Image: ©Wolfgang Ennenbach / One Two Films

伝説の仕掛け人は、一人の女子高生でした。

1975年1月24日にドイツ・ケルン歌劇場で開催された、天才ピアニストのキース・ジャレットによるコンサート。その夜、彼が披露した即興演奏の音源は『ザ・ケルン・コンサート』としてリリースされ、世界で最も売れたジャズのソロアルバムとなりました。

のちに伝説と呼ばれたこのコンサートの知られざる誕生秘話を描く映画『1975年のケルン・コンサート』が、2026年4月10日から全国公開中。

主人公は、当時18歳だったプロモーターのヴェラ・ブランデス。ジャズ・フェスティバルで観たキース・ジャレットの演奏に衝撃を受けてコンサートを企画し、さまざまな困難を乗り越えて当日を迎えます。ところが、ジャレットは激しい背痛と睡眠不足で絶不調。さらには、オーダーした名器の代わりに壊れた小型ピアノが届き、演奏を拒否されてしまいます。絶体絶命のピンチに追い込まれたヴェラは…。

GIZMODOでは映画の日本公開を前に、脚本も手がけたイド・フルーク監督にインタビューを実施。歴史的な一夜の大混乱の舞台裏が明かされる、嘘のような実話に基づいた今作について、たっぷりと語っていただきました。

主人公になった当の本人の人物像

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本作の脚本と監督を務めたイド・フルーク氏

――キース・ジャレッドの名盤『ザ・ケルン・コンサート』に、こんな誕生秘話があったとは知りませんでした。監督がこの物語と出会ったきっかけは?

イド・フルーク監督(以下、IF):今作の主人公であり、あのコンサートを企画したヴェラ・ブランデスについての小さな記事を雑誌で読んだことがきっかけです。ちょっと待てよ、即興ジャズの最高峰とされる名盤は壊れたピアノで演奏されたということ? しかも、そのコンサートを企画したのは見よう見まねのティーンエイジャーだったなんて…と混乱しました。信じられないような語なのに、どうして今まで知らなかったんだろう、と不思議に思ったんです。

――アーティストではなく、舞台裏の人物が主人公として描かれているのが新鮮でした。

IF:今の時代は似たような音楽映画が多いと感じていたので、これは従来とは異なる形で音楽の物語を描く絶好の機会だと捉えました。普段はその存在すら知られていない、アーティストの陰で汗を流している人に焦点を当てたかったんです。アート業界の舞台裏にはたくさんのおもしろい逸話があります。特にこの物語では、ヴェラ・ブランデスがいなかったら『ザ・ケルン・コンサート』は存在しなかったわけですから。これは伝えるに値する物語だと思いました。

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――映画化するにあたって、まずは何から始めましたか?

IF:ヴェラ探しです。僕たちはギリシャで彼女を発見しました。コンサートの企画からは引退して、現在は講演活動などを行っているそうです。プロデューサーが連絡を取って、「あなたについての映画を制作したいのですが」と伝えたところ、長い沈黙の末、電話の向こうから「ついに来たか」という答えが返ってきました。

そこからは彼女の信用を勝ち取る必要がありました。初対面の日、指定されたニューヨーク時間の午前5時にオンラインで待機していたのに、すっぽかされたんです。「今どこですか?」とメールしたら、「天気が良かったからビーチに行っていた」と言われて(笑)。彼女は僕に、「自分は感じるままに行動する人なのだ」と示していたのだと思います。

――今も自由な人なんですね。

IF:衝動的で抑えられない炎のような人なんです。それでも僕が諦めないと気づくと、少しずつ信用してくれるようになりました。何時間にもわたってインタビューに応じてくれたんです。ヴェラは本当に寛大な人で、一度信用したら好きなように制作させてくれました。

でも彼女の話には時々、「これはさすがにあり得ないのでは…」と思うところがありました。そこでケルンにリサーチャーを送り込んだところ、彼女が二十歳でジャズ界を騒がせていたことを特集したタブロイド誌が見つかったんです。すべては真実で、劇中に登場する実家の地下の歯科医院も発見されました。

――実際に彼女と話してみて、最も印象的だったことは?

IF:僕らは大人になるにつれて、「ひとりの人間が世界を変えられる」という感覚を失っていきます。でもヴェラと話していると、「良いアプローチとエネルギーさえあれば山だって動かせる」という無限の可能性を思い出すんです。「私って最高」「見てよ、こんなことだってできるんだから」という若者特有の生意気な姿勢が、ある意味で本当に重要だったのだと思います。

そして、決して情熱を失ってはならないということも。それは何においても一番大切で、情熱を持って生きれば、アートも人生もより良いものになります。ヴェラに会えば、彼女が常に情熱を持っている人だとわかるはずです。

実話を描く難しさ

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――主演のマラ・エムデはとてもエネルギッシュで、監督の話から浮かぶヴェラのイメージがスクリーンを通して伝わってきました。彼女をキャスティングした経緯は?

