「置き去りにしたおばあさんの目の色が忘れられない」恐怖や後悔を抱えながらも教訓を伝える“語り部”たち…震災15年で直面する「伝承の崖」

災害の経験を言葉で伝える語り部。東日本大震災から15年、その存在が岐路に立たされている。
【映像】「おばあさんを置き去りに…」震災での出来事(実際の証言)
2025年度末の第2期復興・創生期間終了とともに、様々な助成は終了する見通しだ。加えて、語り部自身の高齢化による人手不足という問題も起きている。
こうした中で、新たな語り部の姿を模索し始めた女性がいる。「命を守るためにずっと語り部をしてきました」。教訓を伝えて行くためにできることとは何か。震災伝承の未来を問う。
■「とにかく死にたくないと思った」あの日から語り部へ

岩手県釜石市に住む、東日本大震災の語り部、菊池のどかさん。当時、菊池さんは卒業を2日後に控えた中学3年生。下校時間に大きな揺れに襲われ、他の生徒や隣の小学校の児童とともに高台へと逃げ延びた。
大学卒業後、地元釜石市の震災伝承施設に就職し、「語り部ガイド」として自らの経験を伝えてきた。
「みなさんは大切な人はいますか?私には大切な人がたくさんいます。それからたくさんいました。一人ひとりの命を守るため私はずっと語り部をしてきました」
「800人くらいがここの道にずらっと並んでいるので、人間の大渋滞なんですよね。上に走りたいけど走れない、上りたいけど上れない状況でした」
「実はもう津波が来ていました。さっきまで歩いてきた、頑張って頑張って避難してきた道がもうありませんでした。とにかく死にたくないと思いました」(震災の体験を伝える菊池さん)
現在は個人で仕事を請け負うフリーの語り部だ。菊池さんは「例えば何を持って逃げるのか。誰を助けるのか、一人で逃げるのか、いろいろな選択があると思うけれど、事前に考えていくことを大切にしてほしい」と話す。
■激減する依頼と、語り部の高齢化

東日本大震災で1700人以上が犠牲になった陸前高田市。釘子明さんも語り部だ。震災では津波で自宅を流された。
「大災害が起きますと行政の方々ははっきり言って助けてくれません。本当にこれ笑い事じゃなくて、被災していますから行きたくても行けないんですよ。陸前高田市もそうでしたよね。大槌もそうでしたよね。じゃあ誰やるか。みなさん避難している方々がやるしかないんですよ」(震災の体験を伝える釘子さん)
震災の2年後、一般社団法人を設立して語り部活動を行っている。多い年は1万人を超える人が訪れていた。しかし近年は…。
「(語り部活動は)2025年は1件か2件しかないんじゃないか。100名あるかどうか。語り部の仕事は本当に減っているので、料金をもらってやるというのはかなり厳しい」
仕事道具のマイクはほとんど使うことが無くなった。「語り部が下手になりました。情けないな…。それだけ減ってきているっていうことですよね」と肩を落とす。
震災伝承に関する情報収集や発信を行う3.11メモリアルネットワークの調査によると、岩手・宮城・福島の被災3県で語り部などの震災学習プログラムに参加した人は年々減少。コロナ禍でさらに数を減らしたものの回復基調だった。しかし2024年から2年連続で前年を下回っている。
「みんな経費がかかる。経費をどういう風にしてっていうのは非常に考える。もう限界に来ているというのが正直なところ」(釘子さん)
多くの海水浴客で賑わった福島県いわき市薄磯地区。この地にも津波が襲い100人以上が犠牲になった。語り部の大谷慶一さんは、妻と津波からに逃げる最中の出来事が忘れられないという。
「津波を見に行って逃げ帰るが、その間に置き去りにしてしまった人がいる。このおばあちゃんを見捨てたことを置き去りにしたことを1年半、誰にも話せなかった」と明かす。生きるために、仕方のないことだった。
「私は(女性の手を握る妻に)すごく近くで『ばっぱ(おばあさん)の手を離せ』と言ったような気がする。その時に、おばあちゃんの目を見ている。あの時の目の色、これがもう消えない。おそらく一生消えないでしょうね」と悔やむ。
「逃げれば助かる命があります。川の近くに住んでいても逃げれば助かります。命だけは守れるでしょう?家が流されようがしょうがないです。泥が入るのもしょうがないです」(震災の体験を伝える大谷さん)
現在は震災の2年後に発足した「いわき語り部の会」会長を務めている。震災から15年が経ち、メンバーは大半が60代〜80代と高齢化が進んだ。会長として、教訓を伝え続けてきた大谷さん。去年がんが見つかり、治療のため数カ月間語り部活動ができていない。
「(他のメンバーも)私と一緒。病気で体が弱ってきた。それと80歳を超えてくれば、いろいろ体力的にもたない」(大谷さん)
■「体験を継承していくのは人」そして抱える“後悔”

