東海道新幹線「ひかり」に乗って、東京駅から約1時間。静岡駅から、在来線に乗り継いで3駅目、清水駅に着く。

【写真多数】昭和の香りただよう商店街も…ナゾのエスパルス本拠地の駅「清水」を写真で一気に見る

 清水駅は、静岡県清水区を代表する駅だ。その点において、新幹線も停まる静岡駅をターミナルとすれば、清水駅はいくつかある静岡市内の衛星駅のひとつということになる。

 ただ、もとを辿れば静岡県清水市、人口約23万人を抱える都市の玄関口だった。2003年に静岡市と合併して清水区になったが、それまではれっきとした独立した都市だったのだ。


“ナゾのサッカーチームの駅”「清水」には何がある? 撮影=鼠入昌史

 清水市は、名物だっていくつもある。三保の松原、清水次郎長、そして何より清水エスパルスとちびまる子。冷凍マグロの水揚げ量では日本有数という、水産都市でもある。もうひとつ付け加えるならば、我らが阪神タイガースのクローザー・岩崎優も清水の出身だ。

 だから、わざわざ合併などしなくてもいいくらい、名物にも産業にも恵まれた静岡県清水市。そのターミナルとは、いったいどんな駅なのだろうか。

ちびまる子ちゃんとエスパルスの“二枚看板”

 とはいえ、往年の栄華はいざ知らず、いまの清水駅はやっぱり静岡市内の衛星駅に過ぎないのだろうか。清水駅のホームは島式1面2線。最もシンプルな構造といっていい。橋上駅舎には商業施設も入ってはいるけれど、静岡駅のそれとは比べるまでもないほど小さな規模だ。

 それでも、妙に幅の広い橋上駅舎の自由通路に出れば、ちびまる子ちゃんとエスパルスがあちこちに。やっぱりこのふたつが清水の二枚看板ということなのだろう。次郎長は、どこにもいませんね……。

 まあ、いまどき清水次郎長といったって、知っている人がどれだけいるか。江戸時代後期に清水の船頭の家に生まれ、長じて博徒の親分として抗争に明け暮れる。

 戊辰戦争の折には、漂着した咸臨丸の死者を義侠心から丁重に葬ったというエピソードが知られている。明治以降は農地の開墾や港の整備などにも尽力した。

 もちろん立派な業績もたくさん残っているのだが、とどのつまりは任侠、ヤクザ。いまの時代の表現ならば、“反社”だ。だから、いくら昔の人とは言っても、町を挙げて清水次郎長を喧伝するというのも難しいのかもしれない。

 それはともかく、清水駅。

“サッカーの町”清水の駅前には…

「江尻口」と名付けられた西口に出ると、バス乗り場になっている駅前広場には、サッカーを楽しんでいる少年だか青年だかの像が目に留まる。エスパルスの存在だけでなく、清水は古くから日本有数のサッカーが盛んな町。いっときは、「日本のブラジル」などと呼ばれたこともあったほどだ。

 駅前広場に降りたって、ああやっぱりここはサッカーの町なんだ、と改めて認識したところで、少し駅前通りを西に行く。すぐそこにあるスクランブル交差点には、天下の国道1号、東海道が通っている。

 国道1号はこの交差点でカクッと折れて西に進路を変え、そのまま南に向かうのは国道149号。ナンバリングは変わるけれど、なかなか交通量の多い清水のメインストリートになっている。

 国道149号の東側、JR東海道線の線路との間には清水駅前銀座商店街というアーケードが延びている。東京都心の商店街のようにたくさんの人でごった返している……ということはさすがにないものの、それなりに昔ながらの店もあったりして、地方都市の駅前商店街にしては賑やかだ。

 このアーケードをそのまま南に進むと、線路沿いで国道の高架をくぐって西へと続いてゆく。こちらはアーケードではなく、それでも清水銀座という別の商店街になっているようだ。

 まっすぐ西に向かった先には、魚町稲荷という神社が鎮座する。その裏手は武田信玄が駿河侵攻の拠点とした江尻城跡だ。すぐ南側には、巴川が流れている。

 清水銀座は、元を辿れば旧東海道の18番目の宿場町・江尻宿の町並だ。清水駅も、もとは1889年に江尻駅として開業したのがはじまり。いまよりは300mほど南、清水駅銀座商店街の南端あたりにあったという。