IF:僕らは演劇学校やストリートキャスティング、SNSなどを通じて、有名無名を問わず多くの俳優に会い、オーディションテープも一つ残らず確認し、さらにはベルリンまで飛んで対面オーディションも行いました。まさにその世代の俳優を片っ端からチェックしたので、みんなおかしくなりそうでした(笑)。

でも、マラ・エムデのような人に出会うと、部屋に入ってきた瞬間に空気が変わるんです。まるで野生の動物が現れたかのような存在感で、通常の演技テストをする必要もありませんでした。カメラマンを含むクルーには、たとえ彼女が右に進むべき場面で左に進んでも、喜んで追ってくれと伝えました。70年代を舞台にした作品なのに、立ち位置が変わると背後に高層ビルが映ってしまうので、怒られましたけどね(笑)。でも、彼女には自由を与え、スクリーンで爆発してもらいたかったんです。唯一のルールは、決して立ち止まらないこと。常に動いていることでした。

――この役を演じるために、彼女はどのような準備をしたのですか?

IF:マラは脚本を受け取ってから、ギリシャに行ってヴェラ・ブランデスと時間を過ごし、ヴェラも可能な限りすべてを提供してくれました。そして僕らはある時点で、「もうヴェラは終わり」と切り替えました。過去を再現するのではなく、何か新しいものを生み出したかったんです。マラには、「ここからは、曲を受け取ったミュージシャンが即興で演奏するように、君も君らしくこの物語を解釈してほしい」と伝えました。

――とても魅力的なヴェラ・ブランデスでした。

IF:僕が一番うれしかったのは、マラがドイツで数々の映画賞を受賞したことです。彼女がこの作品にすべてを注いだことが、観客にも伝わったのだと思います。ヴェラも完成した映画を観て、マラが自分のことをちゃんと理解してくれたと感じたそうで、とても誇りに思ってくれました。

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――その一方で、キース・ジャレットは『ザ・ケルン・コンサート』と距離を置きたがっていると言われています。あのコンサートを題材にした映画を制作するのは難しくなかったのですか?

IF:もちろんです。でも、僕は『ザ・ケルン・コンサート』を好きになれないキースの気持ちがわかるような気がします。人生で数え切れないほどステージに上がり、数多くのレコードを発表してきたのに、みんなが興味を示すのは、きまって自分が29歳の時に行ったコンサートなのですから。それは、ロックバンドがヒット曲をいつまでも求められ、うんざりしてもう二度と演奏したくないと思う状況に近いのだと思います。彼は今作に関与する気もまったくありませんでした。

ただ、あのコンサートが行われた当時、キースはヴェラに感謝の意を一度も伝えなかったそうなんです。つまり、ヴェラは自分が成し遂げた偉業に対して、ふさわしい評価を得ていなかったということ。だから、たとえ「彼女の物語を伝えるべきではない」という意見があったとしても、耳を貸すつもりはありませんでした。

――キース・ジャレットという人物を描く上で、どのようにアプローチしましたか?

IF:この映画はヴェラのためのラブストーリーであると同時に、キースのためのラブストーリーでもあります。僕は彼を理解するために、なるべく感情移入するようにしました。YouTubeには、キース・ジャレットが観客に嫌な態度を取る様子を捉えた動画が溢れていますが、彼は嫌なヤツなんかじゃないということを伝えたかったんです。そのためには、観客に彼の思考プロセスや仕事ぶりを理解してもらう必要がありました。

最終的に、キースの弟のクリス・ジャレットが密かに協力してくれました。脚本を読んだ彼が、「まさに兄の口調そのものだ」と言ってくれたことは、僕にとって最高の褒め言葉でした。

――ジョン・マガロにとって、キース・ジャレット役は大きなプレッシャーだったのではないでしょうか?

IF:この役を引き受けるには、かなりの勇気が必要だったと思います。キース・ジャレットは髪型やピアノの弾き方などからカリカチュア化されてしまいがちなので、とても難しい挑戦でした。ジョンはもともとピアノが弾けたのですが、さらにコーチを雇い、何か月もかけて動き方などを研究してもらったんです。

動画を観て真似るのではなく、少し引いて微妙なニュアンスを模索した結果、十分にキースらしく、でも大げさではない演技になったと思います。ジョンはとても素直な俳優で、その演技には常に誠実さが宿っています。だから、たとえ多くを語らなくても、彼の存在をしっかりと感じられるんです。

ユニークで楽しい劇中の構成

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――今作はジャズに詳しくない人でも楽しめる作品ですね。ちょっとしたジャズの入門講座が挿入されているのも良かったです。

IF:実は僕自身、ジャズの大ファンというわけではありませんでした。それに僕にとって今作は、パンクな女性がパンクなことをする、パンクロック映画というイメージだったんです。音楽のように感じられる映画を作りたくて、ミュージシャンの即興演奏のように脚本を書いていく中で、キースが成し遂げてきたことがどれほど特別なのかを説明する必要性を感じました。毎晩のように新しい場所へ向かい、完全な即興で、しかもレコードに残せるほどの演奏を続けることが、どれほど難しいことなのかを伝えたかったんです。

