酒浸りの労働者を救いたかった…「団体観光の始祖」トーマス・クックの原点

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世界的な旅行会社の創業者であり、「団体観光の始祖」と呼ばれるトーマス・クックは、もともと旅行業者ではなかった。彼が救おうとしたのは、産業革命の時代に酒浸りの日々を送る労働者たちだった--。観光の原点にある意外な物語をたどる。

話題の新刊『観光を忘れた日本』では、日本で起きている深刻な「観光離れ」という社会問題を、観光の歴史をひもとくことで考察していく。

※本記事は、山口誠著『観光を忘れた日本』より一部を抜粋・編集したものです。

産業革命期のイギリスと禁酒運動

トーマス・クックの生い立ちで注目したいのは、家具製造や出版印刷を生業としつつ、熱心な福音派の伝道師として活動していた若き日の姿であり、そして福音の忠良なる実践として彼が熱心に説いて回った、ある思想である。それは禁酒であり、それも一滴のアルコールも口にしない「絶対禁酒主義(teetotalism)」だった。

産業革命期のイギリスでは、都市の工場などで単純作業に従事する労働者たちが増加していった。その多くが、低い賃金と辛い作業を強いられ、貧しく苦しい都市の日常生活に閉じ込められて生きていた。彼らが一日の終わりにできることといえば、大酒を飲んで憂さを晴らすことぐらいしかなかったため、過度な飲酒が深刻な社会問題になっていった。なかでも安くて強い酒であるジンが労働者の間に広まっていった結果、飲酒の習慣が労働者だけでなく、一緒に暮らす家族たちにも蔓延し、深刻な中毒を起こしたり、ときに命を落とす人が増加していった。

こうした社会問題に対するため、さまざまな組織や団体が19世紀前半のイギリスで取り組んだのが、禁酒運動だった。それはアメリカ大陸で生まれ、宗主国のイギリスへ里帰りしたと考えられる社会改良運動の一種だが、イングランド中部では福音派のキリスト教会をはじめとする宗教団体が熱心に取り組んでいった。クックも1833年に、妻のマリアンヌと共に禁酒の誓いを立てたとされる。ただしジンのような強い蒸留酒を対象とした限定的な禁酒であり、ビールなどのアルコール度数の低い、日常に根づいた醸造酒を飲むことは除外されていた。当時これは一般的な、そして穏健な禁酒の誓いだった。

しかしクックは1836年に一切のアルコールを口にしない絶対禁酒の誓いを立て、1840年には『子どもの禁酒雑誌』を自ら創刊し、飲酒がもたらす害を説き、酒を断つ思想を広める活動に熱中していくことになる。いわば伝道活動の中心に禁酒運動があり、なかでも絶対禁酒主義を広めることこそが福音派の信仰を布教する最良の道であるという考えが、クックを突き動かしていったようだ。

「酒のない一日」のアイデア

福音伝道師として10年あまり活動し、32歳になったクックは、近くの町で開かれた禁酒大会へ向かう途上で、あるアイデアを思いつく。開通したばかりの鉄道を利用して出かけることを呼び物として、大勢の労働者たちを酒浸りの日常から連れ出し、訪れた先でさまざまなレクリエーションを楽しみ、そして飲酒の害や禁酒の美徳を説く集会に参加するなどして朝から晩まで過ごせば、もっと禁酒の価値を理解する人が増えるかもしれない。少なくともその日だけは、酒を飲まずに一日を終えるかもしれない。翌朝には二日酔いや心身の不調などから解放された、健康な心身を実感し、酒のない生活を自ら選ぶ人が、少しでも現れてくれればいい。

この「酒のない一日」のアイデアについて、禁酒大会に集まった同志たちに説明したところ、好評を得たという。すぐにクックはミッドランド・カウンティーズ鉄道の事務所を訪ね、500人の乗客を集めるかわりに、同社が拠点を置くレスターからクックにとって馴染み深いラフバラーまで、18キロの鉄路を走る貸し切り列車の企画について打診した。鉄道会社は禁酒運動とその新しい企画に理解を示し、格安の運賃で往復できる列車の特別運行を約束したという。これをクックは、エクスカーションと名づけた。「日帰り旅行」あるいは「遠足」ほどの意味であり、気楽に、そして誰でも参加できるイベントであることを印象づけるために選ばれた語だった。

1841年7月5日、クックによる最初のエクスカーションは実行された。中核都市であるレスターの駅に集まった約500人の参加者たちは、鉄道会社が用意した計10両の客車から成る特別列車に乗り、行き先のラフバラーへおよそ半時間の乗車を一人一シリングの格安料金で楽しんだ。ただし、うち9両には、屋根も座席もない無蓋列車が使用された(下写真)

まるで人ではなく貨物を運ぶ列車のようだが、最新の蒸気機関車が先導する鉄道に格安で乗れることから、500人ほどの参加者はすぐに集まり、その数倍の見物者たちがレスター駅からの出発を見送ったという。現在の日本でいえば、一人あたり数百円ほどでリニアモーターカーに試乗できるイベントのようなものだろうか。

蒸気機関車のスピードと力強さを体感した一行は、ラフバラーの駅に到着し、今度はブラスバンドが先導する行列を組んで行進しながら、目的地の公園へ向かった。そこではパンや紅茶などが振る舞われ、地元の住民や他の地域から集まった人びとと一緒に歌を合唱したり、ダンスやクリケットやハンカチ落としなどに興じたり、あるいは草むらで日光浴をしたり昼寝をするなどして、さまざまなレクリエーションの時間を楽しんだという。

「団体観光の始祖」と語られる理由

そうして現地の人びとと合わせて1000人を超える参加者を数えた夕方6時、禁酒を呼びかける集会が始まった。弁舌優れた演者たちの熱狂的なパフォーマンスが続き、飲酒の害が叫ばれ、禁酒がいかに福音の具現として理想的か、そして人の美徳を高め、人生を自分の手中に取り戻す道となるか、ユーモアやジェスチャーを交えて説かれた。さながらお祭りや音楽祭のような興奮の渦のうちに禁酒大会は夜九時に終了し、クックの一行は再び特別列車に乗車して、夜10時半ごろレスター駅に帰着した。イングランドの夏の日は長い。薄暗い駅舎で別れを惜しんだ参加者たちは、それぞれの思いを抱えて家へ帰っていった。こうして「酒のない一日」は幕を閉じた。

大きな事故もなく、好評に終わった最初のエクスカーションは、そもそもの目的である禁酒運動の推進にどれほど役立ったのかは不明だが、しかしクックはこの後も同様のエクスカーションを不定期ながら継続して開催したことから、手ごたえはあったようだ。毎回500人から600人ほどの参加者を新聞の広告や教会のポスターなどで募り、格安の参加費で「酒のない一日」を提供していった。

クック自身が後に述べているように、彼のエクスカーションの以前にも、同様の特別列車はすでに運行されていた。団体で列車を貸し切り、割安運賃で遠出するイベントは、クックが最初ではなかった。そのうえでクックが「団体観光の始祖」と語られる理由は、新聞広告やポスターなどで不特定多数の人を募集し、そして行き先でのプログラムを周到に用意した点と、催行者が全行程を同行したエクスカーションを実現した点にある。つまり既存の集団のために特別列車を手配したのではなく、誰でもお金を払えば自由に参加できる、しかも安くて楽しい「日帰り旅行」。これがクックのエクスカーションだった。

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