「我々を北上に帰してほしい」…旧町出身の職員直訴、「支所壊滅」の言葉にいてもたってもいられず
今野照夫さんの震災日記 3月15日<上>
朝、石巻市本庁の職員5人が北上中学校の災害対策支部に突然やってきた。
全員が旧北上町時代の職員で、人事課に直訴して戻ってきたという。
その中心となった今野浩さんは北上町女川の出身で、当時は保険年金課の主幹だった。石巻市穀町にある市役所の一帯も津波が流れ込んで水没し、庁舎に泊まり込んで災害対応にあたっていた。
4階の防災対策課のホワイトボードに、各地の被災状況が書き出される。刻々と情報が更新されていく中、北上地区はいつまでも「北上総合支所 壊滅」と書かれたままだった。いてもたってもいられず、一番の年長者だった下水道課補佐の今野健治さんに相談した。健治さんは自身らも含め本庁在籍の北上出身者十数人を紙に書き出した。
2人はその名簿を持って人事課に赴き、「我々を北上に帰してほしい」と訴えた。14日の夜のことだ。
日付が変わって15日午前1時ごろ、職場の床に新聞紙を敷いて仮眠を取っていた浩さんを上司が起こした。「名簿の上から5人までは帰ってよい」と人事課の許可が出たという。帰還はいますぐでも夜が明けてからでもいい、とのことだった。
石巻市は2005年に1市6町で合併した。北上町役場は支所となり、人事異動の範囲も新市全域に広がった。健治さんと浩さんはそろって07年に本庁転属となったが、支所職員は長く苦楽を共にしてきた古里の仲間だ。安否は伝わってこないが、みな身を削って奮闘しているはずだった。
それに、浩さんは「壊滅」という言葉がにわかに信じがたかった。とにかく自分の目で確かめたいと思った。
◇
一方、現地の今野照夫さんたちは災害対策支部の引っ越し準備を進めていた。
照夫さんらのもとには、雑多な情報が続々と集まってくる。住民が身を寄せる北上中体育館の一角では業務がやりづらい。調整の末、体育館から150メートル北にある運動施設「にっこりサンパーク」(NSP)の事務所に移ることになった。クラブハウスの名称で知られ、当時は遺体安置所になっていた。
15日朝、警察が遺体を隣の河北地区の高校に搬送し、職員らが入念に床を清掃した。合流したばかりの浩さんたちも、さっそく施設にブルーシートを敷く作業に取りかかった。

震災5日目の応援派遣は職員の半数にあたる17人を失った北上総合支所にとって心強い加勢となった。緊急対応のため発令を伴わず、人事課に記録はない。その後、健治さんと浩さんは4月1日付、菊田忠志さんは5月1日付で支所への人事発令が正式に出た。残る2人はしばらくして本庁に戻っている。