そこで思いついたのが、ジャズに詳しくない観客向けに基礎をレクチャーするシーンでした。僕は劇場を出たときに、世界について新たな学びを得られるような映画が好きなんです。それにあのシーンを通して、僕が計画を立てず、ただ流れに任せて脚本を書いていたときの、あの自由な感覚を観客と共有できるのではないかと思いました。

――劇中には“第四の壁“を破る(※登場人物がフィクションの中にいることを自覚した状態で、カメラ目線で語りかける)シーンもあり、とても自由でユニークですね。

IF:この映画の中心にあるのは失敗であり、いかに失敗がより良い芸術を生み出すかを描いています。だから脚本を書いているときも、ミスをしてもすぐに削除せず、あえて残すようにしました。登場人物が突然語りかけてきても、急にドキュメンタリー調になっても、主人公が20分間スクリーンから消えて、また戻ってきてもいいと思えたんです。

もしこの物語から学ぶことがあるとすれば、それは「完璧はつまらない」ということ。本当に面白い芸術を生み出すために、僕たちには“壊れたピアノ”が必要なんです。

――あのコンサートはヴェラ・ブランデスにとってもトラウマ的な体験で、彼女は長い間、『ザ・ケルン・コンサート』のアルバムを聴くことができなかったそうですね。

IF:ベルリン国際映画祭でのプレミア上映は、フィルムメーカーとして最高の瞬間でした。巨大な劇場に集まった1000人の観客が、登壇したヴェラ・ブランデスにスタンディングオベーションを贈ったんです。彼女が初めて世界に認められた瞬間に立ち会うことができたのは、非常に美しい思い出となりました。あの名盤を世にもたらすための彼女の努力が初めて報われた、本当に特別な瞬間でした。

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――コロナ禍に準備を始められたとのことですが、映画の舞台となった1970年代のドイツについてはどのようにリサーチを進めたのですか?

IF:1960年代の終わりから70年代にかけてのドイツにおける政治的混乱の概況や、その時代に生まれた素晴らしい音楽については多少の知識がありました。デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、ルー・リードらがベルリンにいたほか、ドナ・サマーもドイツで活動していましたし、クラフトワークは70年代にデュッセルドルフでエレクトロニックミュージックを発明し、カンやノイのようなクラウトロックの金字塔もいました。そして、ベルリン・ジャズの隆盛により、ジャズのメッカでもあったことがわかりました。当時のドイツは文化的に勢いがあったので、リサーチしていて楽しかったです。

ドイツにいるリサーチアシスタントは、さまざまなアーカイブ映像を探してきてくれました。それに、ヴェラも写真コレクションを提供してくれたので、当時の彼女の姿を確認することができました。70年代のケルンに関しては、幾千ものストーリーが存在するかと思います。でも、これはヴェラの物語なので、僕らは彼女の視点を見つけ出し、それを貫くことを大切にしました。

――70年代のキース・ジャレットは、すでにマイルス・デイヴィスと一緒に演奏していたかと思いますが、ドイツでの知名度はどの程度だったんですか?

IF:ジャズ界隈の人たちには知られていましたが、世界的に有名だったわけではないですし、『ザ・ケルン・コンサート』後のような知名度はありませんでした。ケルンでのステージで何かが起こり、彼はジャズという枠を完全に飛び越え、一躍人気者になりました。あのアルバムもまた、小さなジャズシーンを越えて多くの人々を魅了したんです。

キースは10代の女の子から「お願いだから私のために実現して」と懇願され、睡眠不足の状態で、壊れたピアノを演奏した。そんな状況で奏でられた音だからこそ、より多くの人たちが繋がりや親しみやすさを感じたのかもしれません。

――あの伝説的なコンサートを10代の女の子が開催したという逸話は、ドイツでは有名なのでしょうか?

IF:以前はあまり知られていませんでしたが、この映画をきっかけに広まりました。コンサート自体は有名でしたし、レコードを持っている人も多く、「あれを聴いて育った」とか「ママがいつも聴いていたけど、そんな裏話があったなんて」と言われることもありました。今作はドイツで大きなカルチャー現象となり、大ヒットしてたくさんの人が観に行ってくれました。

――どのような反響がありましたか?

IF:世界中の観客から、「あのレコードを何度も聴いてきたけれど、映画を観た後に聴いたらまったく違って聴こえた」と言われました。また、若い人たちは、失敗からひらめきや素晴らしい芸術作品が生まれたことにインスピレーションを得たようです。

――いよいよ日本でも公開されますが、日本の映画ファンに伝えておきたいことはありますか?

IF:この映画を楽しむために、ジャズやキース・ジャレットに関する知識は一切必要ありません。これは世界に変化をもたらした、一人の少女についてのパンクロックな物語なんです。この映画を観た後、家に帰って『ザ・ケルン・コンサート』のレコードを聴くと、きっと新たな発見があるはず。僕は世界や芸術に対する理解に新たな発見をもたらしてくれるものこそが、最高の芸術作品だと思っています。そんな瞬間が本当に楽しいんです。

『1975年のケルン・コンサート』は2026年4月10日(金)より、新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー。

Source: 1975年のケルン・コンサート