東北大学・災害科学国際研究所。震災伝承に詳しい佐藤翔輔准教授は、伝承方法によって受け手の記憶にどれだけ違いが出るかを調査した。
調査では参加者90人を5つのグループに分け、語り部の体験談を伝える。方法は「語り部本人から話を聞く」「同じ話を別の人物から聞く」「語り部本人の声付き映像を見る」「音声だけを聞く」「文章を読む」で、どれだけ内容を覚えているか直後と8カ月後に確認する。
覚えていた量を数値化すると、直後はどのグループも大きな差はなかった。しかし8カ月後にもう一度確認をすると、最も記憶が残っていたのは「語り部本人から直接」話を聞いたグループだった。
佐藤准教授は「1位は(語り部)本人からの話だったが、2位は本人からの映像でもなく、音声でもなく、第三者から聞いた人の記憶が多かったことが分かった。誰がどんな手段でその話をつないでいくか、体験を継承していくかというと、物ではなく人なんだなということがよく分かった」と分析する。
震災で700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上地区。後悔を抱えたまま、活動を続ける語り部がいる。伝承団体「閖上の記憶」代表の丹野祐子さんだ。
「私は息子に『公太』という名前をプレゼントしました。でも、公太は13年しか生きることができませんでした。なぜ助けてやれなかったのか。なぜ代わりに私が死ななかったのか、今もとても後悔しています」(震災の体験を伝える丹野さん)
震災当時、丹野さんは自宅の隣にある公民館で激しい揺れに襲われた。その後、当時中学1年生だった息子の公太さんと合流するが、津波から逃げる際に見失う。2週間後、公太さんは変わり果てた姿で発見された。
「毎週月曜日、週刊少年ジャンプを買うこと、これを息子は楽しみの一つにしていました。あんなに『マンガばっかり読むな』って叱った私が今は息子の代わりに毎週月曜日、週刊少年ジャンプを買い続けています。1年で50冊。この15年でもう700冊近くになりました。床が抜けそうなんです。だからたまには帰っておいで、『もう勉強しろ宿題しろ』って言わないから、『マンガばっかり読んでていいよ』って言うから、たまには帰っておいで』これが今の私の本音です」
経験を話すたびに、震災当日に引き戻される。当時の学校の机に、丹野さんが震災後に書いたメッセージがある。
「閖上中の大切な大切な仲間14人がやすらかな眠りにつける様祈っています。津波は忘れても14人を忘れないでいてほしい。いつも一緒だよ」
「あの日大勢の人達が津波から逃れる為、この閖中を目指して走りました。街の復興はとても大切な事です。でも沢山の人達の命が今もここにある事を忘れないでいてほしい。死んだら終わりですか?生き残った私達に出来る事を考えます」
丹野さんは訴えかける。「かつてこの町にも地震の後、津波は来ていた。先人は私たちに『気をつけなさいよ』って忠告してくれていたのに、そのことに全く気づかず、『大丈夫、大丈夫、津波なんか来ない』って私は息子に嘘をついてしまった。でも本当はちゃんと伝えなくてはいけなかった。でも(文字は)いつの間にか読めなくなる、なんて書いてあるか分からなくなる。ましてや記憶は忘れる。人間は忘れる生き物だから。書くだけじゃなく、ちゃんと口頭で伝えなくちゃいけないというのを改めて実感しました」。
■「災害伝承の崖」資金難の中、新たな伝承への挑戦

