いい執着と悪い執着の違いは何か。浄土真宗本願寺派僧侶の増田将之さんは「自分の成長や能力の向上を目指すためのモチベーションになる物欲なら、大いに持つべきだ。一方で、虚栄心から『あれも欲しい、これも欲しい』となると、いつまで経っても心が満足しないから注意が必要だ」という――。

※本稿は、増田将之『その悩み、ただの執着』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Worawee Meepian
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Worawee Meepian

■何も持たずに浄土で会う

お墓参りに行って、「倶会一処(ぐえいっしょ)」の文字が刻まれたお墓を見たことがないでしょうか。

倶会一処とは浄土三部経の「仏説阿弥陀経(ぶつせつあみだきょう)」という、ご法事や法要などでよくお勤めされるお経に出てくるものです。噛み砕くと、

「阿弥陀さまは私たちが必ず浄土に往生し、仏になることを誓ってくださいました。死して後は、浄土の人々とともに一つ処に会同しましょう」

というような意味です。

そのとき、この世で得たものはすべて、お金も物も、地位も名誉も、置いていきます。どんなに執着しようとも、死んで浄土に行くときは“手ぶら”と相場が決まっているのです。

何も持たずに生まれ、死んでいく――禅語でいうならば「人は本来無一物」という真理に立つと、あらゆるものに対する執着が消えていくのではないでしょうか。

けれども生きている間は、金銭欲・物欲への執着を無理して手放すことはありません。矛盾するようですが、「いい執着の仕方」というものがあるのです。

■物欲を意欲に結びつける

若いうちは、欲しいものがたくさんあります。マイホームや車、時計、家電、家具、洋服、バッグ、靴など、一つ手に入れたら、次はこれ、次はこれと、欲しいものが際限なく出てくるのではないかと推察します。

このように、いろんなものを欲しがること自体は、それほど悪いことではありません。

「がんばって年収を上げて、これを買おう」
「これを買って、その高級ブランドにふさわしい人物になろう」

といった具合に、何らかの「意欲」に結びついている――いいかえれば、自分の成長や能力の向上を目指すためのモチベーションになる物欲なら、大いに持つべきです。

物欲と意欲の間に「物欲により意欲に火をつける、あるいは逆に、意欲により物欲がかき立てられる」というつながりをつくるのは、「望ましい執着の仕方」の一つです。

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■なぜ物を欲しがるのか、が問題

では、「よくない物欲」とは、どういうものでしょうか。それは、「見栄を張る」ための物欲です。

なぜなら、虚栄心から「あれも欲しい、これも欲しい」となると、いつまで経っても心が満足しないからです。欲しい物が手に入った次の瞬間にはもう、新しい物に目が行って、満足感がたちまち渇望感に変じてしまいます。

これは非常に不幸なこと。物への執着が苦しみを生む典型例です。

倶会一処。あの世に物を持っていけないことをお忘れなく。

■質素に暮らすのは難しい

仏教は「質素に暮らす」ことを大切にしています。

ブッダの教えに「小欲知足(しょうよくちそく)」――「欲に囚われずに、いまのままで十分だと思って、心穏やかに暮らしなさい。それが、真に満たされて生きることである」

というものがあるように、

「多くを求めず、望まず、持たず」

を基本としています。

それが理想の一つでしょうが、難しいでしょう。

ですから、いきなり質素な生き方を目指さなくてもいい。

まずは、「理想通りではない」自分に気づくことが第一歩です。

■掃除で「心の垢」を出す

ただ気になるのは、散らかった部屋が心身の健康を蝕むかもしれないことです。

ゴミが心のなかに入ってモヤモヤやイライラを生じさせたり、そのために家族関係がぎくしゃくしたり、乱れた部屋のままに生活態度までだらしなくなったり、居心地が悪くて家にいたくなくなったり、埃で喉をやられたり。

心身の“病変”の裏に、部屋の汚さが潜んでいるものなのです。

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それが証拠に、掃除や片付けをすると、気持ちがスッキリするものです。

仏教では、掃除を重んじていますが、これはブッダのお弟子さんの一人であるチューダパンタカという方が毎日掃除をすることで悟りを開いたという話も関係しているでしょう。また、「心の垢」、すなわち煩悩を一緒に吐き出すというのも一つあると思います。

■物を捨てる目的は何か

物を少なくして、部屋をスッキリした空間にすることは大切です。お寺が広々として清々しく感じるのは、必要な物だけしか置いていないからです。ただし「やりすぎ」てはいけません。

増田将之『その悩み、ただの執着』(三笠書房)

仏教は「中道」――「ほどほど」を重んじていて、何もないガランドウのような空間だと、逆に心がそわそわする場合もあるのです。

私が受けた相談者の中には、ゴミ屋敷でしか生活ができないという方がいました。

その方は、一つひとつの物に思い出があり、捨てられないというのです。このように散らかっていたほうが落ち着く方がいることも事実です。

「物を捨てるのは意外と気持ちいい」こともあり、しまいには整理することより、捨てることのほうが目的化することもあるようです。ときには、捨てているうちに気持ちが高揚し、「必要なものまで捨ててしまった」ということもあるでしょう。

しかし、物を捨てる目的は、あくまで心の整理をし、心地よい暮らしをすること。

そのことを見失ってはいけません。

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増田 将之(ますだ・まさゆき)
浄土真宗本願寺派僧侶、公益財団法人仏教伝道協会職員
1976年、千葉県生まれ。「フリースタイルな僧侶たち」顧問、浄土真宗本願寺派勝満寺、善行寺他にて法務に就く。現在は、公益財団法人仏教伝道協会職員として、お寺とのつながりを築きながら、一般の方への仏教普及に奮闘中。「仏教井戸端トーク」主宰にて各地のお寺でイベントを開催。司会でありながら、登壇者よりも長く話すスタイルが好評。
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浄土真宗本願寺派僧侶、公益財団法人仏教伝道協会職員 増田 将之)