 清水という名の町はもう少し巴川河口に近い港町で、宿場が江尻と棲み分けられていたのだろう。最初に駅名に採用されたのは、宿場の名であった。

 江尻駅が清水駅に改められたのは1934年のこと。その10年前、1924年には清水市が誕生している。

かつての清水町の中心地へ

 町中を流れる巴川沿いを、南に歩く。途中でJR東海道線と静岡鉄道の線路を続けて渡り、静かな住宅地といった町の中を進んでゆく。

 この先が、かつての清水町の中心部。例の清水次郎長もこのあたりで生まれたという(生家跡も残っている)。

 巴川を渡り、清水駅前からずっと南に走ってきた国道149号へ。国道に面して、静岡鉄道の新清水駅があった。10年ほど前にも一度だけ、新清水駅には来たことがある。そのときは曇り空だったからなのか、いくらか殺伐とした駅前だなあという印象を抱いたものだ。

 が、今回は快晴とまではいかないが晴れの日の新清水。かつては路面電車が走っていたという目の前の国道にはクルマがひっきりなしで走り、電車が到着するとお客がパラパラと降りてくる。実際は殺伐となんかしていない、明るい私鉄の小ターミナルである。

 国道を渡って路地の中に入ると、そこにはちょっとした歓楽街に清水区役所。きっともとは清水市役所だったのだろう。旧清水町の中心部近くに清水市役所。清水市は、そのさらに先にある清水港とともに育ってきた町だ。

日本一の“お茶の積み出し港”だった

 清水港は、古代からその名が広く知られた天然の良港で、戦国時代には武田の水軍が拠点を置いたこともある。江戸時代には駿河や甲斐などの年貢の蔵出し港となって発展した。明治に入ってからの清水港は、お茶の積み出し港として名を轟かせる。

 いまでは鹿児島と生産量1・2位を争う静岡のお茶。その生産量が一気に増えたのは、明治初期に職を失った幕臣たちが中心となって牧之原台地を開拓、茶畑にしたことにはじまる。

 そして、生産された茶は蒸気船も入港出来るようになった近代港・清水港から全国各地、ひいては世界中へと運ばれていった。清水の町は、エスパルスもちびまる子も有名だが、静岡の存在感を大いに高めた立役者だったのである。

 清水区役所の東側から、しみずマリンロードという市道を渡れば、その先はもう清水港だ。

なにやら行列のできている店が…

 マリンロードに沿って北に歩いて行くと、魚市場が見えてくる。はごろもフーズなど水産加工会社の看板を掲げた大きな建物もある。

 マグロで有名な清水漁港。魚市場の一角にはマグロを食べさせてくれる飲食店が集まっているエリアもあった。ちょうどお昼どき、店によっては大行列ができている。

 真新しいスーツに身を包んだ人たちがたくさん。新入社員研修の合間か何かなのだろうか。清水駅のみなと口を出ればものの5分もかからない市場だが、観光客の多くは電車よりもクルマで訪れているようだ。

 そのすぐ北には、古びた石油のタンクがずらりと並んでいる。もうここまで来れば、清水駅みなと口のすぐ目の前。タンクの遠く向こうには、霞がかった空の中に富士山が浮かんでいる。

 冬ならば、きっともっとキレイに見えるはず。駅前の港町と石油タンクと富士の山。清水駅前の名物だ。

“武骨な港湾都市”も今は昔?

 このみなと口のオイルタンク、ENEOSの油槽所の一角で、いまでは遊休地として大半が使われていない。そこに、清水エスパルスの新しいホームスタジアムを建てる計画があるという。

 駅の目の前の、それも港の脇のスタジアム。少し歩けばちびまる子ちゃんランドも近い。マグロもサッカーもちびまる子も、駅を降りたらすぐそこに。「清水」がギュッと詰まったエリアが生まれるのだろうか。

 こうして新しい姿を見せようとしている清水駅。いまのみなと口の広場には、北に病院、南には文化会館が建っている。どちらも比較的新しい。

 以前はこの場所には貨物駅が広がっていた。港湾都市らしい武骨なエリアが、観光・レジャーの拠点に生まれ変わる。横浜や神戸でもそうであったような町の変化が、清水にも訪れようとしている。

撮影=鼠入昌史

倉庫街にポツンと廃駅、錆びついたタンク車、ナゾの巨大クレーンも…静岡県から42年前に消えた「清水港線」の痕跡をたどる〉へ続く

(鼠入 昌史)