運悪く鹿が死んでしまい、彼は生き埋めの刑にされてしまったということです。今でも「伝説三作石子詰之旧跡」という石碑が建っていますが、史実かどうかはわかりません。ただこの話は元禄時代に近松門左衛門が浄瑠璃「石子詰めの三作」として創作し、世に知られるようになります。

また、江戸時代は鹿を死なせると処罰されたため、奈良の人たちは朝起きると玄関前に鹿の死骸がないか確認したそうです。それが自然死であっても、お役人に咎められたら大変!

ということで、死骸があれば別の場所に移動させたそうです。

鹿の角きり

10月になると鹿の角きりが行われます。逃げ回る鹿を追いかけ、角を切り落とす儀式ですが、テレビニュースで知っている方もいるでしょう。この角きりを行うのは「勢子」と呼ばれ、烏帽子をかぶり神官姿で登場します。

この行事ではデモンストレーションとして数回に数頭にしか行いませんが、裏ではすべての雄を麻酔で眠らせ、その間に切り落とすという大変な苦労をしているのです。

これは雄鹿同士の怪我防止のためでもあり、人間のためでもあって、江戸時代初期に奈良奉行の命で始まりました。

鹿寄せ

明治から始まった行事で、現在の鹿苑と呼ばれる公園ができた記念に行われたのが始まりだそう。職員がホルンで呼び寄せると、鹿達がわらわらと集まってきます。ちなみに鹿の通り道を「鹿道」と呼ぶそうです。鹿達も、やみくもに歩いているわけではないのですね。

鹿達は実は常時餌を与えられているわけではなく、公園内のどんぐりや芝などを食べてくらしているので、冬になるとこの鹿寄せで呼び寄せ、餌をあげることも目的なのだそう。ちなみに鹿がかたまって寝そべっている様子を「鹿だまり」といいます。夕方になるとどこからともなく集まりねぐらと化しています。夏だと、暑い日差しを避け寄り集まっていることがあるので、観光名物になっています。

鹿の糞はどうしてる?

現在鹿の数は約1300頭。これらの糞は大変な量になるはず。しかし愛護会の方が掃除しているわけではなく、公園内のコガネムシなど昆虫が食べているそう。公園内で小さな生態系ができあがっているんですね。ちなみに人の手で行うと年間百億円もの予算が必要になるのだとか。昆虫さまさまですね。

職員も鹿の糞を利用した堆肥を販売し餌代にしたり、近くの万葉植物園に無料で提供しているのだとか。

奈良の鹿は人の手がかかっていますが、あくまでも野生です。この人間と野生の不思議な関係がずっと続くといいですね。

参考文献:『奈良 鹿ものがたり』中村文人、佼成出版社