悲劇を繰り返さないため続けられてきた震災伝承。今、岐路に立たされている。菊池さんは、所属する防災支援団体のメンバーとともに新たな語り部活動に挑むことにした。それがSNSによる発信だ。菊池さんの語りを音楽とともにおよそ1分の短い動画で紹介する新たな形のソーシャル伝承メディア「kotonoha(ことのは)」。2026年3月11日から配信開始となった。
「子育て中の人でも1分なら見てくれるかなとか。介護中だったりとか。それから自分が外に出ることが叶わない障害がある方も見ることができる。学ぶ機会が一つ増える。知りたいなと思うことを知るチャンスになるんじゃないかなというのがあって、今回チャレンジしてみたいなと思った」(菊池さん)
3.11メモリアルネットワークの調査では、被災3県の震災学習プログラム実施団体のうち96パーセントが今後の活動継続に不安があると答えた。また、3年後の人材確保については7割以上が「見通しがついていない」「分からない」と回答。運営・活動資金についても、半数以上が同様の答えだった。
アンケートには伝承を続けることへの不安が記されている。「いつまでも手弁当的に震災伝承することは無理」「施設の老朽化や人材確保において、現在よりも資金が必要になってくる」。
釘子さんの語り部としての2025年の収入は、講演会などを入れてもおよそ20万円。ピーク時の10分の1ほどだ。震災伝承の先細りが懸念される中、状況はさらに厳しさを増している。
3.11メモリアルネットワークの中川政治専務理事は「私たちは『災害伝承の崖』と表現をしているが、3月31日で(公的支援が)全部なくなってしまうんじゃないか」と危機感を募らせる。
2025年度末の第2期復興・創生期間終了に伴い、復興関連の助成金は規模の縮小が見込まれている。例えば、一部が伝承団体の支援に活用されてきた「心の復興」事業について、復興庁は原発事故があった福島県は継続する一方、岩手県と宮城県は打ち切ることを決めている。
2012年の災害対策基本法の改正に伴い、国や自治体の努力義務として伝承活動の支援が明記されている。
「個人の方が無理をして、私財を削って、そこを手当てしてやっとできている。そもそも続けようがない体制だったりする」(中川専務理事)
伝承団体「閖上の記憶」は、運営費のおよそ3分の1を助成金で賄っている。丹野さんは「正直運営は決して楽ではない。助成金を使わせいただいていることも事実だし、ここに足を運んでいただいた方々にお気持ちを頂戴して運営をしているのが現実。なかなか自分たちの足だけで立ち上がる自立運営は現実的には厳しい状態」と明かす。
佐藤准教授は「復興に関する施策は、永年的に継続することは出来ない。(伝承活動も)持続可能性を獲得しなければならないが、支援がない中でどうやってこれから継続できるか、あり方も考えながら変化していく必要もある」と指摘する。
2026年2月、菊池さんは「kotonoha」のスタートに向けて撮影に臨んだ。運営費はスポンサーを集めるほか、クラウドファンディングで募る。
「中学生だった時、私はこの場所で地震に遭いました。地震に遭ったあと35分後にこの町は津波に飲まれました。必死に逃げました。それからたくさんの人たちが周りに見えました。みんなと一緒に生きたいと思いました。でも津波が来た時、私は一気に自分のことしか考えられなくなるような、そんな体験もしました。今私が生きているのはたくさんの方々のおかげだと感じています。一人ひとりが自分の命を大切にして、そして災害が起きる前から備えられるよう一生懸命語っていきたいと思っています」(菊池さん 「kotonoha」の動画より)
■「逃げることだけが命を守る」15年目の語り部たちの願い
2万人以上が犠牲になった東日本大震災から15年。復興とともに、風化という波が静かに私たちの記憶を押し流そうとしている。あの日の教訓を、犠牲者の無念を、後悔を、身を切る思いで伝え続ける人たち──。
釘子さんは8カ月ぶりに語り部活動を行った。「日本に住んでいる以上、いつ自分に起きてもおかしくないということを実感してもらいたい。だからこそ、家族で災害の際に避難する避難所とか、その避難所が本当に安全かどうかということも、ぜひ家族で話し合ってもらいたい。それが自分の大切な家族の命を守ることになるし、いろいろな方々の大切な命を守ることになるんじゃないか。ぜひそのことを考えていただければと思っている」。
高齢の女性を残して避難した大谷さんは、迷わず避難してほしいと語気を強める。「皆さん逃げましょうよ。逃げる時には。空振りでいい。 空振りだったということは、あなたの命はそこで助かっている。それでいいじゃないですか。逃げましょう。災害から身を守る方法は、逃げる以外にはありませんよ。逃げることだけが唯一、私たちの命を守ることにつながる。もう一度言います。皆さん、逃げましょう」。
我が子を失った丹野さんは、同じ思いをする人が二度と現れないようにと当時の後悔を語り続ける。「災害っていつ何時どこで起きるかわからない。他人事じゃなく、自分ごとに考えることが多分一番大事だと思っている。私自身、阪神淡路大震災を他人事だと思って見ていた。自分が被災者になって、遺族になって初めて気が付きました。決して他人事ではない。常に自分事として考える必要がある。今もそう思っている」。
震災当時中学生だった菊池さん。穏やかな海は、いつか再びその姿を変える。「この町には明治時代にも津波がやってきたそうです。震度2〜3というすごく小さな揺れが3分以上続きました。その揺れは小さかったので、逃げた方は少なかったそうです。その結果、14メートルほどの津波がやってきたこの町では多くの犠牲者が出たそうです。実はこの話は15年前の震災の日、私が地震にあったその瞬間、思い出した言葉です。明治の亡くなった方、それから生き残った方が伝えてくれていた言葉が、私の命を助けてくれました。1分以上長い揺れが続いたら、必ず逃げてください。そして自分の命を迷わずに守ってください」。
(岩手朝日テレビ制作 テレメンタリー『伝承の崖』より)
