長野県に暮らしたことのある人なら、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「ズク」という言葉。広辞苑には「物憂い、億劫」を意味する方言として記されていますが、地元の方からすると微妙にニュアンスが違っており、正確に説明するのはとても難しいのだとか。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、信州方言「ズラ」と「ズク」を取り上げ、普段この言葉を使う人々の「生活や思い」を考察しています。

信州の「ズラ」と「ズク」と文化考

明日は雨ズラ、雪が降るズラ、寒いズラ…。

ズラ(だろう)は、信州は松本・諏訪地方を代表する方言。当節は、特に若い世代中心にあまり使わなくなったといわれるが、幼児からの身についた言語感覚、時として会話の端々に出てきたりする。

意外なことにズラの起源は不明であるとか。私は信州、特に松本・諏訪近辺を代表する三つの方言は、じゃん、ズラ、ダ、でなかろうかと言ってきたが、「ズラはどこから来たダ、どこへ行くダ」、この言い回しも地元ではなじみのもの。

国立国語研究所教授の大西拓一郎先生によると、実は、この表現(来たダ、行くダ)とズラは深くつながっているという。

そうしてもう一つの「ズク」、信州には「ずく」という言葉がある(もっとも甲府盆地や静岡県の一部でも使われているようであるが)。信州にはといったのは、この「ずく」は県外へ出れば通じないからである。信州人は東北の人のように言葉に引け目のようなものをもっていないから(どうも標準語とたいして違っていないと思っているようだ)、都会地へ行っても平気で「ずく」などが飛び出す。なお、ズラは中南信の言葉だが、ズクは信州一円で使われている。

私も昔、京都で4年間の学生生活をしたが、「おまえ、そのずくってなんや」と指摘されるまで、方言だということを知らなかった。ところが、ずくの意味を説明しようとするのだが、うまく出来ないのである。ほかのことばに移し替えようとするのだが、みな少しづつニュアンスが違う。

こまめに動きまわることだとか、寒いときにこたつから仕事などに立ち上がる気力だと言っても、ずくという言葉を知らない人にはピッタリ来ない。「ずくがない」とか、「ずくを惜しむ」とか信州人には重宝な言葉ではある。他県の人には、こういったニュアンスの言葉がなく不自由はしていないだろうか。

広辞苑には、「ずくがない--ものうい、おっくうである、信濃方言として現行」と出ていた。用法として、旧観帳「わしはナア酔って--からナア」と紹介されているが、昔は全国的に使われていて、信州にだけ残ったのだろうか。もしそうだとしたら、信州人の特質がそうさせたのだろうか。

さて、「ずくがない」、「ずくを惜しむ」など、あまり歓迎されざる状況を言っているのだが、「ずく」を惜しむ精神が、技術や文化を進歩させてきたともいえるのではないかとも考える。ずくを惜しまず、こまめにやっていたのでは十年一日変化がない。何か楽にやる方法はないかという気持ちが、創造性に繋がり、多くの進歩を生み出したのだと。いわゆる省力化もずくの産物だろう。私たちの仕事もただ手足を動かしているだけで価値があり、働いていることにはならない。

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『安曇野(あづみの)通信』

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発刊以来10年、みすずかる信濃はアルプスの麓、安曇野を中心に信濃の光と風、懐かしき食べものたち、 野の花、石仏、植物誌、白鳥、温泉、そしてもろもろ考現学などを、ユニークな(?)筆致でお届け!

出典元:まぐまぐニュース!