「パパ、ママへ。大好きやで」6歳女児コンクリ詰め事件…“優しい叔父”が殺人犯となった「決定的な瞬間」
飯森被告は当時、20代前半の若者で無職。子育てどころか結婚すらしたことがなかった。当の玲奈さんは、Bの家は劣悪な環境だったこともあってか、このように嘆願したという。
「おじいちゃんは嫌や。パパと住みたい」
◆「パパ、ママへ。大好きやで」…実の親ではない2人に対する感謝の手紙も
そして2006年9月ごろ、玲奈さんは飯森被告の当時の自宅で、飯森被告・交際相手のAと3人で生活するようになる。この自宅は今は解体されたが市営の団地だった。飯森被告は、当時の生活を懐古した。
当時5歳だった玲奈さんは、幼稚園に通うことはなく、起床は正午ごろだという。起床後、食事などを済ませると、「ゲームセンターや公園に遊びに行ったりしていた」とのこと。さらに、飯森被告は玲奈さんの将来を考え、ドリルを買い与えて勉強を教えたり、しつけをすることもあった。
「友達できたら、こういうことをして、こんな悪いことをしたらあかんよと教えていました」
さらに、生前の玲奈さんとの思い出を尋ねられると、数秒考え込んでおもむろに話した。
「まず『パパ』と言ってくれたことと、釣りに行ったり、海に行ったりしたことですね」
そんな玲奈さんは、飯森被告から教えてもらった言葉を使いながら、実の親ではない二人だが、日ごろの感謝を手紙につづった。
「パパ、ママへ。大好きやで」
◆愛情と苛立ちが交錯…わずか数ヶ月で崩れた日常
10月は玲奈さんの誕生月。飯森被告はケーキを購入して、誕生日を祝ったという。供述の限りでは、一般家庭と遜色ない生活に思えるが、次第に影が落ちはじめたようだ。
引き取ってから2ヶ月も経たずして、飯森被告にはこんな感情になり始めたと、関西弁を交えながら言葉を紡いだ。
「愛情はあるんですけど、(玲奈さんが)いるのがしんどくなってきました」
当時6歳の玲奈さんは無邪気な年頃。「食事中に食べ物をこぼしたり、仏壇のお供え物を食べることもあった」といい、その度に飯森被告は注意するものの、玲奈さんの態度が気に食わなかった。
「怒っていることにすぐに『わかりました』と言ったり、『わかりません』と言ってきたり……」
苛立ちが募りはじめた飯森被告は、ついに「怒り」を抑えることができなくなった。
◆犯行日は曖昧だが…語られる「暴行の顛末」
法廷の飯森被告の供述態度を見ると、全てをさらけ出していたように筆者には思えた。
しかし、判決では肝心な犯行日を「06年12月下旬から翌07年1月上旬ころの昼間」と、具体的には特定されていなかった。飯森被告によると、玲奈さんとの記憶が「クリスマスイブにケーキを買って祝った以降のことを覚えていない」といい、犯行日が特定しきれなかったようである。
対して、玲奈さんが亡くなるまでの暴行の顛末は鮮明に覚えていた--。
犯行当日、午後1時ごろに飯森被告は目を覚ました。その時点では、既にAと玲奈さんは起床していたようだ。空腹だったのか、玲奈さんは仏壇のお供え物をつまみ食いしたという。起床した飯森被告にAは「玲奈が仏壇のお供え物を食べている」と報告した。
報告を受けた後、飯森被告は仏壇の前で玲奈さんに問い詰め、「このクソガキ」と激しく怒鳴りつけた。同居前に、Bが玲奈さんを「こいつ」と呼ぶ姿に嫌気がさしていた飯森被告。その記憶が蘇る間もなくヒートアップしていく。直後、玲奈さんの手を取って隣の部屋に移動すると暴行を加えた。
「平手で顔を3、4回以上叩きました」
◆実況見分が示した悲惨な事件現場…
捜査段階で犯行状況を再現した「実況見分報告書」が、犯行を裏付けるように法廷の大型モニターに映し出された。添付されていた写真からは、玲奈さん役となった小さな人形と飯森被告の対比に、残虐性が際立って見えた。一方で、飯森被告は供述を続ける。

