北京市内の中日友好病院の名称変更?・・・中国人「友好はやめるのか?」、病院「当局が略称を定めただけ」、メディアは詳細解説「日本の借款と無償援助で設立できた」
北京市内にある中日友好医院が「中日医院」との名称を使いだしたことで、中国のインターネットでは「友好をやめたんだな」などの多くの書き込みが寄せられた。病院関係者は、政府当局の指示で略称を定めただけと表明。同件を報じた中国メディアの新京報網は「中日友好医院は初の中日菅の借款協力と無償援助のプロジェクトだ」と詳しく解説した。
中国では「日中関係」を「中日関係」と呼ぶ。「医院」は小規模な開業医などではなく、むしろ規模の大きな総合医療機関を指す。「中日友好医院」は日本語でいえば「日中友好病院」といった語感だ。同病院は1984年の運営開始から、中国でもレベルの高い医療機関として活動を続けてきた。中国人医療関係者の育成でも、大きな役割を果たしてきたと評価されている。
同病院自身が「中日医院」と「友好」の文字を割愛した名称を用いはじめたことに、注目を集まった。同病院に勤務する医師のひとりは、同病院事務室からの「(中国政府部門の)国家衛生計画出産委員会からの通知で、略称として中日医院を使用。今後は正式名称を使う必要のある場合以外には中日医院を名称を使う」との通知があったと説明した。
インターネット・ユーザーからは同件について、「もう友好ではないということか」、「結婚証明を破ったのだな」などの書き込みが多数、寄せられた。
病院側は改めて、「国家衛生計画出産委員会が、直属・関連組織についての略称の基準化を通知した。(本病院の)略称は中日医院、正式名称は中日友好医院」、「他の医療機関についても、略称が定められた。中国医科学院は医科院、中国医学科学院北京協和医院は北京協和医院、国家心血管病中心は心血管病中心(心血管病センター)」などと、当局はさまざまな医療機関の略称統一を行っており、中日友好医院の「友好」が“ターゲット”になったわけではないと説明した。
同話題を報じた中国メディアの新京報網は「中日友好医院は初の中日間の借款協力と無償援助のプロジェクトだ」は、中日友好医院設立の経緯を詳解。1979年に谷牧副首相と日本の大平正芳首相が会談した際に決まった、初の日中間の円借款および無償援助プロジェクトと説明し、中国政府側が「中日友好病院」の名称を定めたこと、同病院で掲示されている「中日友好医院」の文字は1984年に当時の胡耀邦共産党総書記が書いたものであること、正式オープンの際には中国政府・衛生部が人民大会堂で盛大な祝賀会を開催したことなどを紹介した。同記事は中国新聞社など他の中国メディアも転載した。
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◆解説◆
中国中央政府の一部門の国家衛生計画出産委員会が、関連機関の略称を統一した理由は不明だが、関係すると思われる背景がある。中国ではこのところ、権威ある組織と「まぎらわしい呼称」を名乗る団体が出現し、一般人の混乱を招くなどが社会問題化していた。
権威ある医療機関の略称を統一し「それ以外の団体には使わせない」、「それ以外の名称の場合、権威ある医療機関とは関係ない」ことを徹底させれば、混乱は緩和されることになる。
上記記事は、ネットユーザーの間に「中国政府は中日(日中)友好を否定か?」との見方が出たことを、「ミスリードの恐れある」と受け止め、「単なる実務上の問題」と説明していると読める。
最後の部分で、中日友好医院が設立された経緯を詳しく紹介した部分も、「日本は、戦後における日中関係構築の早い時期に、中国がレベルの高い医療機関を保有することに協力した」という事実を、一般庶民に改めて強調しているように読める。
特に、中国でも開明的な指導者として評価されている胡耀邦氏の名を出したことは、日本および日本の対中協力に良好な印象をもたらすと考えられる。(編集担当:如月隼人)
中国では「日中関係」を「中日関係」と呼ぶ。「医院」は小規模な開業医などではなく、むしろ規模の大きな総合医療機関を指す。「中日友好医院」は日本語でいえば「日中友好病院」といった語感だ。同病院は1984年の運営開始から、中国でもレベルの高い医療機関として活動を続けてきた。中国人医療関係者の育成でも、大きな役割を果たしてきたと評価されている。
インターネット・ユーザーからは同件について、「もう友好ではないということか」、「結婚証明を破ったのだな」などの書き込みが多数、寄せられた。
病院側は改めて、「国家衛生計画出産委員会が、直属・関連組織についての略称の基準化を通知した。(本病院の)略称は中日医院、正式名称は中日友好医院」、「他の医療機関についても、略称が定められた。中国医科学院は医科院、中国医学科学院北京協和医院は北京協和医院、国家心血管病中心は心血管病中心(心血管病センター)」などと、当局はさまざまな医療機関の略称統一を行っており、中日友好医院の「友好」が“ターゲット”になったわけではないと説明した。
同話題を報じた中国メディアの新京報網は「中日友好医院は初の中日間の借款協力と無償援助のプロジェクトだ」は、中日友好医院設立の経緯を詳解。1979年に谷牧副首相と日本の大平正芳首相が会談した際に決まった、初の日中間の円借款および無償援助プロジェクトと説明し、中国政府側が「中日友好病院」の名称を定めたこと、同病院で掲示されている「中日友好医院」の文字は1984年に当時の胡耀邦共産党総書記が書いたものであること、正式オープンの際には中国政府・衛生部が人民大会堂で盛大な祝賀会を開催したことなどを紹介した。同記事は中国新聞社など他の中国メディアも転載した。
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◆解説◆
中国中央政府の一部門の国家衛生計画出産委員会が、関連機関の略称を統一した理由は不明だが、関係すると思われる背景がある。中国ではこのところ、権威ある組織と「まぎらわしい呼称」を名乗る団体が出現し、一般人の混乱を招くなどが社会問題化していた。
権威ある医療機関の略称を統一し「それ以外の団体には使わせない」、「それ以外の名称の場合、権威ある医療機関とは関係ない」ことを徹底させれば、混乱は緩和されることになる。
上記記事は、ネットユーザーの間に「中国政府は中日(日中)友好を否定か?」との見方が出たことを、「ミスリードの恐れある」と受け止め、「単なる実務上の問題」と説明していると読める。
最後の部分で、中日友好医院が設立された経緯を詳しく紹介した部分も、「日本は、戦後における日中関係構築の早い時期に、中国がレベルの高い医療機関を保有することに協力した」という事実を、一般庶民に改めて強調しているように読める。
特に、中国でも開明的な指導者として評価されている胡耀邦氏の名を出したことは、日本および日本の対中協力に良好な印象をもたらすと考えられる。(編集担当:如月隼人)
