「帰ってきちゃった」…ボストンバッグを抱え、たたずむ80歳母。入居金4,800万円”高級老人ホームに入居した4ヵ月後、娘が目にした「驚愕の光景」【FPの助言】
「高い老人ホームなら安心」――そう確信して選んだ高級老人ホームから、わずか4ヵ月で退居してしまった80歳の母。亡き夫が遺した9,000万円を持ちお金に困らないはずの彼女の実話には、老後の住まい選びで多くの家族が見落としがちな"盲点"が隠れていました。豪華な設備でも埋められなかったものとは、いったいなんだったのでしょうか。FPの三原由紀氏が解説します。
深夜の電話が、娘を動かした――高級老人ホーム入居という決断
「やっぱり……パパがいないと、私は無理なの……」
深夜1時過ぎ。会社員の美穂さん(58歳)のスマートフォンに、母・紀子さん(80歳)から涙声で電話がかかってきたのは、父親の法要や諸々の相続手続きがひと段落したころでした。
紀子さんは、都内の戸建て住宅で一人暮らしを続けていました。夫(美穂さんの父)は地域で内科医院を営む開業医でしたが、半年前に病気で他界。夫が遺した金融資産は約9,000万円。生活に困る状況ではありませんでしたが、美穂さんには別の心配もありました。
転倒やヒートショック、夜間の体調悪化。80歳という年齢を考えれば、なにかが起きても不思議ではありません。
「いまならまだ元気だから、新しい環境にも慣れやすいかもしれない」
そう考えた美穂さんは、老人ホーム探しを始めます。見学した施設は、都内にある住宅型有料老人ホーム。ホテルのようなエントランス、専属シェフによる食事、24時間スタッフ常駐、充実した医療連携。自立度の比較的高い入居者が多いことも、美穂さんには好ましく映りました。
『ここなら間違いない』と確信した美穂さんは、紀子さんに入居を勧めます。紀子さん自身は積極的ではありませんでしたが、忙しい娘への気遣いから「あなたがそう言うなら」と受け入れました。
入居一時金は4,800万円、月額利用料は約35万円。遺族年金などを含めた紀子さんの年金収入は月24万円ほどで、毎月11万円程度を貯蓄から取り崩す計算。それでも美穂さんは「母が安心して暮らせるなら」と考えていました。
入居から4ヵ月、娘の自宅前に立つ母――「なにしてるの?」
ところが入居から数週間後、紀子さんの電話の回数が増えていきます。
「昨日、眠れなくて」
「今日は食欲がなくて」
最初は環境変化による疲れだと思っていましたが、母はやがてイベントに参加しなくなり、食事も部屋で済ませることが増えていきました。
施設の担当スタッフからは、「入居直後は環境の変化で、しばらくお部屋にこもりがちになる方も多いんです」と説明を受けていたため、美穂さんも「いまは見守るしかないのかもしれない」と考えていたといいます。
そして入居から4ヵ月後の夕方。仕事帰りの美穂さんは、自宅前に小さなボストンバッグを持って立つ母を見つけます。
「お母さん? ここで、なにしてるの?」
驚いて声をかけると、紀子さんは困ったように笑って言いました。
「……帰ってきちゃった」
豪華な施設でも埋められなかった、“居場所の違和感”
紀子さんが入居した施設は、決して“悪い施設”ではありませんでした。スタッフは丁寧で、対応も早い。食事も豪華で、医療面の安心感もある。それでも当人に「合う施設・合わない施設」があります。
紀子さんは、もともと社交的なタイプではなく、夫を支えながら家庭中心に生きてきた女性でした。一方、高級老人ホームという特性からでしょうか。施設には現役時代に第一線で活躍してきた人や、社交慣れした人が多くいました。
毎日のように開かれる交流イベントは、施設にとっては「孤立防止」のための配慮でも、紀子さんにはかえって負担になっていたのかもしれません。
さらに、高齢者は環境変化の影響を強く受けます。配偶者との死別だけでも大きな喪失体験です。そこへ長年の自宅を離れ、生活リズムが変わり、人間関係が一変すれば、心身のバランスを崩す人は少なくないでしょう。紀子さんもまた「娘に迷惑をかけたくない」と我慢を重ね、退去を決めたころには軽い抑うつ状態の兆候も見られていたといいます。
美穂さんも早めに動けなかった理由があります。「もう少し様子を見れば慣れてくれるかもしれない」という期待と、高額な一時金を支払ったという事実が、判断を先送りにさせていたのです。
退去を決めたのは入居から4ヵ月後のこと。ここで知っておきたいのが「90日ルール(短期解約特例)」です。
老人福祉法に基づくこの制度では、入居から90日以内に退去すれば、初期償却分は適用されず、実際に入居した日数分の家賃やサービス費用を差し引いた金額が返還されます。しかし4ヵ月(約120日)が経過していたため、初期償却が適用され、返還額は当初より約800万円少なくなったといいます。判断の先送りが、経済的なダメージとして表れた形でした。
「やっぱり家がいちばん」――もう一つの選択肢
その後、美穂さん親子はすぐに次の施設を探すことをしませんでした。何度も話し合った結果、紀子さん自身が「やっぱり家が落ち着く」と話したからです。要支援の認定も受けておらず、日常生活はまだ自分で送れていました。
日本労働組合総連合会が発表した「老後のくらし方に関する意識調査2025」によると、「自身に介護が必要になった場合の住まい選びの意向」について、「現在住んでいる自宅で暮らし続けたい」と回答した人が57.0%で最多となっています。「介護施設に入居したい(15.8%)」という回答を大きく上回る結果です。
介護が必要な状態でさえこれほど多くの人が自宅を望むのですから、まだ自立して動ける紀子さんが、慣れ親しんだ台所や生活環境を恋しく思うのは、むしろ当然の反応だったと言えるでしょう。
美穂さんは「いまの母に必要なのは、施設ではなく安心して暮らせる自宅環境なのかもしれない」と考えるようになります。
生活エリアを1階へ集約し、段差解消・手すり設置・ヒートショック対策を含む自宅リフォームを実施。費用は約1,500万円にのぼりましたが、地域包括支援センターを通じて自治体の補助制度も確認しました。見守りサービスも導入すると、紀子さんは少しずつ表情を取り戻していきました。
「やっぱり、自分の台所がいちばん落ち着くのよ」。その言葉を聞いて、美穂さんは気づいたといいます。"安心できる場所"を決めるのは、設備や価格ではなく、その人自身の「ここがいい」という感覚なのだと。
もちろん、この先ずっと一人暮らしを続けられるとは限りません。「もし介護が必要になったときは、そのときに改めて考えよう」と話し合い、いまは地元の施設を少しずつ見学しているそうです。
ファイナンシャルプランナーとしてひとつ申し上げるなら、「価格の高さ=安心」は、老後の住まい選びでは通用しないことがあります。そして入居後に「合わない」と気づいても、環境を変えること自体が高齢者には大きな負担です。体調を崩すこともあります。
だからこそ、入居前に「その人が、その人らしくいられる場所かどうか」を本人と丁寧に話し合うこと。それが、後悔しない老後の住まい選びの、最初の一歩になるはずです。
三原 由紀
プレ定年専門FP®
