菅原洋一さん“最後のお別れ” 92歳、悪性リンパ腫 最後のステージは4月、全うした歌手人生
「知りたくないの」「今日でお別れ」などのヒット曲で知られ、昭和の歌謡界を彩った歌手の菅原洋一(すがわら・よういち)さんが5月31日午前9時26分、悪性リンパ腫のため都内病院で死去した。92歳。兵庫県出身。今月1日に家族葬を行った。喪主は妻のアケミさん。お別れの会を開く予定はない。亡くなる1カ月半前までステージに立ち、生涯現役の歌手人生を全うした。
菅原さんは5月上旬に誤嚥(ごえん)のため入院したところ、悪性リンパ腫が見つかった。自覚症状はなかったという。同20日に予定していた公演は中止となったが、所属事務所関係者は「今後もライブを開催するため、大事を取って入院しただけだった」といい、病床でもリハビリに励んでいた。亡くなる前日の5月30日まで家族らと過ごしていたが翌朝に容体が急変。そのまま息を引き取った。
最後のステージは4月6日に東京・上野で行われたコンサート。座りながらの歌唱でヒット曲を中心に11曲を歌い上げた。6月24、25日には日本歌手協会のライブ、8月21日には自身の93歳を記念した誕生日コンサートも予定され、歌う意欲は衰えていなかった。
国立音大を卒業後、1958年にタンゴ歌手としてデビュー。その後、音楽プロデューサーで小澤音楽事務所を立ち上げた小澤惇さんと出会い、本格的に歌謡界に進出。小澤さんと二人三脚で都内ホテルを巡り、大人の雰囲気が漂うラウンジでライブを何度も重ねた。都会の大人の恋を描くムード歌謡の第一人者として地道にファンを獲得していった。
67年に「知りたくないの」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。以降、22年連続で出場した。70年に「今日でお別れ」で日本レコード大賞を受賞。82年のシルヴィアさんとのデュエット曲「アマン」はカラオケで定番のデュエット曲となった。
音大の声楽科で培った技術と知識を背景に、タンゴ、シャンソン、カンツォーネといった世界のポピュラー音楽も取り入れ、さまざまなジャンルの音楽を硬軟自在に歌い分ける。そうした表現の幅の広さで唯一無二のシンガーとしての地位を確立。一方、七三分けの髪形に柔和な丸顔がトレードマークで、「ハンバーグ」の愛称で親しまれた。
2023年、90歳の時に行った本紙のインタビューでは「歌い続けることで僕は生きながらえています」と話していた。加齢とともに変化する声質に合わせ、呼吸方法を変えるなど、常に声を研究する姿勢は亡くなる直前まで変わらなかった。「死ぬということは“もう修業が終わったよ”と、そういうふうに僕は考えています」。言葉通り、歌の道を究め続けた生涯だった。
菅原 洋一(すがわら・よういち)1933年(昭8)8月21日生まれ、兵庫県出身。68年に「誰もいない」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。ほかのヒット曲に「愛のフィナーレ」、「忘れな草をあなたに」など。88年、ソウル五輪の前夜祭に日本代表として出演。10年に喜寿を記念した「77歳77曲コンサート」を開催。18年にデビュー60年を迎え、日本レコード大賞企画賞を受賞。19年に文化庁長官表彰。
